ファストファッション、言い換えれば、手軽に買える安い衣料品。Tシャツもパンツも靴下も、とにかく何もかも安いファストファッション店と聞けば、多くの人はあのチェーン店を想起するだろう。
仮にそのチェーンを「X」としよう。
本記事のリポーター、熊田氏はXの店長として3年間働き、今から数カ月前に逃げるようにして辞めた男だ。
そう、逃げたのだ。なぜ彼はそんな退社の仕方を選ばねばならなかったのだろう。第一志望の会社だった。学生時代の居酒屋バイトで接客には多少なりとも自信があったし、その基本はどの仕事でも変わらないはずだと考えたからだ。
なにより待遇が魅力的だった。アパレル業界トップクラスの高給を誇り、店長クラスになれば年収500万は固い(就職本に書いてあった)。内定が出たときは親や親戚に「よくやった!」と褒められたものだ。入社式を終え、1週間の研修を経て、いよいよXの店員デビューだ。
朝8時、タイムカード代わりに、店内パソコンの「出勤」ボタンをクリック。
掃除をして、店の奥から商品を補充していく。同じTシャツでも色の種類が豊富なので、それはそれは膨大な量だ。
開店前には店員全員で、「笑顔」「礼儀」といったフレーズを含む、いかにもな唱和をくり返し、いよいよオープンとなる。営業中については、まあ、いわゆる服屋の仕事と言うしかない。レジを打ったり、シャツをたたんだり。正社員といってもバイトさんたちと、やることはほぼ同じだ。
が、こんなヒラ社員のままで生きていくつもりはさらさらないし、会社側もそうのんびりはさせてくれない。
「来月、店長テストを受けてもらうから、勉強しておくように」
店長からそう声をかけられたのは、入社半年が過ぎたころだ。テストはおよそ半年ごとに開催され、オレみたいな新卒はもちろん、不合格続きの「店長浪人」たちも受けるらしい。
出世するには、まずは店長にならなきゃ始まらない。当然、張り切って受験した。
設問は、研修時に配られたマニュアルから約50問出た。『色の基礎知識について正しいものを選べ』といった内容だ。
難なく一発目で合格した。入社半年で店長なんて、オレってすごくない? と浮かれかけたが、同期のほとんどもちゃっかり合格していた。
今にして思う。こんなに店長が増えたら、店の数が足りなくなるんじゃ…と疑問を持ち、そのカラクリ
に早く気づくべきだった。晴れて店長として配属されたのは東京郊外の店舗だ。初日はSV(地域の数店舗を統括する本社付けの社員)と共に出勤して、挨拶からはじまった。
「今日からお世話になる熊田です。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします!」
バイト店員たちのはきはきとした返事が気持ちイイ。よしよし、よろしく頼むよ。
そこから閉店8時までの作業は、これまでとほぼ一緒。しかし閉店後が、さすが店長と言うべきか。売れそうな商品の発注作業や、アルバイトのシフト作りに始まり、当日の日報、明日の営業目標も提出しなければならないのだ。こんななもんに2時間もかかってしまった。ヒラ時代は、閉店したらすぐに帰れたのに。
店長2日目、朝の掃除の最中にSVがやってきた。
「はい、みんな集まって。これから服装チェックをします」
そう、Xの店員は、勤務中は自社商品を着用しなければならない決まりになっている(靴だけは構わない)。ヒラ時代もたまにこのチェックがあったけど、必要あんのかね。みんな、どっから見たってXファッションじゃん。
ずらりと並ぶオレたちの前をSVが歩いていく。
「えー、上下ともOKだね。前髪がちょっと長いかな。はい次」
と、1人の男の子の前でSVが首をひねった。
「このベルトはウチのじゃないね」
「あっ、はい…」
「ダメですよ。明日からはちゃんと規定のものをつけてください」
バカだな、あいつ。なんでベルトだけでお洒落してんだよ。どういう意味があんのさ。
しかし怒られたのはオレだった。
「店長、どういう教育してんの?」
「えっと、すみません」
「今日中に是正案を出して。それを
元に、また明日、話しに来るから」
是正案? 今後どうすれば自社製のベルトを身につけさせられるか、書面で提出しろってことらしい。
閉店後、パソコンに向かった。えーっと、自社のベルトを使わせる方法ってか…。
