就職した重工メーカーが転勤のかなり多い企業であるのは、知っていたし、覚悟もしていた。言い渡された配属先は、九州某県の県庁所在都市。そこで、私は地獄のような忙しい日々を送ることになる。朝は7時ごろから出勤して、深夜残業は当たり前、休日返上も日常茶飯事。朝出勤して家に帰ってテレビをつけると「笑点」のテーマ曲が流れていたなんてこともよくあった。その分、金だけはしこたま貯まった。学生の頃は遊び場
がないという理由だったが、ここでは忙しいから使うヒマもロクにないし、残業代は付
き放題、おまけに家賃も月2万ほどの社宅に住んでいたせいで、年収480万円のうち、3分の2ほどが手付かずのまま残ってしまったのだ。
そして入社2年目に入った秋、その後の経済生活を決定付ける一大転機がやってくる。きっかけは雑誌「ビッグトゥモロー」の投資用マンションの記事だった。
詳しくは覚えていないが、要するに投資用マンションを買えば将来は家賃収入で食っていけるし、おまけに節税対策にもなるという趣旨だったと思う。ご親切に具体的な数字まで計算してあり「年収650万のサラリーマンが1500万の物件を雌入した場合、
扶養控除とか社会保険料なんかが安くなって、税金が年間31万円ほど浮くらしい。ほんの軽い気持ちで、資料だけでも送ってもらうかと誌面に掲祇されていた「M」という全国チェーンの不動産屋に電話してみると、翌日には営業マンが飛んできた。
「…まあいろいろありますけどね、実はいちばんオススメなのがコレなんですよ」
数ある物件の中から、営業マンがモーレツに勧めてきたのは九州の中規模都市。K市のワンルームマンション、1300万円。駅から徒歩約8分で、学生向けの物件だった。悪くないな、というのが第一印象だった。そしてわずか1時間ほどで私は、営業マンの口車に乗せられ、即決で判を押してしまつ。肝心の支払いは、当然のごとくローン。年利が8%付くということで、頭金150万プラス月々7万9千円の年払いにした。しかし、判子を押した後になって気づいたのだがコレ、よく計算してみれば支払総額は3千万以上になっている。どうやら私は節税とか家賃収入といった甘い文句に惑わされていたらしい。ローンで払う金自体が高いから、多少の節税ができてもまったく関係ないのに。まあダマされたんじゃないんだからと自分を励ましつつ、ローンの支払いを始めたが、この後、信じられない出来事が起こる。わずか1カ月後にして「M」不動産が倒産
してしまったのだ。これで支払いが軽減されるのではと色めきたったのもつかのま、世の中そんなに甘くはなかった。ローンはあくまで信販会社への支払いなので、現状は何ら変わらないのである。
現在、K市にある私のワンルームには、大学生が住んでいる。家賃は2万9千円。差し引き5万円を向こう20年以上払い続けなくてはならないのだ。ちなみについ先日、損を覚悟で売ってやろうとM不動産(倒産後、数年で再建していた)に聞いてみたが、担当の答は400万円でも売れないだろうとのこと。やっぱり家賃収入まで耐えるべきなのだろうか。
「映画を作るから、金を貸してくれないか」
九州の赴任地で4年目を迎えた年、地元で映画の制作会社を営む友人からそんな話があった。映画制作と聞くと、何かとてつもなく大げさな響きがあるが、友人は地元の民話をアニメで作りたいという。誰しも子供のころ小学校や公民館などで一度は見たことがあるだろう、民話や身障者、同和なんかに関する教育映画を。友人の会社はその手
の映画を作っていた。
「ヒットすればテレビにも売れるから、すぐ元が取れるって。年利5%の利子付けて、
2年後には返すからさ」友人は何度となくそう説得してきたが私は半信半疑だった。バブルがはじけたご時世に、相手が誰だろうと映画制作に金を貸すなんて愚の骨頂である。しかし、十年来の親友にしつこく説得され続け、私はついに根負けしてしまう。実家どころか親戚の住所まで知っている間柄にわずかな安心感を覚えたのかもしれない。というわけで、友人の希望どおり、しぶしぶ750万円を貸すことになった。マンションを買った後とはいえ、ローンの分は給料で十分払えたので、貯金自体はまだたんまり残っていたのだ。寝てても2年後には数万の利子が付いてくるんだから…とタカをくくっていたのは確かだった。がしかし、よくよく聞いてみると僕以外の出資者など1人もおらず、企画も途中で頓挫。さらに始まったバブル崩壊で、その制作会社がついに最初の不渡りを出してしまい(2度出せば倒産)、経営が危うくなってしまったというじゃないか。
「ゴメン、金は絶対返すからもうちょっと待ってくれないか。銀行で借りてる3千万を返せば、後はキミだけだから」
友人のこの言葉を何度開かされたか知らないが、当分の間この「3千万」の前置きは消えそうにない。この一件でほぼ貯金が底をついてしまった私は、本社へと配属される。そして翌年、九州で知りあった一つ年下の女性と結婚。仕事でも徐々に重要なポジションを任せられるようになった。さて、物価が高くてさぞや大変だろうと踏んでいた東京暮らしは、思いの他順調だった。勤め先の給料は年収7,800万といったところで良
くも悪くもないが、普通に借りれば15万は軽くかかる3DKのマンションが一律2万円ポッキリと、福利厚生でずいぶん助かった。