私は原発の町東海村の最寄り駅、JR東海駅に降り立った。
口ータリーにあるのは、郊外型の大型スーパーのみ。あたりでジャージ姿の女子高生たちがキャッキャと戯れている。一見、何の変哲もない田舎町だ。
「いやあ、遠いところをわざわざすいません」金子氏(仮名、42才)は、約束どおりキヨスクの前に待っていた。人なつっこい笑顔\少しうだつの上がらなそうな風采は、過去に会った、裏仕事師たちとまるで雰囲気が違う。
「今日はお休みなんですか」「ええ。というか、今はちょうどオフでしてね」
原発の仕事は3カ月から5カ月がワンクールで、一仕事終わると、ー力月ほど休暇になるらしい。
「ま、とりあえず場所をうつしましょうか」
彼の案内で寂れた街並みを歩く。原発はここから5キ口ほど離れた海岸通り沿いにあるそうだ。
「発電所のあたりは電柱か全部可動式になってるんですよ。じゃないと原発の部品工場の馬鹿でかいトレーラーが通れない。それでも通れなけりゃブッタ切っちゃいますしね」
「近所の人は怒らないんですか」
「ええ、こういう町ってのはモノ事がぜんぶ原発を中心に回ってますかりね。文句を言う人間なんかー人もいませんよ」
間もなく我々は近くのカラオケボックスに到着。ウーロン茶が部屋に運ばれたところで、インタビューが始まった。
3カ月でサラリーマンの年収は稼げる
金子氏が原発で働きだしたのは今かり5年前。勤め先の寮のルームメイトにダマされたのがきっかけだった。
「ソイツ、私の保険証を使ってサラ金の金をつまみやがったんですよ。12社かり500万借りて次の日にドロン。ひどい話でしよ」
むろんそんな金を払う言われはないが、
「犯人が捕まるまでオマエが払え」と催促は会社にまで及び、結局、「迷惑だから」とクビを切られてしまう。
「そのあとは金もなくて、廃枚の小学校で寝泊まりしてました。メシはパン屋からパンの耳をもらってきたり、畑の大根を引っこ抜いたり。私、親が両方とも死んでて帰るところがないんですよ」
ーカ月後、彼に社会復帰のチャンスが訪れる。職安に通ううち、〈原子力発電所の軽作業員求む〉
の求人を見つけたのだ。
「条件は8時間労働で20万だったかな。けど、本当はもっと稼げるはずだってピンときて。原発の仕事が良い金になるって何かの雑誌で読んで知ってたんですね」
翌日、さっそく交番で交通費を借り、京都かり大阪の事務所へ出向く。面接の担当者はヤクザ風の男だった。
「いきなり、3カ月でサラリーマンの年収ぐらい稼げるこって(笑)。聞いたら、職安に給料が良すぎるのは困る』
って言われて、求人票にはわざと安く書いたみたいなんですね」
3カ月でサラリーマンの年収と言われれば、確かに心は動く。があまりにハイリスクな仕事。放射能を浴びることへの抵抗はなかったのだろうか。
「いや、そりゃなくはなかったですけど…。なんせ今日のメシにも困ってるような状態でしょ。背に腹はかえられませんよ」
こうして3日後、彼は、新潟県柏崎市へ向かつことになった。
「まず宿舎に入れられましてね。そこで原発作業員になるための手続きを済ませなきゃいけないんですよ」
原発にほど近いビジネスホテル。50過ぎのオッサンかりハタチそこそこのヤンキーまで、10人ほどの"お仲間"がいた。
「入所にはIDカードと暗証番号が必要なんだけど、それをもらうには病院の健康診断と"ホールボディ"と"放管教育"を受けなきゃいけない」
健康診断は何となく想像できるか、残り二つはどんな内容なのか。
「ホールボディは、体内の線量等量(被爆している量)を調べる検査ですね。法律で義務つけられてるんですよ。つまり、それまでどのぐらい放射能を浴びてきたか事前に計っておこうってわけ。ちなみに、原発で働く人間は、年間50mSVまでしか被爆しちゃいけないことになってます(一般人の被爆量は1mSVほど)」
「放管教育では、電力会社の社員から、徹底的に放射能に関する知識を叩き込まれる。「要するに安全教育なんですけど・・。『中性子』だの『核分裂』だのってやけに難しくて。授業中は居眠りはっかりでした(笑)。ただ、自分の身に関わることだけは頭の中に残るんですよ」
彼によれは、発電所の中は、放射能汚染の度合いによって、「A」「B」「c」「D」の4段階に分かれているらしい。「A」がほとんど汚染されていない最も安全なゾーンだとすれば、逆に最も放射能を浴びる恐れのあるのが「D」ゾーン。彼か入るのは他ならぬ、この「D」ゾーンだった。
放射性物質が付けば皮膚麻酔で皮膚を焼く
翌日、朝7時に叩き起こされた彼は、ワンボックス力ーに乗り初仕事に出かける。
「発電所に入る前にも、ウンザリするぐらいチェックを受けるんですよ。金属探知器からIDカードのチェック、人相の確認まで、全部で4、5回はあるかな」
