日本の若者を熱狂の渦に巻き込んだ伝説のロックグループ、横浜銀蝿。
当時、小学生だった私も、ライダースジャケットに斜め45度のサングラス、そしてテカテカのリーゼント頭でキメたメンバーの姿は記憶に焼き付いている。
1人の女性が結婚詐欺に遭った。編した男は、銀蝿の元メンバーの偽モノ。
いわゆる『ことば巧みに』というやつで、80万からの金をだまし取られた。
愚かと言ってしまえば、そこで話は終わる。しかし、男は本物と思わせるに十分なストーリーを用意していた。
今にして思えば、私は騙されるべくして騙されたのかもしれない。
某市のホテルTで開催されてた「ねるとんパーティ」の会場に、突然男は現れた。
「もう終わっちゃったの。ボクも参加したいんだけど、ムリかな」
会場で受付のアルバイトをしていた私に尋ねる男の第一印象は、
(ナニこのオッサン?ヤクザ?)
歳は40代前半だろうか。180センチ強、体重も100キロはあろうかという怪躯に
ド派手なセーターを着込み、頭はポマードべっとりのリーゼント。さらには、ヤンキー
サングランスで隠した顔が、男を強調していた。
ところが、男から名刺を差し出された途端、私の印象はガラリと変わってしまう。
「レコードプロデューサー中住(仮名」
ウソ〜・レコード会社の人なんだぁ。どおりでこの辺じゃ見かけない格好してると思
ったわ。垢抜けてる〜。
付き合ってる彼氏はいた。
決してモテなかったわけでもない。けど、なんか物足りない
私にはわかっていた。いかにもミーハーな願望。もっとカッコイイ男と付き合いたい。
学生時代もサークルで一番ルックスの良かった中西クンは、友だちのケイコと付き合っていた。私のボーイフレンドは、ギャグだけは一番だった嶋田クン。なんか納得いかない。
周りが羨むような素敵な男性と一度は付き合ってみたい。
そんな私の前に男は現れた。
「申し訳ありません。今日はもう締め切っちゃったんですよね」
「ふ-ん、ところでキミこの後、時間ある?よかったら、メシでも食いに行かない?」
「えつ、いえ、あの、困ります…」
「とにかく終わるまで待ってるから。じゃあまたね」
「え、あ、あの・・・」
2時間後。男は下のロビーで待っていた。
「なにあの人、キモイ」
バイト仲間が口を揃えて言う。みんな、わかってないね。
ギョーカイの人はみんなあ-なの。あれが最先端の男なの
「あ、本当に待っていたんで すか。困ったなあ・・」
「いいとこ知ってっから、そこ行こうよ」
彼は、某ホテルのフランス料理店に私を誘った。
味も値 段もお高い地元の有名店である。楽業界の人はさすがっ。
コース料理を運びなが ら、彼は私に「おとぎ話』を 聞かせた。
「キミ、子どものころ、どんなアイドルが好きだった?」
「うーんトシちゃんか、聖子ちゃんかなあ」
「じゃあ、たぶんオレのこと知ってるかな」
「はい?」 「いや、オレけっこう有名なバンドにいたから」
「ウソ」
「横浜銀蝿」
「えー」
知らないわけがない。でも、 メンバー14人いたけど、全員の顔は浮かんでいない。
言 われればそんな気がー。こ のぽんやりとした印象を持たせるためなどとは、夢にも思っていない。 現役を引退したとはいえ、正真正銘の芸能人。ブラウン管の向こう側にいた人。
「そろそろ行こうか」
誘われたら、付いて行こうと思った。しかし、彼はタク
シーで私を自宅まで送り届け、電話番号を聞いただけ。正直、肩すかしを食った気分だ。
「明日、東京帰るから。また電話するよ」
「絶対ですからね!」
その日、一度もサングラスを外さなかったことに気づいたのは、翌日目覚めてからだった。
2日後。東京から信じられない電話がかかってきた。
あの日から、ずっとキミのことばかり考えている。どうやら、本気で好きになってしまったみたいだ。仕事を調整してまた長野に行く。ぜひ会ってほしい。
あまりに見え透いた台詞ではある。
一世を風びした銀蝿の元メンバーが、一度会った
だけで私のような田舎の女に恋心を抱くなんて絶対有り得ない。
でも、それはやはり、今だから言えること。電話を聞いたときの舞い上がった脳に、
冷静な判断など入り込む隙があろうはずもなかった。
待ちに待った1週間後の週末。彼はオンボロのセダンに乗り私の前に現れた。何でも、
軽井沢にスタジオを所有しており、長野滞在の際はいつもこの車を使っているのだと。
東京ならフェラーリやベンツのオープンもあるんだけど。
申し訳なさそうに笑った。
ドライブ途中、彼から「イイ物」を見せられた。サイン入りポスター、解散コンサー
トのビデオ。本人が紹介された新聞まである。
その、地方紙の囲み記事には、顔写真も掲載されていた。私の隣でハンドルを握るTとは、もちろん同一人物。見比べることすらしなかった。
結局、その日もドライブと食事だけで終わり。ようやくホテルに誘われたのは3回目のデートのときだ。
部屋はすでに用意されていた。心臓が怖いぐらいに高鳴る。芸能人とベッドインする
私。1カ月前、誰がこんなことを想像した?
