タイの刑務所、と言われて皆さんはどんな世界を想像するだろうか。看守、食事、雑役…。大半の人が皆目見当も付かないはずだ。
実際、このオレもそうだった。それまでは日本の警察にすらお世話になったこともなかったのに、いきなり異国タイ・バンコクの刑務所行きである。入る前の恐怖といったら、生半可なものではなかった。
実際、その中身はオレの想像を遥かに越えていた。人権などまったくない代わりに、金さえあればどうにかなるという非常識がまかり通った世界。そこで暮らした3カ月の月日は、オレの中で未だ強烈な体験として棲み続けている。
この思いは一生消えないだろう。
単なる一般日本人のオレが、なぜこんなハメに陥ったのか。当時、日本の新聞でも大きく報道された事件の真相と、タイの刑務所の実態をつぶさに報告しよう。
たかが家庭内ビデオで撮影していただけで
オレは6年前より、2才年上のビジネスパートナーTと共にフェチ系ビデオの販売・制作会社を共同経営している。ハードな性描写などがないぶん、大して儲かるわけではないが、生活するに困らないだけの稼ぎはあった。
そんなオレたち2人に、某ビデオ制作会社からタイでビデオを撮影しないかという話が舞い込んできた。現地のコーディネーターやモデル事務所などは、すべて制作会社との相乗りでOKという。条件は悪くない。オレとTは簡単な撮影機材をバッグにバンコクへ乗り込んだ。
滞在は5日間の予定で、最初の2日で足フェチ関係のビデオを撮影。3日目に休みを取り、2人してビデオカメラを片手に繁華街へ出かけた。
実は、そのとき持っていたのが、赤外線撮影で話題になったソニーの〈ナイトショット〉なのだが、決して不純な目的があったわけじゃない。観光がてら、街を歩く女
の子の姿でも撮影しようと思ったに過ぎない。
バンコクの繁華街にある、そごうデパートの休憩所で、店内で撮ったばかりの画像をチェック、さあ行こうかと立ち上がり、出口から5,6歩進んだところで、いきなり2人の男に腕を掴まれた。
一瞬、物盗りかと思ったが、どうやらデパートの私服警備員らしい。しきりにビデオを指差している。撮っちゃマズかつたのか。
とりあえず、彼らの指示に従いデパートの保安室のような部屋へ入り取り調べを受ける。
今から思えばここで金を払っておけばよかったのだ。タイでは、中指と人差し指を親指にこすり合わせるしぐさが金を意味するのだが、確かに彼らもそんな動作を取っていた。
しかし、たかが家庭用ピデオヵメラで撮影していただけである。注意されるのはわかるが、金を要求される筋合いはない。オレは正直、事態を甘く見ていた。
しかし、それは10分後にツーリストポリスと呼ばれる2人の外国人専門の警察官が現れた辺りから、徐々に不安へと変わっていく。ことばや態度こそやっわらかなものの、彼らはオレとTをパトカーに乗せ、所轄の警察署まで連行してしまったのだ。
おいおいなんでこうなるんだよ。
冗談だろ。まったく事畢情が飲み込めないが、何やらとてつもなくヤバイ雰囲気だ。
とにかく、まずはコーディネーター(現地に住む日本人)を呼んでもらおう。ことばが理解できないんじゃ話にならない。
が、警察は外部と連絡を取るのは一切許さないと言う。くそ-、どうすりやいいんだ。
罪認めなかったら3年の刑になっていた
途方に暮れていたところへ、1人の日本人が現れた。日本のTV局の仕事でタイの警察を取材に来ているらしい。オレはワラをもすがる思いで、彼(仮にAとする)と面会をさせてくれるよう頼み込んだ。
「なんとか、穏便にすませてもらうように言ってもらえませんか」
「わかった、わかった」
面会に応じてくれたAは実に頼もしいことばをかけてくれた。よかった、いい人に巡り会えて。正直、救われた気分だった。
ところが、そんな喜びも瞬時のうちに消えてしまう。Tがビデオのパッケージの裏にメモしていたものを見た途端、Aの態度が一変したのだ。タイ人にはわからない旅行者を専門に取り締まるタイのツーリストポリスだっただろうが、Aはウチのレーベルのことを知っていたのである。
「なんだ、おまえ、エロ屋じゃねえか。じゃあさっきのビデオもエロ目的で撮ってたんだろう。」
エロ屋と言われれば否定できないが、まさか同じ日本人の彼がオレたちの足を引っ張るなんて思っていないから、聞かれるままにすべてを正直に話したのだ。気を許したオレたちがバカだったのか。
しかし、Aの本当の目的は別にあった。
せっかく警察へ取材に来たのだから、ヤシとしても面白い話が欲しい。そこに同じ日本人が捕まっているという話を聞き、しかも面会を求めているという。
