北海道の片田舎の高校生だった僕が大学受験に失敗し、、浪人の道を考えたのは今から9年前のこと。両親は強く就職を勧めてきましたが、それもムリない話。知人の保証人になったことが原因で、当時1800万もの負債を抱えていたのです。どうしよう大学はあきらめるか。しかし。悩んだ末、僕は「新聞奨学生」どなり予備校に通う腹を固めます。自活するなら、と親も渋々承諾。
もちろん学生と同じようなキャンスライフは送れませんでした。浪人時代同様、新聞奨学生として学校に通っていたため、合コンやサークルにロクロク参加できなかったので支吐どうにも納得がいかないまま3年が過ぎ、就職シーズンがやってきましたが、このまま社会に出る気にはなれません。そこで最後の悪あがきと、「大学院」を数校受けてみたところ、信じられないことに、千葉の××大学院に合格
いゃあ、やってみるもんで大学院生とは大したもんだ。よし、入学金は私が出してやろろうと現金な父親は大いに喜び、加えて日本育英会の奨学生の審査にもパス、毎月8万円の学費が振り込まれることになりました。大学院に通い始めると、夜警のアルバイトに就きました。給料は月21万。家賃の3万5千円以外は、そのほとんどを生活費に回せます。時間的な余裕も出来ました。苫節7年、やっと僕は人並みの「学生生活」を手に入れたと言えるでしょう。ただ、今考えれば、これが間違いの元だったのです。
半年後の10月のある日僕は新宿歌舞伎町のヘルスの待谷室にいました。
「はじめまして、よろしくね一」
相手をしてくれたサキちゃん。色白で小柄なロリコンっぽい顔がモロに好みのコでした。さっそくモノをくわえてもらうと、アッという間に昇天。なんせ女は3年ぶり、ムリもありまぜん。
「あなたみたいな人好きよ」
営業上のお愛想とも知らずそれから僕は週イチペースで彼女のもとへ通うようになりました。ときを同じくして、パチンコにもハマりこちらも月に5万円散財。禁欲生活の反動が一気に出たようです。もっとも少ないバイト代じゃ遊ぶにも限界があります。ああ、もつとパチンコに行きたい、ヘルスにも行きたい。そんな餓鬼のような思いは膨れあがり、いつしか奨学金の使い込みが始まりました
「悪いけど、キミ、もう来なくていいから」
バイトの警備会社をクビになったのはそんなある日のこどです。勤務態度が悪い。それが解雇の理由でした。しかし、どうにも次の仕事を探す気になれず、僕ば、学生ローンやクレジットカードで捻出し始めます。自堕落な生活がすっかり染みついていたのです「金返せー」「払えないなら、腎臓売り飛ばしたっていいんだぜ」
借金の総額が200万にまで膨れ上がったところで、怖いオニーサンが現れました。「
なあ、アイッ、借金してるらしいぜ」「マジかよ」
壁を通して、隣の部屋のヒソヒソ話が聞こえてきます。どうやら僕の噂は寮中に伝わっているようでした。
「オマェ、何をやっとるんだ。借金取りからウチにいっぱい電話が入っとるぞ」
北海道の父親も激怒しながら連絡してきました。「・・ゴメン」
「とにかく金は自分でどうにかしろ」
借金取りのオニーサンが怖い、アパートの住人の目も気になる、親にも合わせる顔がない…。いたたまれなくなった僕は、全てを捨てる決心をし、アパートを飛び出しました。昨年10月のことです。
半日ほど山手線で揺られ、慣れ親しんだ新宿歌舞伎町へ。まずはサウナに落ち着き、翌朝、サキちちゃんと遊ぶと無一文になりました。我ながら呆れるほど毎計画ですが、3日後には、奨学金の8万円が郵便口座に振り込まれます。それまで何とかしのげばいい。僕はまだ軽く考えていました。