「キミに、初めて素顔を見せるね」
バスルームから出てくると、彼が笑いながらとサングラスに手をかけた。
息を飲む私が見たTの素顔は…目尻に寄って、なんだか老けた感じ。へ-、こんな顔してたんだ。現役時代も見たことなかったもん。
これがTなんだ。
けど、Tならどんな顔してても全然OKで〜す。
彼のセックスは乱暴だった。
強引に舌を差入れ、乳房をギューギュー鷲掴みにされた上、まだ乾いたままのアソコをまさぐられる。
女に不自由しない芸能人だからこそ許される強引なセックス。いや、逆に私の方がサービスしなきゃいけないのか
言い聞かせるように彼のペニスを口に含む。と、なんだか妙にデコポコしてるような感触…ってコレ、もしかして真珠ってヤシ?
さすがに、口を離した私にTが言う。
「トリコにしてやつから死ぬんじゃね-ぞ〜」
自信満々、Tが体の中に入ってくる。私は、ただ痛みに耐えるしかなかった。
以来、私たちは週3,4日のハイペースで逢瀬を重ね、急速に親しくなっていく。
「長野の仕事が増えたんだ」
という彼のことばは、そのまま私の幸せを意味していた。
もはや虜になっていた。
馴染みにしているという新潟のカラオケスナックでは、
「カノジョ」とチヤホャされ、友達にも「すご-い」と羨望の眼差しを向
けられる。コしよ.レ。この感覚が味わいたかったのl
すっかり優越感に浸る私だが、週末の夜、まどろむベッドの上でTに突然プロポーズされたときは、さすがに驚いた。
「こんなに人を好きになったのは生まれて初めてなんだ。オレ、不幸な家庭で育ったし、そういう家庭だけは絶対に作らないから。もちろんキミのご両親にもキッチリご挨拶に行く。だから本気で考えてくれないか」
眼差しは真剣である。でも、付き合ってまだ1カ月。結婚なんて。
「わかってる。返事は急がない。でも美子は必ずOKしてくれるって信じてるから」
1週間悩んで、心を決めた。
彼こそが自分の人生を賭けるにふさわしい相手。私は彼と幸せを掴むんだ。
「美子…あなた…」
突然の結婚話に、相手はあの横浜銀蝿のT話を聞いた母は、驚きのあまり言葉を失った。
「ダメなんて言ってもムリだからね。私はもう決めたんだから」
「…お父さんにはまだヒミッにしときなさい。先にお母さんと美子とTさんの3人で会って、お父さんに話しましょう。美子もその方がいいでしよ」
「うん。ありがとう!」
1週間後、軽井沢の喫茶店Y・テーブルを挟んだ向かい側に、サングラスを外したTが座っていた。
「美子さんとのことは真剣に考えています。結婚を前提におつきあいさせてください」
「Tさんのご両親はご存知なんですか?」
「ええ。あ、ボクはオフクロしかいないんですよ」
「あら、ごめんなさいね」
「いえ。もし娘さんをお手元に残したいなら、自分が婿養子に入っても構いません」
そんなことまで考えてくれていたとは…。感激で涙がこぼれそうになる。
母の答は、聞く前からわかっていた。
「ぜんぜん芸能人ぶってないし、感じのいい人じゃない」
数日後、スーツ姿の彼が実家へ挨拶にやって来た。父が反対したらどうしよう。その心配は、杷憂に終わった。
伍代夏子のコンサートチケットをプレゼントすると言われて、父は大はしゃぎ。穴があったら入りたい、恥ずかしさだった。
「ふつつかな娘ですが、どうぞよろしくお願いいたします」
帰り際、頭を下げる父を見て、胸に熱いものがこみ上げる。いよいよ私は元横浜銀蝿の妻になるのだ。
思えば、このときが幸せの絶頂だった。
その夜、彼はずっと押し黙ったまま車を転がしていた。
どこか思いつめたような横顔。 何かあったに違いない。
「どうしたの?」
「いや、何でもないよ」
「ナニよ、なんなの」
「オマエに話すと迷惑がかかるからさ」
「隠さないで、ってば」
「うん。…実は作曲家連盟に年会費を200万払わなきゃいけないんだけど30万足りないんだ」
詳しい事情は聞いてもわからない。
が、とにかくお金を 期日までに納められなかったら即座に除名、作曲家生命が絶たれてしまうのだという。
「知り合いに30万ほど貸して るんだけど、コイツがぜんぜん返してくれなくてさ。弱っ たよ」
「水くさいわね。お金だったら私が貸してあげるわよ」
思わず言った。
「悪いからいいよ。気にするなって」
「いいんだって。それぐらい の貯金ならあるし」
「…本当にいいのか」
まったく不審に思わなかったと言えばウソになる。が、未来のダンナ様のためなら、という気持ちの方が格段に強かった。