意外な展開に、Aも最初は戸惑い、思わずオレたちに応援するようなことを言ったのだろう。が、オレたちがエロ屋だとわかった途端、考えが変わったのだ。騒ぎを大きくすれば、いい絵が撮れるに違いない、と。
それが証拠に「あくまで趣味で撮っていた」とAに説明していたにもかかわらず、ヤシは警察へ次のように通訳してしまう。
「こいつらビデオ業者で、販売目的でビデオを撮影してたんですよ。とんでもないヤシらですよ」
気がつけばタイのマスコミがやって来て、テレビカメラも5台ぐらいが並ぶ中、オレた
ちはさらし者になった。この模様を遠くからカメラを抱え撮っているAの姿は今でも忘れられない。
後で知ったことだが、この騒動はタイの新聞の1面トップで報道され、さらには日本のテレビニュースでも流された。事態は一気にヤバイ方へと傾いたのである。
どうなるのだろう。このままムショ送りなんてことになるのだろ
うか。まさか。たかだがビデオなのだ。日本じゃ罰金刑がせいぜいだろう。いや、そんな常識は通用しないかもしれない。なんせ、ここは異国、タイなのだ。
留置場へ一泊した翌日、オレとTは裁判所に向かう護送車に乗せられた。なんと、昨日の今日で、もう裁判が行われるのだ。
車中、通訳を兼ねたツーリストポリスから意外な話を聞いた。
「あんたたちも運が悪かったね。あのビデオカメラ、昨日法律ができてねえ、持っているだけで罪になるんだよ」
聞けば、タイでは前日にソニーのナイトショットを所持しているだけで罰せられるという法律ができたという。そんなバカな!
「ヘタに隠しだてすると裁判長に対して心証がよくないから正直に罪を認めたほうがいいよ。たぶん、罰金ですむから」
ツーリストポリスのことばに勇気づけられながら、裁判に臨むオレとT・アドバイスどおり、法廷では罪状については争わず、すべてを素直に認めた。
中国系タイ人の裁判長が最後に文章のようなものを読み上げる。どうやら判決が下りたらしい。どうなんだ。罰金で済んだのか。思わず隣にいるツーリストポリスを見た。と、一肩をガックリ落とし、うなだれている。まさか…。
「あのね、禁固3カ月だって。でもね、罪を認めたからよかったんだよ。認めなかったら3年になるところだったんだから」
「・・・・・」
体から全身の力が抜け、オレはへナヘナとその場に座り込んでしまった。護送車に乗せられやって来たのは大きな刑務所だった。入り口に
〈バンコク・スペシャル・プリズン〉と書かれている。まるで映画でも見ている気分だ。オレはまだ自分が置かれている境遇がはっきり理解できていなかった。すぐに釈放されて国外退去になるんじゃないか。まだ、そんな気持ちも残っていた。
現金などの持ち物はすべて預けた後、Tシャツに短パン姿のまま、房に入れられた。この刑務所には8つの棟があり、省裸8つの部屋に分かれているのだが、新入りが入るのは1号棟の1号室だ。
部屋は真ん中に通路が走り、その両側に一段高くなった板の間が並んでいた。いかにも窮屈そうだ。
新入りのオレたちは、部屋の牢名王のような人間から、トイレ近くの寝床をあてがわれた。便所のそばというのは少し抵抗を覚えたが、それがまだマシなポジションであることは、その日のうちにわかった。
というのも、囚人全員に板の間が用意されているわけではなく、消灯時間になれば、通路の部分にも折り重なるように人が寝ているのだ。タイの刑務所はどこも定員オーバーの状態らしい。
ちなみに、通路に眠るのは、タイの周辺の国、たとえばミャンマー、インド、カンボジアといった国々から来ている連中。
こうして始まった刑務所暮らしは驚きの連続だった。まずトイレに紙がない。水槽のようなものがあってそこから水を汲んで尻を洗うのだ。日本の水洗トイレに慣れた人間には、かなりキッイ。出される食事は、雑魚を煮たスープに米が入れられたもの。まさに豚飯というべきか、とても食えたもんじゃない。
風呂に関しては、大きな水槽のある場所で裸になり水を浴びるだけ。シャワー等は一切ない。
「あなたたち、日本人?」
2日目の水浴びの時間、日本にいたことがあるというイラン人から話しかけられた。けつこう流暢しやくりだ。
「他にも日本人いるよ」
「え、ホント?」
「1号棟にいるよ」
翌朝、さっそくオレは1号棟の中を探し回り、洗面所で歯を磨いている日本人を見つけた。不安ではちきれそうな異国タイの刑務所で日本人に会うとは、まさに地獄に仏だ。
仮にHさんとしておこう。彼はタイ女性を日本に不法入国させようとした容疑がかけられており裁判で争っている最中で、ここに来て2年になるそうだ。日本なら未決囚は拘置所にいるはずだが、タイでは係争中でも刑務所に入れられるらしい。