夜の街に秋風が吹き始め、革ジヤンの上からでも寒さが身に染みてきます。寮に帰ろっか。いやいや、弱気になっちゃダメだ。街を歩くこと数時間、新宿駅西口の地下鉄入りロで、終電に乗り遅れたサラリーマンがたむろする光景に出くわしました。
なるほど、ここなら風が吹き付けることもない。よし、野宿といこう。路上に横たわってみると、地面が固く背中が痛い。が、昔からどこでも寝つけるタチ。我慢しているうち、スッと眠りに落ちました。
翌朝4時ごろ、人の動き出す気配で目を覚ますと、ダンボールハウスの近くで、50人ほどのホームレスたちが列を作っていました。「ハイ、ドウゾ」何の気なしに列に並んでみると、外国人の男に日の丸弁当を渡されました。ラッキー。腹の減っていた僕は迷わずかぶりつきました。きっとボランティア団体か何かなのでしょう。生活手段のないホームレスのために食事を配っているに違いありません。満腹になったところで、隣にいたホームレスに質問してみました。
「あの人たち、毎日メシを配ってるんですか」「ああ、そうだよ」
ということは、ここに来れば朝飯だけは何とかなりそう。いや、ホームレスの多いこの新宿なら、他でもたべ物が確保できるかもしれない。でもこの歳でホームレスか…。ウソだろ。1週間後、僕はサウナとパチンコ屋の往復で奨学金を使い果たし、新宿西口に舞い戻ってきました。大バカもいいとこです。どうしょう。住み込み仕事でもやるか。新聞屋とかポーカーゲーム屋とかならすぐに雇ってくれるだろう。いったんはそう思ったものの、やはりどうにも働く気にはなれません。働くぐらいなら、路上生活の方ずっとラクなんじゃないか。
もはや僕は完全に社会不適合者になっていたのです。それから2週間ほどホームレス生活を続けるうち、1日のスケジュールのようなものができあがっていきました。新宿西口で眠り、朝に日の丸弁当をもらいます。始発が動き出せば、暖房の効いた地下鉄の構内で眠りますが、すぐに掃除のオバチャンに追い出され、高速バスの停留所(ここは暖房も効いている上ベンチもある)で再び横になります。こうして昼に寝ておかないと体力が落ちてしまうのです。
昼の12時ごろからは、アンケート要員のオバチャンを探しに街へ(新宿には三カ所のアンケートスポットがある)。つまり、アンケートに答えて、薄謝を頂こうというわけです。
「すいません、ちょっとよろしいですか」「はい、いいですよ」
首尾良く声をかけられると、付近のアンケート会場へ。
「このアンケートに答えたことありますか」「いえ、ありません」
「そうですか。じゃあ、お願いします」
2日3日と立て続けに通ってもスンナリ0K0オバチャンらもバイトでヤル気もないのでしょう。ゲットした薄謝(たいてい図書券)は金券ショップに持ち込みます。換金率は定価の9割程度。アンケート要員が見つからないときは、親切そうなお婆ちゃん相手に寸借詐欺を働いたこともあります。
「すいません、サイフ落としちゃって。キップかうお金貸してくれませんか」
空振りに終わることがほとんどですが、中には1千札を恵んでくれる人もいました。まったく、我ながら堕ちたものです。
ロ月某日、待ちに待った奨学金の支給日。勢い勇んで郵便局に行くと、残高がゼロ。おかしい・・・・
「キミ、学校に通っていないよね。悪いけど奨学金はうち切らせてもらったから」日本育英会の事務員の答に、僕は黙って電話を置くしかありません。金がない…。急に不安がこみ上げてきました。雪が降ったらどうしょう、病気になったらどうしょ、サウナにも泊まれないしクスリもかえないじゃないかー仕方ない。働くか。