手が動かない。そりゃそうだ。そんなの「明日からはちゃんとウチのベルトを着けてきてね」の一言しかないだろうに。悩みに悩んで、『朝礼のたびに口酸っぱく言うようにする』的なことを書き終えて送信した。時刻は夜の11時を回っていた。Xではこういった〝くだらないこと.が非常に多い。
店長になってすぐ、月の売上げが目標額に届かなかったときも、オープン前の時間帯に、形式的としか思えないミーティングが開かれた。
参加者は、SVとオレ、ベテランアルバイトの3人だ。
「まずね、目標に届かなかったのを恥と思ってください。店長、達成できなかった理由はなんだと思いますか?」
理由…。客が買わなかったからじゃないか。それじゃ駄目か。
「はい、えっと、アルバイトさんたちに対して正確な目標を共有できなかったボクの責任です」
「では今月はどうすれば目標達成できますか?」
バイトさんが答える。
「ひとつひとつの仕事を丁寧にやることがお客さんを呼ぶためには重要だと思います」
何なんだろう、この、小学校のクラス会のような、形式をなぞっただけの意見会は。
極めつけはSVのまとめの一言だ。
「とにかく一つ一つをキッチリやっていこう」
こんなことに時間を取らせるなよ。
以降、目標額に達しなかった月は、毎回、このような意味のない会議が開かれ、同じやりとりがかわされた。
それだけじゃない。日報の送信が遅れたら会議、バイトが遅刻しても会議、本部の指示どおりに商品を並べてなければこれまた会議だ。
それらはすべて店のオープン前に30分1時間も行われるため、通常の8時出社では時間が足りず、必然的に7時には出社して、掃除や商品出しなどしておかねばならない。しかもバイトをシフト前には呼べないので、オレ1人でだ。仮に、午前7時に出社し、閉店後の事務作業を終えて、午後11時に退社するとしよう。
多少の昼休憩を差し引いても、その日は15時間以上働いたことになる。
こんな1日は決して特別なケースじゃない。というか、ほとんどがこんな感じだ。休みについては、週休2日という建前がある。曜日に関しては本人の裁量まかせだ。
しかし実際問題として、この休みがなかなか取れない。自分が休むことでバイトを増員すれば人件費がかさむし、営業中、バイトだけでは解決できないトラブルも起きる。SVからは、例え休もうとも日報だけは店長が出社して書くようにと、無茶なことを言われたりもする。こんな状況下で、どう休めと言うのだ。
さて、ここである問題が生じる。Xでは店長の勤務時間は月に240時間までと厳しく管理されているのだ。少しでも超えた人間はボーナスが削られ、経緯書を提出させられる。
1日15時間勤務、休みも取らずとなると、240時間なんて数字は月の半分くらいで超過してしまうことになる。それ以降は出社できない?店はどうなる?
対処法は二つある。
ひとつはバイトのシフトを増やし、自分は休むこと。しかしこれは難しい。人件費が増えるとSVに怒られるし、なによりバイトたちだってそう易々と入ってはくれない。
もうひとつの方法は、タイムカードをさっさと押してしまい、その後で働くことだ。11時までじゃなく昼の2時に帰ったことにすれば9時間分は浮く。つまりは泣く泣くそうせざるをえない、広義での〝自発的な.サービス残業だ。店長になってまもなく、オレはこの手法を繰り返して、データ上の勤務時間を240時間以内に押さえ込むようになった。実際には、多い月だと400時間は働いたはずだ。店長になって1年が経った。
ウチの店はイマイチ売上げが上がらないので、SVは顔をあわすたびに人件費を削れとうるさい。バイトのシフトを減らせってことだ。つまり1日5人のところを4人にして、そのぶん店長が働きなさいと、そういうことだ。
「今週は3日程度に抑えてもらいたいんだけど。他の人との兼ね合いもあるからさ、ね?」
こんな感じで一人一人の出勤を減らしていくことにより、なんとか人件費は減り、SVに褒められるようになった。
だが今度はバイトたちが黙ってない。
「これくらいは稼ぎたいっていう金額があるんですよ。もうちょっとシフトを増やせませんか?」彼ら彼女らにはそれぞれの生活があるのだ。不満ももっともである。そしてついに決定的な事態が起きた。ベテランバイトの子が無断欠勤を繰り返し、そのまま飛んだのだ。これまで新人教育や掃除チェックなどをまかせていたので、それがそっくり自分にのしかかるハメに。かくして、今まで月に3日程度しか休めなかったのが、ついに休日ゼロになってしまった。
