会話のタネ!雑学トリビア

裏モノJAPAN監修・会話のネタに雑学や豆知識や無駄な知識を集めました

リア充キャンパスライフを味わっている大学の学食に行ってみた

90年代、フジテレビの月9ドラマ「あすなろ白書」で石田ひかり、キムタク、鈴木杏樹らが大学生活を舞台にやいのやいのやってるのを幼心に観てキャンパスライフというものに強い憧れを抱き、いつかは自分もああやって夕暮れ時の大学の講義室や食堂なんかで男女でワイワイやるもんだと当たり前に思っていたのも今や遠い昔話。高校3年にもなると両親と教師から「大学は諦めて社会に出て一緒に汗水流して働こう」と肩を揺すられて説得されたものである。キャンパスライフを味わった人間と味わってない人間ではのちの人格形成に大きな差が生じてるように思える。味わった人間は大人になってもどこか心に余裕があるし、考え方や生き方がスマートだ。逆に味わってない人間はいつまで経ってもどこか子供っぽくて悲観的に見える。つまりリア充と非リアが人生を分かつ最初の分岐点がキャンパスライフだったと言えるだろう。
そしてそんなキャンパスライフの最高峰に君臨するのが某KO大学のキャンパスではないだろうか。東京タワー近くの一等地にキャンパスを構え、お勉強もできて一方で遊びやバイトもそつなくこなす、まさにエリートリア充集団の巣窟。本来俺みたいな流れ者が一歩足を踏み入れた瞬間に警備員が寄ってきて警棒で全身を強打されそうなものではあるが、訊けば一般ピーポーにも学食だけは開放されているらしく、そんなところにもリア充たちの心のゆとりを覗わせてくれている。
しかしいくら一般に開放されていると言え、普段通りプーマのジャージを着用して行ってはおそらく目立ってしまうだろう。やはりここはアメリカンイーグルのTシャツとベージュのチノパンという大学生御用達の服装で装備を固めて万全を期すことにした。  早速電車で現地へ向かう。KO 大学は山手線某駅から徒歩10分の好立地にドンと佇んでいる。その敷地規模はかなり広く、正門らしきところから学内に入ったまでは良いが
、学食がどこだかまるで分からない。
グーグルマップで検索するのもなんなんで、しょうがないからベンチに座って「断片的な何とかの社会学」という小難しそうな新書を読んでいた眼鏡男子に学食の場所を恐る恐る訊ねると、かなりの早口で教えてくれたのだが正直早すぎて何を言ってるのかよく聞き取れず、彼の指が差した方角を目指すことにした。するとすぐに「食堂↓」という
看板を発見。突き進んで行くと吹き抜け2階建ての巨大な食堂がその姿を現した。食堂内は紺色と赤色の校旗がいたるところにやたらと飾られており、メニューのディスプレイや皿の柄はもちろん、トイレへの案内表示にも校旗カラーが採用されていて、いかに彼らが母校を誇りにしているのかが感じられる少し異様な風景だった。
ちょうど昼過ぎということもあってか、食堂は多くの学生たちで賑わっており、厨房に向かって2列の長い列ができていたのでしょうがないからそこの最後尾に並ぶ。
「若い血ラーメン」「完熟パイナップル」など意識の高そうなメニューに感心しているとなんと後ろのグループから「それ、お前、リア充じゃん!」という信じられない言葉が聞こえてきた。耳を澄ませてみると先週の土日の過ごし方について二十歳前後のオシャレ男子数人が会話しており、秋川渓谷にBBQをしに行ったという者に対して「お前リア充じゃん」と突っ込んでいるのである。 しかし彼らの発する「リア充じゃん」の声のトーンには明らかに余裕があった。つまり自分たち自身も十分にリア充だということを自覚しながら、他者に対して「お前はリア充で羨ましいな(笑)」と小馬鹿にして笑いを取っているのである。これは傍から見ればかなり厭味ったらしい集団である。

そうかと思えば、こっちの方では女2男1がテーブルに半分腰をかけて恋愛トークをしながら盛り上がっている。まさに俺の憧れた「あすなろ白書」の世界がそこに再現されていた。思わず握手を求めそうになったが、彼らがカッコいいのはお互いを苗字で呼び合っている点だ。男女が「吉田さ〜」とか「村上のそういうところさ〜」とか、お互いをちゃん付けや君付けじゃなく呼び捨てで言い合ってるのがスマートでカッコいい。
偶然にも女2男1だったのでここは俺が入っても割と問題ないのでは…と淡い考えが途端に閃いて、旅の恥はかき捨てとばかりに何気なく彼らに近づき「今日の日替わりなんだった?」とタメ口で訊ねてみたら3人が顔を見合わせたあと「あ、すいません、ちょっと自分ら分からないっす」と丁寧語で返されて、とんだ赤っ恥をかかされてしまった。しょうがないから東スポを読みながら校旗カラーの皿でカツカレーを一人で黙々と食し、「やっべ、次の授業もう始まってら」と小芝居を打ってその場から逃げるようにして退散。地元の商業高校の同級生の笑顔を思い出して涙ぐみながら帰路についたのであった。