いやいや、働くのはイヤだ。もっとラクして稼げる方法があるはずだ。考えに考えた末、僕は「ホモに体を売ろう」と思い立ちました。唐突に聞こえるかもしれませんが、実は以前2丁目のホモと話したことがあり、1回寝れば2、3万になると知っていたのです。多少の気持ちの悪さは我慢しょう。ところが、2丁目のゲイバーを何軒回っても断られてしまいます。
「いやあ、やっぱりモテるのはジャニーズ系なんだよね。キミじゃ苦しいんじゃないかな」どうやら僕はホモの世界でも、,失格の烙印を押されたようです。
「どうしたんだい」2丁目の公園のベンチで悲嘆にくれていると、荒井注似のハゲオヤジに声をかけられました。
「いや、最近、ロクにメシ食ってないんですよ」「よし、わしが食わせてやろ』「え、ホントですか」「そのかわり5千円で付き合ってくれるかね」
やけに親切なヤツだと思ったら、やっぱり目的はソレか。が、捨てる神あれば拾う神ありとはこのこと。僕は迷わずオヤジに付いて行きました。
「じゃ、フロに入ってきてくれ」連れて行かれた大久保のマンションの一室で、数週間ぶりのシャワーを浴びていると、突然、オヤジが中に入ってきました。
「お尻の穴はキチンと洗ったか」「はい」「どれ、見せてみろ」僕の尻の肉を左右に開いて紅門をチェックするオヤジ。「ダメだ。もう1回洗い直し」3回ほどダメ出しを食らい、ようやくフロからあがれました。「カワイイなあ」
ベッドに入るやいなや、オヤジが僕の体を触り始めます。鳥肌モノですが、ここは辛抱です。旺門にローションがたっぷり塗られ、死にそうな気分で挿人の瞬間を待っていたところ・・「痛いー痛いー」何度チャレンジされても、反射的に向こうの体を突き飛ばしてしまう。「仕方ねえなあ。じゃフェラでカンベンしてやるよ」強烈な異臭と生暖かい感触に耐えているうち、オヤジは射精。それは、恐ろしい味がしました。
年末も押し迫ったある日、ダンボールハウスの住人に声をかけられました。「あんちゃん、そんなとこで寝てちゃ寒いだろ」「はあ」「ダンボールハウスを作ってやるから付いてこい」彼の各剛は山さん。歳は50を過ぎているでしょうか。ニッと笑った口の中には数本しか歯が生えていませんでした。
「ダンボールハウスはな、底を二重にするのがコツなんだよ。こうすりゃ寝るとき背中が痛くならないからな」
山さんが、西口の電気街のゴミ遣き場から調達してきたダンボールを、ガムテープで組み立てていきます。
「よし、これで完成だ」さっそく"我が家"に入ってみると、言うほどに背中の痛みは和らぎません。天井も低くまるで棺桶の中に閉じこめられたよう。お世辞にも、住み心地がよいとは言えません。
「腹へっとるか」「ええ、まあ」「じゃあ、付いてこい」
路上で、6人ほどのオッチャンたちが車座になり酒盛りをしていました。
「おう、あんちゃんが新入りか」「ええ、まあ」「なんでまた新宿に来たんだよ」「いや、べつに大した理由があったわけじゃ・・オッチャンらが実に気さくに話しかけてきます。
「ほら、食え」
缶詰の残りモノ、食いかけの焼き魚、跡のあるハンバーガー、茶色に変色した野菜など、どれも明らかな残飯ですが、思い切って食べてみるとこれがなかなかイケます。「飲め飲め」紙コップに注がれた酒も口に含んでみます。しかし、こちらはえらくマズイ。「これ、何なんですか」「ガハハ、、ホームレスブレンドだよ」
聞けば、歌舞伎町の居酒屋やゴールデン街など、酒場のゴミ箱を漁り、酒瓶の残り酒を集めたものだそう。要するに、ウィスキーからウォッカ、日本酒に至るまで、あらゆる酒がブレンドされてるってわけです。
「ほら、もう1杯飲め」
