最初は14才のころの麻雀だから、ギャンブルをやるようになってかれこれ25年経った
ことになる。パチンコ、競馬、競艇、海外のカジノまで。金と時間が許す限り、ありとあらゆるものに手を出してきた。そしてその間ずっと、ギャンブラーなら誰もが憧れる、〝大きな勝負〞をしたいと思っていた。例えば、競馬の100万円1点買い。例えば、カジノの100万円1点勝負。絶対カタイと思ったときにどーんと突っ込みハイリターンを得る。これぞギャンブラーの夢だ。しかし、その勇気は25年の間、一度も湧いてこなかった。絶対勝つ、と信じたレースはいくつもあった。実際に勝ったこともあった。でも賭けられないのだ。リミット一杯の大金は。
私は漠然と考えていた。勝ちそうだ、勝つに決まってる、そんな頭の中で考えた理屈に従ってはいけない。もっと広く大きな、自分の運命をとりまく流れのようなものが上昇したときに初めて、身をまかせるべきだと。人はそれを運気と呼ぶ。霊や超常現象などのオカルトは大嫌いな私なのに、なぜかこのギャンブルにおける運の存在だけは否定しきれない。何か見えない力に押されるかのように勝ちまくるヤツ。不思議と連戦連勝する馬鹿ヅキ野郎。そんな男を何人も見てきた。そして私もいつかその運気が向いてきたときに人生を変える勝負をしてやろうと、秘かに、でも片時も忘れずに思っていた。
パチンコの話から入る。
パチンコは学生時代から好きだった。社会人になってからも、月に7〜8回は行くだろうか。仕事帰りはもちろん、休日なら朝から晩までいることもあるほどだ。言うまでもなく、勝ったり負けたりだ。悪いときは5、6回立て続けに負けたりもする。逆に好調のときでも、3日間勝ち続けるなんてことはまずない。よくて2連勝。悪いと5連敗。たまに大爆発して5万10万と勝つときはあっても、あぶく銭はすぐ次のパチンコで溶けてしまう。台選びは、ひとことで言えばカンである。やれあそこは角台だから、やれよく回ってるからと、そのときどきでコロコロと理論を変える打ち方だ。負けが続けばカッとなって、逆に出なさそうな台を狙ったりもする。ツイてないから、出ないと思った台が逆に出るのではなどと考えて。
この7〜8年、ずっと付けてきたパチンコノートによれば、ひと月トータルで勝った月はわずかに5回。他はすべて負けに終わり、トータルでは…恥ずかしくてここでは書けない。おそらく世のパチンカーもそんなもんだろう。調子のいい日、週、月はときにあっても、そんなラッキーは長続きしないものだ。ところが昨秋、異変が起きた。
その日の戦場は、大型チェーン店、エスパス新宿店だ。夕方6時ごろに入店し、例によってテキトーな勘にしたがって台に座ったら、たった3千円でいきなり確変を引いた。
と、出るわ出るわ。閉店まで連チャンしつづけ、最終的な出玉は約4万3千発強、17万3千円の大勝である。そして次の日、会社帰りに地元のパチ屋に寄った。時間は夜の9時。閉店まで残り2時間だから、1万円くらいテキトーに遊んで帰ろうぐらいの感覚だった。これがまた勝った。2千円で当たり、たちまち5万2千円のプラスに。閉店まで出っぱなしだったので、最後は店員に電源を消されてしまったほどだ。こういうことは稀にある。だからことさら大げさに喜ぶべきものでもない。3日目。今度は会社をサボって真っ昼間から新宿へ打ちに行った。また大爆発である。連チャンが終わればまた連チャンで、最終的には9万円も手にしていた。その後も勝った。怖いほどの数字だ。2カ月もの間、好調が持続するなんて。いよいよ来たか。
そう思わざるをえない。だから試しに有馬記念も買ってみた。特に気合いも入れずテキトーな馬を選び、馬連を3点それぞれ1千円ずつ。
これも当たった。ありえないことが起きている。運気とはまさにこのことを指すのではないのか。25年間待ち望んでいた〝勝負のとき〞は今に違いない。この運気に乗じ、私は競馬100万1点勝負で人生を変えることに決めた。
決行日は1月10日。挑むは11レース「フェアリーステークス」だ。今、私はどんなレースでも当てる自信がある。当てる、というよりは、神が当ててくれる、と言い直したほうが正しいか。そんな状態なのだから、2倍3倍にしかならぬレースには興味が沸かない。せめて10倍以上、1千万円以上の金は手にしたいところだ。 さらに、これと決めた1頭に賭けたほうが運が散らなくていいとも考えた。つまり単勝だ。単勝で10倍以上になりそうなレース、それがフェアリーステークスだったのだ。
レース当日、私は中山競馬場へ向かった。買う馬はもう決まっている。13番のスピードリッパーである。細かい予想については省略するし、どうだっていいだろう。いま運気がまさに絶好調な状態にあるこの私が選んだ馬がハズれるワケがないのだから。自らを鼓舞するように競馬場内のオッズを確認する。現時点でスピードリッパーは6番人気、倍率は20倍を示していた。単勝100万円なら2千万円だ。2千万円…。あまりにも非
現実的な数字に、思わず背筋が震える。人生とはこうして変わっていくものなのか。
3 時。レースが25分前に迫ったところで、パドックへ。16頭の出走馬が、係員に引か
れてぐるぐると歩き回っている。確信はゆるがなかった。スピードリッパーだけが悠然と歩き、他の馬はどいつもこいつも自信なさげなのだ。かつてこんなにハッキリと馬の調子が見えたことはなかった。運気とはこんなところにまで影響を及ぼすもののようだ。レース15分前、馬券売り場へと向かう。もう後には引けない、いや引く気もない。
マークシートに買い目を記入して…ん? 100万の項目がないけど、どう書くんだ?慌ててJRAの係員に確認したところ、馬券は一度に50万円までしか買えないそうだ。100万円の単勝なら50万2枚に分けて買うのだと。ふっ、今までちまちま勝負してたことがバレたな。改めて仕切り直し、自動券売機へ。カバンから万札の束を取り出し、中へ突っ込む。1枚1枚、万札が飲み込まれていく。まずは50枚。そしてマークシートを中に。馬券が1枚出てきた。数分後には1千万円に化ける馬券が。同じ作業を繰り返し、手元には馬券が2枚残った。券売機を離れるとき、少しだけ不安が訪れたが、すぐ打ち消した。100万あればピンサロ何回通えたかだって?バカ野郎、2千万ありゃ高
級ソープ100回行ってもお釣りが来るっての。
レース5分前。ターフへと移動し、ゴール前に陣取る。ツキのある私がいれば、最後の直線走路でスピードリッパーに有利なことが起きるかもしれない。
15時23分、スターターがフラッグを振り、場内にファンファーレが鳴り響く。緊張でヘドが出そうだ。勝つと信じているはずなのに。ゲートは開いた。
運気についてあらためて考えてみたい。私はその存在について今も否定はしない。ギャンブルにおいてツキにツキまくる現象は確実にある。しかし、そいつが遠ざかる
のがいつなのか、いつどのタイミングで消え去るのかがわからない限り、その存在を信
じることは無意味なのではないか。少し大人になった私はそう考える。スピードリッパーは、2馬身半差の2着だった。