皮肉なことに、X社自体の業績はどんどん上がっていった。最高売上げを達成したとかなんとかで、多少はボーナスもアップした。オレはそんなニュースが出れば出るほどに疲弊していった。まるで関係のない会社の偉業を聞かされているような、不思議な感覚だ。
2年も経つころには、顔見知りの同期の半分近くが辞めていた。
そう、大量に辞めるからこそ、毎年、大量の店長が生まれ得るのだ。
オレだってさっさと辞めて他の仕事を探そうかと考えたことはあるけど、いざ転職活動をしようにもそんな時間は見あたらない。Xにとどまっていたのは惰性という以外に言葉が見つからない。もはやほとんどの時間を仕事に費やすオレだが、さらに追いうちをかける事態が発生した。店長は英語の勉強をすべしとのお達しが出たのだ。
パソコンを使ってオンライン上でレッスンを受けるというシロモノなのだが、こいつがクセモノで、誰が、いつ、何時間勉強したかを本部で把握できるようになっている。
しかも週に10時間のレッスンを受けなければ授業料の半額(1万円程度)が給料から天引きされるだなんて、とんでもないコトを決めてくれたもんだ。
閉店後、時間を見つけて店のパソコンに向かう。画面の向こうでは先生がニコニコと英語を話してるけど、こんなもん、頭に入ってくるわけねーだろ。
眠気と戦いながら40分のレッスンを受け、終わったらまだたっぷり残っている仕事をやって、ようやく帰宅だ。
さらにオカシな課題も出てきた。
不定期で読者感想文を提出しろと言うのだ。
課題は社長の本や、経営学の本で、面白くもなんともないものを読んで、800字程度の感想を書く。
『グローバル企業化の施策に共感を覚えました。自身も現在英語の勉強にはげんでおり、近い将来やってくる国際化時代に対応できるよう頑張っていくつもりです』
これで80文字弱か。いったい何をどう書けば終わるんだ……。
もちろん提出の期限はある。バイト代を出してでも誰かにやってもらおうと真剣に考えたが、仕事ばかりのオレにはこんなことを気軽に頼める友だちも、すでにいなくなっていた。何かヘンだと自覚しはじめたのは昨年の夏のことだった。
「店長、店長」
「…ん? どうしました?」
「目を開けたままイビキかいてましたよ。大丈夫ですか?」
バイトがからかう。まさか。レジに立ちながら寝るなんて、そんなことあるか? 目を開けたままイビキをかけるわけないだろ。
だがそれは予兆に過ぎなかった。少ししてから、朝の出勤時に足が動かなくなったのだ。突然ピタリと。しかたないので通行人に声をかけた。
「すみません、ちょっとボクの足を動かしてもらえませんか?」
「は?」
何人かに断られるうち、やっと自然に動くようになった。何だ、これは?
些細な異変が続いたのでSVに相談した。
「こういうのが多くて、病院に行こうと思ってるんですけども」
「病院? やめときなよ。行ったらなんにもなくても病名がつけられるんだから」
「え?」
「休まれたらこっちが困るからさ」
この彼の言葉でようやくオレは目を覚ました。こんな会社、そこまでして働き続ける必要はない。
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Xから逃げ出したのは、とある朝からだ。
その日、部屋の布団で目が覚めたら、時計は昼の2時をさしていた。やべ、遅刻だ!
ケータイはSVと田舎の両親からの着信で埋まっている。なんで両親が? ま、とりあえずかけとくか。
「もしもし、オレだけど」
「貴久、大丈夫か? 会社の人がウチに来たけど」
「え?」
「3日も無断欠勤してるんだって?どこか悪いのか?」
意味がわからない。3日? もしかしてオレは3日も眠りこけていたっていうのか? 眠ったときのことを思い出そうにも、日にちの感覚がないのでどうにもならない。
「ごめん、オレこのまま仕事辞めるから、今度会社の人が来ても知らないって言っておいて」
そのまま荷物を置きっぱなしで部屋を出て、高校時代の古い友人の家に転がり込んだ。会社の人間がやってくるのが怖かったのだ(3日間寝ている間にも訪問はあったかもしれない)。
以上、妙な症状が出なくなった今だからこそ語れる話だ。