先輩に勧められてはムゲに断るわけにもいか丈チビチビと飲んでいるうち、突如として気分が悪くなってきました。結局、朝まで吐きまくり、お腹は元の空っぽ状態に。翌日は2日酔いで立つこともできませんでした。
この日を境に、僕は彼らと行動を共にするようになりました。おかげで、生活は格段に豊かなものになったと言えるでしょう。特に有り難かったのは、彼らがゴミ箱から服を拾ってきてくれたことです。2カ月間ぶりに袖を通した新しいシャツの何と気持ちよかったことよ(ただ、毛布だけは自分で拾ってきました)。食料の調達でオイシイのはファーストフードのゴミ箱です。ハンバーガーは紙袋に包まれているため、他のゴミとごちゃ混ぜになっても味が変わらないのです。
このゴミ漁りは、必ず4人で出かけました。4人には、ゴミ漁り役と仕分けという二つの係りがあり、仕分け役は、そこからさらに、野菜係、パン係、肉係の3つにわかれます。つまり、ゴミ漁り役は、野菜なら野菜係、肉なら肉係といった具合にブツを渡していくという流れ。で、僕は野菜係でした。
それが終われば、前記したホームレスブレンドを作りに行きます大半の酒瓶からは雀の涙のような量しか取れませんが、連の良いときは半分以上残っていることもありま支ちなみに飲み水は花園神社の水道本ぜベットボトルに汲んできました。やはり飲み水はトイレからってわけにはいきません。
新宿区役所で毎日カンパンが配られるということも彼らに教わりました。さしてウマくはありませんが空腹だけはシノげます。また、中央公園では、週に一回、ボランティア団体がみそ汁を振る舞ってくれ、僕は毎週インスタントラーメンのカップなどを持って長蛇の列に並びました。
「こらオマエ、そんな汚いもので飲もうってのか。せめて洗ってくるぐらいせんか。まったく、有り難いって気持ちがねえんだろ」
横柄な態度の職員にムカッ腹が立つことも少なくないのですが、凍えるようなこの時期、みそ汁は貴重品。グッと我慢しなければなりません。
路上生活も3カ月目に突入すれば、道行く人の目も一切気にならなくなりました。フロにも入らず、髪もボサボサ、ヒゲも伸び放題。もう身も心もホームレスそのものです。おかげで、寸借詐欺やアンケート調査はできなくなってしまいました。
「じゃ、雑誌拾いをすればいいんじゃねえか」
山さんがいつものトボけた調子でそう言います。都内の方なら、新宿駅西口でホームレスが拾ってきた雑誌を一冊100円程度で売っているのはご存知でしょう。ここに週刊誌や少年マンガなどを持ち込めば元締めが一冊50円程度で買い取ってくれるのです。
「けど、どこで拾えばいいんですかね」「ま、駅のホームのゴミ箱がいいだろな」
さっそくなけなしの120円で切符を買い、JR線のホームに入ってみましたが、お宝は一向に見つかりません。どういうことだろう。見れば、駅のホームには他のホームレスの姿もちらほら。どうやらライバルたちに先を越されているようです。これはうかうかしちゃいられません。とそこへ、いかにもマンガ雑誌を捨てそうな素振りの男がー人。「ジャンプ」を小脇に抱え、ウロウロしています。よし。ゴミ箱に入れた瞬間に拾おう。と後を付けていたところ、スーッと山手線が。ヤバイ。このままじゃ乗っちまう。「すいません。そのマンガいただけませんか」
声をかけ、ウサン臭がられながらも1冊ゲット。よし。勝負はこれからだ。ところが、半日粘ってみたものの、集まったのは3冊だけ。これじゃ差し引き30円の儲けにしかなりません。考えた結果、僕は自分でこの雑誌を売ることにしました。元締めさえ通さなければ、実入りは倍になります。