Hさんによれば、日本人は金を持っているため、弁護士にだまされ裁判になるケースが多いそうだ。すでにHさんは2年で500万円という金を使っているという。
実はこのHさん、この後オレたちが刑務所を出る少し前に無罪判決を勝ち取った。が、刑務所に入れられていた2年という月日が返ってくるわけでもない。オレは裁判でヘタに争わず、すべてを認めた。オレたちはだんだん、「すべてはカネがものをいう」という、この刑務所の什組みを理解するようになっていった。
カネがあれば、1日100バーツのチケットを購入、棟内の売店で自由に買い物できる。1バーツ3円だから日本円にすれば300円程度にしかならないが、ここでは買い物が可能だ。
オレたちは、まず食料を買い漁った。前記したように決まった食事で、とても食べる気になれない。が、売店でサバの雷詰や、パンに砂糖をまぶしてバターをつけたものなどを買えば、豚飯を食わずに済む。さらにはカネさえ払えば出前も可能で、ピザやマックのハンバーガーなども食べられた。
金の威力は、オレたちが新入りを卒業し、1号棟から出る際にも発揮される。Hさんは、他に2人の日本人がいる4号棟の1号室がたことを改めて正解だったと確信した。
いいと勧めてくれた。ただし、それには刑務所側への賄賂と棟のボスへの謝礼として1人2,3万の金が必要だという。
各棟とも1号室はVIPルームと呼ばれ、金のある連中が集まっている。加えて、日本人が2人いるとなれば心強い。
オレとTは迷うマもなく金を払い、4号棟1号室へ行くことにした。もちろん、タテマエとしては刑務所側から言い渡される格好だ。
さて、オレたちが移り住んだ4号棟1号室には、パン泥棒から人殺しまで様々な住人が住んでいた。詳しくは左のイラストを参照してほしいが、その中でも一際大きな存在が4号棟のボス、S氏だ。数人も人を殺した中国系タイ人で、日本流に言えばヤクザの親分といったところだ。
オレたちはこのS親分にかわいがられ、何かと世話を焼いてもらった。例えば、普通の囚人は木工をはじめ様々な労働に就かされるのだが、親分の口利きで、オレとTは図書を担当することになった。本を貸し出す以外は1日中寝ててもいい、死ぬほどラクな仕事である。
もちろん、これもすべて金ワイロを渡したからこそなのだが、逆にいえば、金さえあればムショ暮らしもある意味、そんなに苦痛ではないということだ。
実際、オレは看守にワイロを渡して持ち込み禁止のウォークマンを手に入れたし、許可されていたタイ語と英語以外の本も購入した。なんせ、ボスに頼めば、シャブまで入手できる世界なのだ。ないのは、アルコールと女ぐらいだったかもしれない。
こうしたオレのような囚人に比べ、周辺諸国からやってきた連中は悲惨だ。彼らのほとんどは金がないから、ジュースも飲めない。
そこで、他の囚人の洗濯などをしてジュースをもらう。ここでは缶ジュースやタバコが「現金」の意味を持つのだ。
最初はオレも衣類ぐらい自分で洗わなくちやと思っていたが、周りの人間から「可愛そうだから洗濯させてやりなよ」と言われて気がついた。周辺諸国から来ている人間は下働きなくして、ここで通用する「現金」を手にできないのだ。ちなみに、相場は洗濯1回で缶ジュース1本。これをそのまま飲むもよし、他の生活必需品と交換してもよし。中には「現金」を貯めて、寝るときに敷く薄い布団のようなものを売店で買う連中も少
なくなかった(金のないヤツは布団なしで寝なければならない)。
オレが特に面白いと感じたのは、オカマの囚人たちだ。彼というか彼女たちは、他の囚人相手に売春したりして「現金」を稼いでいた。こちらの相場は、売春1回でタバコー箱。オレもかなり売り込みをかけられたが、さすがにその気にはなれなかった。
刑務所の囚人たちはオレとTを見ると、よく指を指しながらビデオを撮る真似をした。テレビのニュースで知ったらしい。何とも恥ずかしい限りだが、これは逆に、周りに笑われるぐらいの犯罪でよかったともいえる。と
いうのも、ここでは罪状により他の囚人にリンチにあうことも珍しくない。例えば、自分の娘をレイプしたという罪で入ってきたインド人の男は、何人かに囲まれボコボコにされていた。
看守による暴力もある。彼らは長い棒のようなものを持っているのだが、違反者には容赦なくこれで叩きのめす。一度、カツとなった囚人が看守に殴りかかろうとし、逆に半殺しの目に遭ったこともある。囚人同士のケンカも2,3日に一度は起き、それが原因で死んだヤツもいた。まったく酷いところではある。