100万の貯金の中から、彼の銀行口座に振り込んだ30万円。すぐに返すからとTが言ったそのお金は、一向に戻ってくる気配はなかった。
むろん、露骨に催促したわけじゃない。それとなく話を振っても「そのうちな」と、
はぐらかされるだけ。まだ心配はしてない。
その慢心に、Tは付け入ってきた。1カ月後「オフクロが倒れてICUに入ることになった」と30万。さらに1カ月後、今度は「保証人になってやった知人が逃げた」と20万。4度目に無心されたとき、すでに私の貯金はすっかり無くなっていた。
「どうしてもムリ?」
「ごめんね。私もOLだから、そんなにお金持ってないもん。だったら私のお母さんに相談してみる?結婚相手なんだし、もしかしたら出してくれるかもよ」
「じゃあオマエ、会えるようにセッティングしてくれよ」
「え?」
あくまで冗談のつもりだった。それを、まさか本気で私の親からお金を借りようと思
うなんて…。私が真剣に彼のことを疑い始めたのは、それが最初である。
市内の喫茶店で、私と母、Tの3人が会ったのは、それから1週間後のことだ。
もちろん、お金を貸すためではない。母には事前にすべて事情を話してあり、その上で
改めて彼を判断してもらおうと考えたのだ。
Tは言った。
「ボクのお世話になった作曲家の方が5千万の借金を抱えたまま逃げてしまったんですよ。助けると思って、少しでもお貸しいただけないでしょうか」
「その方の財産などはないんでしよ」
「警察が差し押さえてるんですよ」
「…とにかく、今すぐ結論は出ませんので。家の者とも相談しませんと」
家に戻った後、母はきっぱり私に言った。差し押さえは裁判所の仕事で、警察がやるワケがない。あの男は怪しすぎる。少し前に「感じのいい人」と彼を誉めた母とは思え
ないほど、キッイロ調だった。
まもなく、Tが自宅に電話をかけてきた。父へ「返答」を迫るためだ。
そして、見込みがないと見るや、私に「サラ金に行ってほしい」とまで詰め寄る彼。
大好きだったTはどこにもない。
もはや、アイッがお金目当てで私に近づいたのは疑いようのない事実。ようやく、こ
こで私は完全に目を醒ました。悔しかった。悔しくて悔しくて涙が止まらない。私ばか
りでなく、両親までをダマした、あの男。殺したいほど憎かった。しかし、私はかろうじて冷静を保った。事を起こしても、さらに自分が傷つくだけ。そう考え、気持ちを抑えた。
数日後、行きつけのパチンコ屋の駐車場にヤシの車を見つけた。
「Tさんへ。私はもうあなたに付いていけません。別れましょう。あなたの言ってたことがウソかホントかはわかりません。ただ私にとって80万円は大金なので、ここに振り込んでください」
ワイパーに紙切れを挟みその場を立ち去る。自分の愚かさに、体がブルブルと震えた。
傷を癒しつつ時を過ごし、翌年の春を迎えたころ、1人の男性が私に好意を寄せてくれるようになった。彼は警察官だった。
これも巡り合わせかもしれない。私は恥をしのんで、事件のことを話してみることにした。
横浜銀蝿のTに結婚詐欺に遭った。80万円を願し取られた。もう4カ月も前の話。私ってバカだよね。彼はひと通り、私の話を聞いた後、驚くべきことを口にした。
「あのね……その男、Tなんかじゃないよ」
「え!」
「有名な詐欺師なんだ。いや、他の女の子にも同じ手口でダマしてるんだよ。ただ、みんな告発したがらなくてね。詐欺ってのは親告罪だから、警察も手をこまねいてるんだよ」
背筋が寒くなった。Tじゃない。じゃあ私は偽モノに金を騙し取られたのウソよ、そんなのウソ!
「ねえ、勇気を出してキミが訴えてくれないか。マスコミからは絶対にガードするから。頼む」
「…考え…てみる」
怨念がメラメラと燃え上がるのがわかった。慰めてくれる父や母や兄、友だちを前に覚えた死にたいほどの情けなさ。
こうして私は警察署を訪れ、担当の刑事に洗いざらいを告白 する。逮捕してほしい。その一心だった。
が、それでもまだ私の心は晴れなかった。どうしてもアイツに一言。
衝動はどうすることもできなかった。
ヤツの携帯に自ら電話をかけた。
「ひさしぶりじゃない。どうしてるんだ?」
男はノンキな声を出していた
「あなた、Tじゃなかったんだね」
「え、なに言ってんだ。オマエは」
相手の答を待たずに、電話を切った。
これですべて終わり、とはならなかった。
翌タ方、今度はTが連絡を寄越してきたのだ。
「少ないんだけど、お金、振り込んどいたから」
「え?」
「これからはちょっとずつ返すからさ。じゃあな」
私の銀行口座に6万円の振り込みを確認した瞬聞涙がこぼれ出た