会話のタネ!雑学トリビア

裏モノJAPAN監修・会話のネタに雑学や豆知識や無駄な知識を集めました

睡眠時無呼吸症で寝坊遅刻をしてしまうシーパップ治療を受けるべきか?

入社してちょうど2カ月がたった日のことだったと記憶している。
スヤスヤと睡眠する私の耳が、ケータイの呼び出し音をキャッチした

ピビビ、ビビビ・あ-しつこい。こんな朝っぱらからいったい誰やい。
「尾形だけど」
「…あ、はい」
「オマエ、何してんだ」
「…はい?」

すぐに時計を見た

10時50分。

う、うそや!目覚ましのスイッチは…ありゃ、いつの間にかオフになつとるやないけ。
「あ、あの、え-とスンマセン。今起きました。すぐ行きます」
「…チッ、すぐ来い」
鉄人社の始業時間は午前10時30分だ。タイムカードはないが、遅刻は許されない
朝、編集部全員が集まり、各目担当ページの進行状況などを報告してから仕事に取りかかるのが日課だ。
〆切近くは帰るのが翌日、ということも珍しくないが、スタートは変わらない。それが
ルールだ。
もし遅刻しそうな場合は、最低限、始業時間前に連絡を入れる。
これはルールというより常識.

実際それまでにも何度か私は寝坊し10分ほど遅れます
と後ろめたい電話をかけたこともあった。
しかし、今回は違う。始業時間を過ぎても夢の中にいたばかりか、編集長直々に電話をもらう体たらくである。
ヘコんだ。ヘコみまくった。
使えるルーキーが入ってきたもんだと期待されなきゃいかんところを、逆に舌打ちされるなんて。何をしとんじゃい、ワシは
体を小さくして出社、改めて編集長に怒られた私に、社長は優しかった。
「ははは、遅れたものは仕方ないよ。次から気をつけるよな」
あ!、なんて暖かいおことば。
そうやそうや、こんなアホなこと、二度とやるかい。今日は何かの間
違いや。もう絶対、遅刻はしない。
するワケがない!

 

中高生時代にまで遡っても怒られた記憶はない。
なぜか。周囲の教師から半ば見放されていたからである。詳しくは伏せるが、当時の私は数度の補導歴や家庭裁判所への出廷歴もあるヤンチャさんで、もはや遅刻ごときでは、何の答めを受けることもなかった。

来るも帰るも自由自在。やりたい放題だったのである。
そして、初めて社会人として勤めた出した出版社。ここもやはり、ユルユルだった。
大半の人間が、やれ飲み過ぎただの、眠かっただのと、昼ごろにのそのそ顔を出す

始業時間などあっアってないよう状態だった。
つまり私は、これまでずっと、ぬるま湯のごとき時間の概念にどっぷり浸りきっていたのだ。
ただし、一つ断っておきたいのは、それらはすべて意識的な遅刻であるということだ.遅れても大丈夫だからという、いわば甘えの気持ちから来た行動である。
ならば、鉄人社において、なぜ始末書を書かされるほど遅刻を繰り返すのか。

遅れまいと固く心に誓っているのに、どうしてたやすく禁を破ってしまうのか。
それには、私が遅刻するときの睡眠状態を説明せねばなるまい。
早い話、目覚ましの音がどんなに大きくても、まったく聞こえていないのである。
あるときは無意識にスイッチを消し、またあるときは電池を引き抜いている。記憶は一切ぱい。
こんな状態で、どうやったら起きられるのか。ムリだ。
いやいや、そういう開き直りがマズいのだ。そもそも、自分がルーズな人間だという自覚が足りないんじゃないか。ちゃんと起きられた日でさえ、時間ギリギリに出社してるのがいい例ではないか。
イカン!もっと気合いを入れろ。自己洗脳するんだ。オレはちゃんと起きられる人間
だ起きられる人間だ起きられる人間だ起きられる……。

6度目か7度目かの遅刻の後、私は本格的な寝坊対策に取りかかった。もはや気合いだ気構えだなどと悠長なことを言ってる場合ではない。
まず手始めに、通販で超強力な目覚まし時計を購入した。
すでに目覚ましは2つ持っているが、コイッは、アラームと同時に布団へ激しい振動を送り込んでくる恐るべき代物。これなら音に反応しない私にも効果があるはずだ。
大好きな酒の回数も極力減らした。やむなく深酒した日は、できるだけ会社で泊まるようにも心掛けた(念のため言っておくと、私の遅刻は前日の飲酒の一息“に関係なく起こる)。
むろん、内心は恐くて仕方ない。
対策を施したところで、また遅刻してしまうのではないか。今度は始末書で済まないのではないか。
ビクビクとした日々が続いた。
ところが、ここで奇跡が起きた。
なんと、目覚まし時計が鳴る前に目が勝手に覚めて、1人でに起きてしまうのである。それもほぼ毎日だ。
社会人になってから今まで、平日の朝に、自力で起きるなんてことは一度もなかった。いったい私の体にどんな異変が起きたのか。
実はそのころ、毎日のように悪夢に苛まされていた。それも、遅刻がテーマになったものばかりだ。