作業員の装備も厳重だった。特にDゾーンの場合、ゴム手袋と作業着を二重に着込み、ゴム長を履いた上、ヘルメットと防護マスクを着用する。
「けどこの作業着、布製なんですよ。しかも、洗濯して何度でも使い回す。電力会社の人間は安全だって言ってたけど、ちょっとヤバイんじゃないかなって」
着替えが終われば、発電所内を奥へ奥へと進む。同じ会社の10人がーチームだ。途中でも色々な作業場で人が働いてましてね。電力会社の人間は
「全部で3千人ぐらいいるっていってたかな」
原子炉に突き当たった後は、エレべータと階段でDゾーンへ。そこは壁に無数のコードが張り巡らされたSF世界の工場のような部屋だった。
「いやあ、初めて入ったときはさすがに体が震えましたね。なんせ目に見えない放射能がいっぱい舞ってるんですから」
作業員の仕事は壁の点検である。一回ハズし、もし壊れていたら新しいネジに付け替える。誰にでもできる単純作業だ。
「やり始めて5分ぐらいたったころかな、首から下げたアラームメーター(ー日の基準の放射能を浴びたこと知らせる機械)がピッて鳴ったんで、すぐに作業を中断して、別の人間と交代しました」
作業が終わった後は、"退室モニター"と呼ばれるゲートで、体に放射性物質が付着してないかどうか検査を受ける。
「実は私、一回コイツに引っかかっちゃったことがあって。手首に付いてるって言うんだけど、石鹸みで洗ってもどうしても落ちないんですよ。こういう場合、皮膚麻酔で問題の個所を焼かなきゃいけないんです」
ずいぶん荒っぽいやり方だが、電力会社からすれば、放射性物質を「外」に持ち出すわけにはいかないのだろう。ちなみに、Dゾーンでー日に浴びる放射能は0.35m別ほど。週5日、3カ月間働けば20mSVをラクに越す計算だ。年間被爆量が50mSVに制限されていることを考えれば大変な数字である。
「ただ、毎日毎日Dゾーンに入るわけじゃなくて、B、C、Dって口ーテーションが組まれてる。B、Cあたりのー日の被爆量は。0.01ぐらいだから、まあ、ひとまず安心なんですよ」
臨界事故の夜は一晩中放射能を浴びていた仕事以外の時間は、ボーッと過ごした。他の者は風俗やパチンコで散財していたが、借金を抱えた身じゃそうもいかない。
「もっとも連中には小銭をずいぶんタ力られましたけどね。やれ酒買ってこいだのタバコ買ってこいだの。この業界、完全なタテ社会で新入りはパシリ扱いなんですよ」
そして迎えた給料日、彼は50万の金を手にする。が、
「もっとDゾーンに入れば給料あげてやるぞ。」って。悩みましたけど、結局、金の魅力には勝てませんでした。翌月は半分ほとDゾーンに入って100万、その次の月は毎日Dゾーンで150万を稼いだ。
「金が貯まるのは嬉しいんだけど、Dゾーンで働き過ぎたおかげで被爆量が20m別近くになっちゃって。これはヤバイなあと」
前記したように、原発で働く人間は50mSVまで被爆が許されている。ところが、電力会社は、独自の基準で年間被爆量を制限しており、実際に被爆可能なのは20m別程度。つまり、彼はその時点で向こうー年作業ができなくなったのだ。
「ま、仕方ねーかなといったんはあきらめたんです。けど定期検査の後で、放管手帳を受け取って驚いた。なぜか被爆量がゼ口って書かれてたんですよ」
この放管手帳には、どこの原発でどれだけ働いたかが細かく記されている。いわば、原発を渡り歩くために必要なパスポートのようなものだ。
「なんでゼ口なのかはよくわからないけど…。ま、私はそんなのどうでもいいんですよ。原発で働ければいいんですから」
その後、彼は全国の原発を渡り歩く。ー年間で平均2-3カ所。
「面白いのは、行く先々で必ず見覚えのあるヤツと出くわすこと。『よう、あんた東海村にもいたよな』って。やっばりみんなこの仕事のオイシサに辞められないんでしょうね」
ただ、体は確実に蝕まれていた。入所の途端、体重が10キ口近く落ち、オフになるやいなや元に戻るのだという。
「血の止まりも悪くなりましたね。歯の治療とか受けるとー日中血が流れっばなし。実際、今じゃ白血球が25パーセントも増えてて」
「死への恐怖とか感じたことはないんですか」
「うーん。それがなぜかあんまり感じないんですよねえ。まだ大丈夫だ、まだ死なないはずだって。きっと麻癖しちゃってるんでしょうね」
実は、彼は冒頭で述べた東海村の臨界事故現場にも居合わせていた。仕事はオフだったが、たまたま訪れた友人の家が現場のすぐ近くだったのだ。「あの晩は飲み過ぎて車の中で寝ちゃって。気つかずに一晩中、放射能を浴びちゃったんですよ。同僚の話じゃ、3キ口離れた発電所の警報装置が一斉に鳴ったらしいですからね。あのときばかりは『死ぬんじゃないか』って真剣に思いました」
ホールボディ検査の結果は、とりあえず(異常なし)だったらしい。