が、そうしたトラブルに巻き込まれるのは決まって近隣諸国の囚人たちだ。オレたち日本人の場合は、看守に違反が見つかっても、おいおいってな感じで、体をボンボンと手で叩かれる程度。ケンカを吹っかけられることもなかった。そういう意味では、実に気楽である。日本の刑務所では絶対、こうはいかないだろう。
入所して2週間ほどたったころ、日本大使館の人間が面会にやってきた。海外で刑務所に入っている者にとって、大使館の存在は実に心強い。どうしてこんな目に遭っているのか、ぜひ事情を聞いてもらいたい。
と、思ったオレがバカだった。
日本大使館の男は、オレとTに会うなり、こう言い放ったのだ。
「おまえらか、あんな恥さらしなことしやがって。タイにいる日本人はおまえらのおかげで肩身の狭い思いをしてるんだぞ!」
事惜を話す余裕などまったくない。ただただ一方的な恫喝である。
普通、先進国の大使館はできるだけ自国の法律で犯罪者を裁こうと、すぐに国外退去させると聞く。が、日本の大使館員にそんな様子は微塵もない。タイという国に染まり、ワイロボケしているんじゃないかとかんぐりたくなった。
ワイロといえば、入所後まもなく連絡が可能になった日本人コーディネーターもアテにならなかった。少しでも早く出所できるよう、自分の顔が利く実力者にワイロを渡そうと言われ、100万円を出したのだが、実際にはそうならなかった。本当に実力者に金を渡したのか、それとも自分のポケットの中に入れてしまったのかは調べようもない。
そんな落胆するようなことはあったもののすっかりムショ暮らしに慣れてきた。朝7時の笛の音で起床し、売店から購入した朝食を部屋で食べた後は、1日中図書館でぼ-つ
としてるだけ。たまに、刑務所内で行われるボクシングの試合(所内にボクシンク場があった)やオカマのチアガールが登場するサッカーの試合などがあるが、基本的には退屈で仕方ない。
オレは中庭の池で、棒キレに糸を付けその先にパンを結んで釣りをしたりと、とにかく、いかに時間を潰すかを毎日考え続けていた。もう少しで、刑期の3カ月を迎えるというある日、先に刑務所を出たHさんから、とんでもない情報が届いた。なんと、ここを出てもすぐに帰国できないというのだ。
Hさんによれば、出所したら、再び所轄の警察署で3日ほど過ごす。次に空港近くの幼思直場に移され国外退去を待つのだが、ここには国外退去者がたまっていて、手続きに2週間ほどかかるらしい。しかも、そこの留置場が、今オレたちがいるところよりヤバい環境というではないか。
この暮らしだって一刻も早く終わりにしたいのに、より劣悪な場所で2週間とはとても耐えられない。いやいや、何でも金で解決できるこの国のこと、逃れる方法はあるはずだ。オレは日本にいる家族や知り合いに、タイにコネを持っている人間を知らないかファックスを送りまくった(看守に、金と一緒に送る文面を渡せばOK)。
と、間もなくその中の1人から、タイで手広く商売をしているP氏なる日本人を知っているという連絡が。すぐに交渉をしてもらった結果、P氏より「軍の上層部の人間を知っているので1人100万円でどうにかなる」と返事が届いた。
1人100万、オレとTで200万。いかにも足下を見られているが、背に腹は代えられない。オレたちは一も二もなく了解するしかなかった。
刑務所に入ってきっちり3ヵ月後のオレたちはめでたく出所となった。本当にすぐ日本へ帰れるのか。少し不安を感じつつ所轄の警察署へ向かう。
果たして、オレたちはわずか2時間で警察から解放された。やはり、この国では大半のことが金で解決できるのだ。
その晩は、迎えに来てくれたP氏と一緒にバンコク市内のホテルへ宿泊。普段はめったにアルコールを口にしないオレでも、さすがにビールを飲みたくなった。が、これで本当に安心していいのか。この国は最後の最後まで何かあるかわからない。
そんな気持ちを知ってか知らずか、P氏は言う。
「ウチの従業員が先日、交通事故を起こしましてね、1人殺しちゃったんですよ。でも、警察関係者に10万円渡したら、事故そのものがなかったことになったんです」本当にとんでもない国だ。だからこそ、まだまだどうなるかわからない。
翌日、警察関係者とおぼしき男がやって来て、空港へ。男は航空警察で手続きを終えた後、日本語で話しかけてきた。
「アナタのコンピュータの犯罪歴を消しておいたから、いつでもこれるよ」
どうやら、払った100万には犯罪記録の抹消代も含まれていたらしい。そんなものまで金で何とかなるのか。まったくこの国は…。