窓から心地いいそよ風が流れ込む、我が6畳半のワンルーム。
クロワッサンとコーヒーの朝食に私は舌鼓を打つ。と不意に、視線の片隅に黒い置き時計の姿が。おや、そういえば今いったい何時なんだろう。ふうん、午後12時半か。…ん?え?ええっ.
とにかく本能が恐怖し、緊張していたとしか思えない。午前9時ごろになると、決まって忌まわしい夢が出現し、布団からバネのように跳ね起きる。そのつど顔面蒼白、心臓バクバク.精神衛生上、実によろしくない。
1カ月、2カ月、3カ月。出勤簿に欠勤の赤文字が記されることはなかった。入社以来の連続無遅刻の新記録達成である。何だかとても偉い人間になった気分だった。

今年4月。それは、まるで忘れていた用事がふと思い出されたように、何の前触れもなく再発した。
「藤塚か?」
「…は、はい…」
「寝てたのか?」
「……すいません。すぐに…行きます…」
電話を切ってしばし呆然。傍らには、寝ぼけて壁に投げつけ、破壊した超強力目覚まし時計が腹立たしげに仔んでいる。すぐさま携帯で時間を確認したら、デジタルの数字は11時7分を表示していた。
会社でこつぴどく絞られ、どうしようもない自己嫌悪に陥ったこの日から2カ月後の6月、またも私は過ちを犯す。言うのもイヤだが、またまた連絡無しの遅刻をやらかしてしまったのだ。
今回ばかりは、呆れ果てるだけの編集長とは違い、社長が声を荒げた。
「もうキミの言うことは信用できない。こっちは何度も何度も許してきて、その度に裏切られたんだ。わかるか?」
「…はあ」

「これから先、もう遅刻がなくなればそれでよし、続けばしかるべき処分も考えるつもりだから」
「…はぁ…」
信用や一雲切り、処分。
普段聞き慣れぬことばの数々に、私は明らかに動揺していた。
申し訳ありませんや今後気をつけますなんてことばは今さら口にできない。ただただ呆けた顔で生返事するだけ。実にツラい。
編集部の様子もいつもと違った。
以前ならおいおい酒の飲み過ぎかあ?オマエも懲りないねえと軽口を叩いてくれてた同僚が、誰も視線を合わせようとしない。不慣すぎて話しかけるのもはばかられるのか。それともみんな自堕落な私に怒っているのか。

こうしてその日、私は誰とも話すことなく終日を過ごした。社内
の喫煙所でタバコを吸うときも、
昼メシを食うときも1人。
そして帰宅途中、街で見かける、恐らくや集団生活で上手く生きているであろう、サラリーマン達に、パート風のオバチャンらに私は羨望の眼差しを向けるのだった。
輝いてるよ、オマエさんたちは。とてもマネできませんわ
バカは死ななきゃ治らない、とはよく言ったもんだ。その後、1カ月も経たぬうち、私はまたやらかした。7月のことだ。
今回ばかりは、会社からの電話ではなく自分で目を覚ました。ただし、時計の針は11時30分過ぎ。どういうわけか、樵帯の電源を切っており、会社側も連絡の取りようがなかったのだ(一般の電話は持っていない恐らくや鬼のメッセージが残されているに違いない。
こんな、世にも恐ろしい状況において、私は不思議に平静を保つていた・現実感がまるでないのだ。
何だか喜劇の主人公になった感じといおうか。実はギャグだったんスよ、今まで全部ワザとつす。社長、編集長の前でそうおどけてみたい衝動すら湧いてくる。
ひとまずシャワーを浴びた後、タバコに火をつけた。さあ、どうする。行くのか、オレは。会社に行っていいのか。んなアホな。
行けるかいや。それよりこのまま辞めちまうか。うん、それがいい。…いや、でもなぁ。
決心はつかなかった。会社へ行く行かぬ。どっちをとっても厳しい選択に代わりない3本、4本と、灰皿にタバコが潰されていく。
単車のヘルメットを手に外へ飛び出したのは、それから10分後のことだ。会社へ行こうと決めたワケではない。ただ、これ以上、部屋にいるのも耐えられなかった。
バイクのスロットルをひねると、周りの景色がスッと動き出す。

セブンイレブン脇の小道を突っ切って、甲州街道へ。
気つくと、ハンドルは慣れ親しんだ通勤路へと導かれていった。私はかっ飛ばした。渋滞の中、へ左へ、縫うように車を追い越していく。このままなら、会社ま
ではものの20分。…もう行ってしまうか。
しかし、ならばその前にどうしても社へ電話しておきたい。電話の声で、事前に編集長や社長の怒り具合を知り、心の準へ備をしておきたい。今日という今日は、覚悟が必要だろう。
しかし、どうしてもケータイに手が伸びない。どころか、向こうからかかってくる恐怖を思うと、いまだ電源すら入れられぬ体たらくである。

