覚せい剤とは切っても切れぬあの街のハチャメチャぶり。西成の住人なら誰もが知っているはずの、そして当時俺が滞在していた、とあるドヤ(簡易宿泊所)の内実についてだ。とある事情で西成に流れ着いた俺が、「アパート●和」に滞在することになったのは、たまたまに過ぎない。日雇い現場で知り合ったオッサンに安くてキレイだからと勧められたのだ。
実際、●和は悪くない物件だった。貸し与えられた部屋は清潔そのものだし、広い館内には銭湯なみの大浴場もある。ちょとしたビジネスホテルのようで、住み心地はかな
り良さげに思えた。滞在初日の晩、外出先から戻って廊下を歩いていると、背後から声がかかった。
「おい、ニイチャン!」
見知らぬ中年のオッサンだ。
「な、何です?」
「何ですやあれへんがな!」
オッサンは充血した目を見開いてずんずんとこちらに近寄り、俺の鼻先でようやく歩
みを止めた。
「今な、めっちゃ気持ちがハイパーやねん。わかるか? ガーって上がってるねん」
は? 何やこいつは。
「せやからちょっと一発、顔面殴らしてくれへんか?」
「オッサン、酔うてんの? 勘弁してくれよ」
「おう勘弁したるわい!」
意味がわからん…。
以来、俺はこんなワケのわからん輩をたびたび目にすることになった。真夜中にパンツ一丁で廊下をふらつくおっちゃん。「よお、しばらくぶりやな!」と元気に挨拶してくる初対面の男。さらに隣室に住む男は早朝3時に必ずこんな奇声をあげて俺の眠りを妨げた。
「くっそ、出てこい! お前らの思うとおりにはさせへんぞ! 勝負じゃ!」
錯乱してんのか? てかここの住人、なんでおかしなヤツばっかなの疑問が解明したのはそれから間もなくのことだ。
ある日、大浴場で湯に浸かっていると、ここで何度か見かけたことのあるジイサンが話しかけてきたのだ。
「ニイチャン、闘魂注入してもらいたいんやったら、ワシがええ薬局紹介するで」
「闘魂? 薬局? なんの話です?」
「え、闘魂知らんの?」
知るか、そんなもん。
「これ内緒やで。実はな…」
聞いてたまげた。なんでもこのドヤでは複数のシャブ密売グループ(=薬局)が営業
しており、さらにはその常連客、つまり筋金入りのシャブ中たちも大勢棲みついているというではないか。
「まあ、ここにおる人間の3人に1人はポン中やないかな。ニイチャンも闘魂注入したらどやねん。スーッとイヤなこと忘れられるで」
ドヤの客室は全部で60室ほど。ジイサンの話が本当なら20人のシャブ中が一つ屋根の
下で暮らしていることになる。
そう言われてみれば、たしかに納得できることばかりだ。労働者には見えないヤクザ風の男たちがしょっちゅう出入りしているのも、錯乱してるとしか思えない人間がウロついているのも、すべてシャブのせいなのだ。なんか、どえらいとこに来てしもた…。シャブ中の巣窟。それがどれほど異常な場所なのか、住めば住むほど実感した。当然のようにトイレに落ちてる注射器。住人たちが笑顔で交わす「お、今日はぎょうさん(シャブを)入れとるの。目玉が真っ黒やんけ」などの会話。中でもド肝を抜かれたのは、異常な行動をとる連中がわんさかいることだ。たとえば、シャブが効いてるときだけ、ホモになるオッサン。性欲が抑えきれなくなると、大浴場に現れては他の宿泊客に言い寄っていくのだ。
「ちょっとちょっと、チンチン吸うてほしない?」オッサンはたいてい邪険に
追い払われるが(むろん俺も相手にしない)、たまに応じるのはシャブ中ばかりだ。女
っ気のかけらもない環境とクスリによる猛烈な性衝動があいまって、ああいうおぞましい行動に走るのだろう。暴力衝動に駆られる者もいる。夜、しょぼしょぼの弱そうなオッサンが「今からホームレスを殴りにいくで!」と息巻いて出て行く姿を見たのは一度や二度じゃない。
だが一番ぶっ飛んでるのはやはりこのドヤそのものだろう。これだけシャブ中が住みついていることを知りながら、警察に通報しないどころか、愛想よく連中を客扱いしているのだから呆れるというか何というか。
ま、売人やシャブ中を追い出せば商売が成り立たないというのが本音なのだろうが、
であればこそつくづく思い知らされるわけだ。西成ってホンマに日本国なんか?