ただ、雑誌拾いは、ショバ代を払わないとできないため、うっかり見つかれば、ホームレス社会からつまはじき、もしくはヤクザにボコボコ。実にリスキー極まりない行為なのですが、背に腹はかえられません。が、びくびくしながら伊勢丹の裏に並べてみたところ、3時間で1冊しか売れません。あまりのワリの合わなさに、雑誌拾いは1日で止めました。
3月半ば、道端でヴィトンのサイフを拾った(金は入っていなかった)
僕は、買い取り額が高いことで有名な上野の質屋へ向かって歩いていました。ヒマは腐るほどあるだけに、徒歩4時間の道のりも苦になりません。しかし・・
「いやあ、これニセモノですね」
店に行くと、店王が冷たく言い放ちます。結員買い取ってもらえず、スゴスゴと退散することになりました。夜中の1時ごろ、テキトーに道草しつつ新宿に戻ってくると、アルタ前でコギャル3人組が毛布にくるまっています。おおかた援助交際でもしながら暮す家出少女なのでしょう、じゃなきゃ毛布など持ち歩いているわけがありません。
「ねえ、キミたちそんなところで何やってるの」
むしょうにセックスがしたかった僕は、思い切って彼女たちに声をかけました。
「ハァ?」「もし寝るところがないんだったらウチにこない」「バカじゃん」
ガックリと肩を落とし西口に帰ると、我が家が跡形もなく消えていました。きっと都の定期的な撤去でしょう。まったく、こっちはヘトヘトだってのに、、新しいダンボールハウスを作る気力など無かった僕は、久方振りに路上で眠りにつきました。
その翌朝、パンツの中の妙な異物感に目が覚めました。なんだろうと手を入れて仰天。ウンコを漏らしていたのです。もしかしたら長いホームレス生活がたたり、肉体と精神がおかしくなってしまったのでしょうか。
これ以上ホームレスを続けたら死んでしまう。そう考えた僕はついに社会復帰を決意します。まずはゴミ箱からスポーツ新聞を拾い、三行広告の中から大久保の金融業者を選び出し、面接へ。もちろん、コインシャワーを浴び、拾ったスーツで身だしなみも整えました。
「じゃ、明日から来てくれ」
仕事はティッシュ配り。給料は歩合制で、一個配るにつき3円もらえるとのことでした。その3週間後、最初の給料が15万ほど出て住居をサウナに移したものの、すぐに金を使い果たし路上生活へ逆戻り。まったく、僕の自堕落は底無しでなぜかコギャル2人組に逆ナンされたのはそんなある日のことでした。彼女らの案内で妙に怪しげな雑居ビルのバーへ。と、明け方、怖いォニーサンたちが登場しました。
「40万になります」「え」「お金はないんですけど」「オマエ、ナメてんのか」「…いえ」「殺しちゃうぞ、コラ」
ビビリまくった僕は、社長から金を借りようと、連中を勤め先に連れていきました(会社は社長の自宅)。
「すいません。ボッタクリに遭っちゃったんですけど」「なにやっとんじゃ、オマエ。よし。オレが話をつけてやる」
料金が3万に減った上、この金を肩代わりまでしてくれる社長。
「ところでいつも気になってたんだけど、オマエえらく服が臭いだろ。頭もボサボサだし。いったいどういうことなんだ」「…実は」
成り行き上、洗いざらい告白するしかありません。
「オマェ、すぐ田舎に帰れ。それで人生やり直せ」「でも親が…」「
心配すんな。オレがよく言っといてやるから」
社長が実家に電話をかけると、親も心配してたらしく、「すぐに帰ってこい」という思ってもない返事をもらいました。
「じゃ、これ帰りの飛行機代な」帰郷する前の日、社長から5万円を渡されました。そこはクサッても金融屋。きっちりトイチの借用書を書くことに。こうして僕は毎事に帰郷しました。相変わらず親は「就職しろ」と口うるさいですが、今のところその予定はありません。