そろそろ30代半ばにさしかかる私は、10代のころからギャンブルに目がなかった。パチンコはもちろん、馬券も買うし、カジノバーにだって出入りする。一般には馴染みの薄い競輪や競艇にまで小遣いをプチ込む口だ。もちろん生活は荒れ果てている。
長いギャンブル歴の中でたった一度だけ
「熱くならなかったレース」に投資したときの話だ。わずか数カ月
前のあの4分間、なけなしの金を賭けておきながら、私の気持ちは何故か冷めていた。今もってその理由はよくわからない。
なぜだろう。ほぼ勝てるとわかっていながら、なぜ私は熱くならなかったのだろう…。
話は今から10年近くも前にさかのぼらねばならない。いつものように地元の盛り場をフラついていたとき、ずいぶん懐かしい顔が目の前を歩いているのが見えた。
「あれ、お前、岡田(仮名)じゃないの?」
「お-、久しぶりだな」
「覚えてたか?いや、懐かしいな」
この男、岡田は、私の中学時代のクラスメイトで、親友と呼べるほどではなかったにしる何度か一緒に遊んだことのある仲だった。
とはいえ、普通その程度の知り合いなら、町中ですれ違ったぐらいで声をかけるような真似はしないもの。気つくことすらないかもしれない。
私が一目見て岡田だとわかり、あえて自分から声をかけたのは、ヤシが高校卒業後に競輪のプロ選手になったと人づてに聞いていたからだ。
「自転車やってんだってな」
「ああ、そうだよ。全然下っ端だけどな」
「おれも競輪やってつからさ・いつか車券買わせてもらうよ」
「お、サンキュー」
「八百長でも仕組んでくれよな」
「ははは」
この数年ぶりの再会を機に、私と岡田はときどき一緒に飲み歩くようになる。
とはいえ家庭も定職も持たず毎日フラフラしている私と違い、仕事上、岡田は東日本の様々な地方に遠征しなければならず、顔を合わせるのはせいぜい年に2回。それでも自転車という同じ話題を持つ者同士、会えば必ず遅くまで語り合った。
大きなレースに顔を出すような有名選手ではなかったため、ヤシの実際の走りを見たことはなかったが、岡田は〃まくり〃が得意だといつも言っていた。後方からダッシュで一気に抜き去る戦法だ。
瞬発力には自信があるらしい。
今年の5月、例の如く久しぶりの酒の席で、岡田がこんな言葉を口にした。
「あのな、今、ちょっと金に困っててさ」
意外だった。確かにプロスポーッ選手とはいえ、ヤシの性格にはちゃらんぽらんなところがある。
しかし、金に窮するような暮らしぶりではなかったはずだ。
競輪選手は、格上から順にS級A級B級とランク付けされ、さらにその中でも上から1班2班…と分かれている。成績が良ければ上に、悪ければ下に移動し、当然ながら稼げる賞金もそのクラスに見合った額となる。
岡田はA級の2班と3班を行ったり来たりしている選手で、このクラスだと年収900万近くは稼いでいるはず。特別裕福ではないにせよ、金に困ることなどないと思うが…。
「もらってるんだろ?」
「いや、色々とあってさ」
「そうか、でも…」
数万程度なら貸せないこともないが、私も典型的なギャンブルジ
ャンキー、まとまった金となると厳しい。
「いや、貸してくれってわけじゃないんだ」
「すまんな」
「いや、いいんだ。それで相談なんだけどさ…」
「ん?」
「もしノってくれるなら、やろうと思うんだ」
「やる?」
「ああ」
ヤシの言わんとしていることはすぐにわかった。八百長だ。そうか、八百長か…。
競輪というのはおかしな競技で、誰もが必ずしも全力でトップを狙いに行くわけではない。詳しい説明は面倒なので省くが、要は同郷の先輩や同僚などを勝たせてあげるために、自らがわざとおとりになって負けてやったり、あるいはライバルの邪魔役に徹したりと、バンク(トラック)上では一見不正とも思える行為がまかり通っている。
しかし誰もそれを八百長とは呼ばない。観客もまた、そういった選手同士の人間関係や思惑などを見越した上で車券を買っていて、それこそが競輪の醍醐味にもなっているからだ。
しかし本来の意味での八百長、つまり外部者や自分自身が金を得るために不正を働くなんてことは、当然ながら禁止されており、発覚すれば競輪界から永久追放されること必至である。
薄々怪しいなと感じたレースは過去にも何度か見たことがあるが、まさか岡田が振ってくるとは。私は身を乗りだした。
「やるって、どうやってやるんだよ」
「飛ぼう(負けよう)と思うんだ」
「:。。:」
岡田は自分がレースでわざと負け、穴を狙うのはどうかと言う。
※この話はフィクションです