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思い悩む私の背中を押したのは、街道沿いに立てかけられた一つの看板だった。
どうなってもいいじゃないか。オレはよくやった。努力したし、悪夢に苛まされるくらい苦悩した。それでもダメなのだから仕方ないじゃないか。
クビになったら外国に行って、パーツと遊んで忘れりやいいさ。
新宿駅近くの車道に単車を停め、エンジンを切った。
「もしもし。藤塚ですけど…」
「おう、どうしたんだ。もしかして事故ったんじゃないかってみんな心配してたんだ」

と電話に出た編集長の声はどことなく穏やかだった。おかしい。すでにクビ決定なのかしら。
「とにかくすぐ来い」
「わかりました」
電話を切って、大きく深呼吸を一つ.さあ行くそ。

数時間後、処分が決まった。
1カ月間、減給10%。
重いのか軽いのか、内容だけいえば決して重くはない。給料が少しばかり減らされるだけで済んだのは、むしろラッキーといえよう。
だが、役所に勤める友人に言わ
せたら減給は公務員にとってクビに等しい制裁であり、また大企業に勤める友人などは一発で出世の道が閉ざされる厳罰という。
事態は想像以上に深刻
またまた暗い海の底へと転落していく。が、その落ち込みのさなか、私の頭に一つの疑念が浮かんだ。
始末書を害かされ減給処分を受け、それでも止まない私の遅刻。
懸命に起きる努力をしているにもかかわらず月に一度は大ポカをやらかす私。もはや、これは気の緩みなどというレベルではないのではないか。もしかしたら、私の意志ではどうにもならない大きな力が作用しているのではないか。
つまり、私はある種の病気ではないのだろうか

9月刀日。失態を犯した朝、疑念は確信に変わった。
間違いない。私はワケのわからぬ病に冒されてるのだ。一刻も早い治療を迫られているのだ。
数日後、私は有給を取り、病院へと足を運んだ。会社には私用とだけ告げた。下手に話すとバカ呼ばわりされるのがオチ。診断結果を見てから話すのが正解だろう。
向かったのは某精神病院だ。
異常なまでの眠りの深さ。目覚ましのスイッチを切断しても破壊しても、まったく記憶に残ってないイカレ具合。これすなわち精神病だと脱んだのである。ところが…。
問診の後、先生はキッパリと言った。
「精神病なんてとんでもない」
「はい?」

「確かにストレス性の症状は見受けられるけど、まったく正常な範晴だよ。心配なら、ここより睡眠外来に相談してみた方がいいんじゃないか」
睡眠外来とは読んで字のごとく、睡眠時に何らかの障害を持った人が通う診療科の一つらしい。行ってみるか。

翌日、別の病院で診察を受けた。
医師は私に言う。
「睡眠時無呼吸症ってやつですね」
むこきゅう。つまり、寝てるとき、私は息をしとらんらしい。って、ヤバすぎじゃん!
「いや、まあそんなに心配することもない」
医師は説明する。無呼吸症候群とは、何らかの原因で睡眠中、気道が閉鎖してしまう病気とのこと。
10秒以上の無呼吸状態が何度も繰り返されるため、深浅のリズムを繰り返す正常睡眠と違い、浅い眠りしかできないらしい。早い話、私は実際の睡眠時間の半分も寝ていなかったというのだ。
言うまでもなく、睡眠不足は体に疲労を蓄積させる。そして、そのたまりにたまった疲れがピークに達したとき、私は遅刻を犯していたのだ。
裏を返せば、無呼吸症の改善が快眠を取り戻し、ひいては異常な寝坊も無くさせる。話によれば、特殊な装置で気道を開放させるシーパップ療法を施せば治療可能で、中にはたった一度で、劇的に治った患者もいるという。
「本格的な治療には一度入院が必要だけど、重症じゃなさそうだし、大丈夫だよ」
安心させたいのか、単におしゃべり好きなのか、その後も熱心に治療法を解説する医師の話を、私は上の空で聞いていた。
窓から見える空が、何だか格別に青かった。

「とまあ、そういうことだったんですよ」
睡眠外来での診察を終えた翌日、私はイの一番に報告した。ぜんぶ病気のせいだったんです。私がダメ人間だからじゃなかったんです。軽やかに舌が動く。
「あはは、そんな病気にかかってたのか。大変だったな」
「ええ、まあ」
ああ、この感動をどう伝えればわかってもらえるだろう。積年のわだかまりが解ける瞬間。不満から同情への劇的な逆転。すべてはあるべき姿に戻ったのである。もうボクちゃんうれしい。
「じゃ、アレだな。いったん治療に専意してもらった方がいいかな」
「はい?」
「そんな病気じゃ仕事にならないだろう」
「一え?…いやでもそんなにかからないんで」
「いやいや。病気をナメちやいけないよ。とりあえず治療してさ。で治ったときにま
たウチと縁があれば、ね」
あれから2週間。社長のジョーダンともつかぬことばを真に受け、私は会社へ泊まり続けている。シーパップ治療はまだ受けていない。