平成2年の夏。自動車整備工場に勤める父と、不動産屋の事務をやってる母の間にできた子供がオレだ。
じゅりあん。
その名前がいかに異様なのか、もちろん幼少期のオレにはわからない。保育園や幼稚園に通わなかった、つまりロクに友達がいなかったことも、名前を意識せずにすんだ理由だろう。どうやら父親の方針として「義務教育が始まるまでは自由にやらせよう」という考えがあったそうだ。確かに、オレが自由だったのは義務教育までの短い期間だけだった。小学校1年生になってすぐの遠足。昼食のときに隣に座る男子がからかってきた。
「あー、じゅりあん君だぁ。ヘンな名前〜」
この世代に、まだキラキラネームの流行などはない。当時の同級生の名を列挙すると、
隼人
圭介
勇気
などで、一番の変化球ですら
大翔(はると)
のレベルだ。じゅりあんの異質さは小学1年生にもはっきりしていた。それからはたびたび名前をからかわれた。「女の子みたい」「じゅりちゃん」「名前オカシイよ」。机に『じゅりあん♥つよし』という相合傘を書かれたこともある。仲の良かったつよし君との間をちゃかされたのだ。これのせいで、つよし君とは疎遠になってしまった。
2年生だったろうか、『自分の名前にこめられた意味』を発表する授業があった。
前夜、父に名前の由来を聞いた。
「アメリカ人っぽくてカッチョイイだろ?」
アメリカやイギリスなど外国の音楽が大好きで昔からバンドをやっていた父。いつか子供が産まれたら絶対に外人風の名前をつけようと決めていたそうだ。
「すごい外人っぽいだろ? めっちゃクールで最高だよ」
授業当日、他の子は淡々と自分の名前の由来を発表していった。
「すこやかに、たくましく生きてほしいという理由で、健太と名づけてくれました」「恵まれて美しい子に育って欲しいと思って、恵美になりました」
いよいよオレの順番だ。
「…お父さんが、外国人にも覚えてもらえる名前にしたくてつけたと言ってました」
カッチョイイからという理由は言えず、自分なりにそれらしい理屈を考えたつもりだったが、教室中に笑いが起きた。小学校6年間は、とにかく普通にイジメられ続けた。習字セットを入れる袋に『ワタシは女よ〜ん、あは〜ん』と落書きされたり、休み時間に他クラスの生徒がやってきて「ぜんぜんジュリアンっぽくねーし!」と言われたり。
卒業式でも恥ずかしい思いをした。
壇上の校長が卒業生一人一人の名前を呼んで証書を渡していき、やがてオレの番に。
「石田寿理庵!」
このとき体育館に広がった失笑には、子供だけじゃなく、保護者たちのものも確実に含まれていた。帰り道。母と並んで歩いていたら、後ろから同級生とその親の声が聞こえてきた。
「あれがじゅりあんだよ」
「ほら、大きな声で言わないの」
学校内でからかわれることには我慢できても、母親の前だとキツイものがある。だから聞こえないフリをしていた。しかし母親がぼそっと言う。
「ごめんね、名前」
謝るぐらいなら最初から付けなければいいだろうに。
地元の中学に入って早々、また名前のせいでヒドイ目に遭わされた。髪を金色に染めたヤンキー先輩からお声がかかったのだ。「おまえがじゅりあんか」
「は、はい」
「調子コイてんだろ? あ?」
調子なんかコいてるわけがない。そんなことありませんと言う間もなく学生服の胸ぐらをつかまれ、恐ろしい顔が目の前に近づいてくる。
「調子乗ってっとヤルからな?」
「す、すいません!」
何に対して謝ってるのか自分でもよくわからない。茨城の公立中学だけに、ヤンキーは他にもうようよいて、ことあるごとに「テメーがじゅりあんか」「殺すぞ」などと目をつけられるハメになった。なぜヤンキーに目の敵にされたのか。いま考えれば、このガイジンっぽい名前が実はうらやましかったんじゃないかとも推測できるが、胸ぐらをつかまれている当の中学生にそんな反論はカマせない。ただペコペコ暮らすだけだ。部活はいちおう陸上部に入り、1500m走の長距離をやりはじめた。初めての市内大会。信じがたいだろうが、こんな場面でも名前がバカにされた。スタートラインに並ぶ他校の選手がこそこそ言うのだ。
「ぷっ、どこがジュリアンだよ」
「超日本人じゃね?」
そりゃそうだ。角刈りに丸メガネ。身長も150センチやそこら。どこにもジュリアン要素がないことぐらい自分でもわかっている。この、「典型的日本男子のくせにジュリアン」とイジメられるのが、中学に入ってからの基本的立ち位置となってしまい、なるべく学校にいる時間を減らすために1年の秋には部活を辞めた。時間だけはたっぷりあり、心がやさぐれている中学生。当然のように非行に走った。といってもヤンキーになる勇気はない。近所のスーパーなどでガムやジュースを万引きする、気弱な不良だ。ある日、コンビニで惣菜パンをカバンに入れたところで店員に見つかってしまった。
「○×中学の生徒だな。いま警察呼ぶから待ってろ!」
すぐに警察官が二人やってきた。
「キミ、名前は?」
「石田です」
「下の名前は」
「…じゅりあんです」
「は? ふざけないでちゃんと答えなさい」
「本当にじゅりあんです」
二人は生徒手帳を見て大笑いだ。しばらくして年長者のほうの警察官が俺の前にしゃがんだ。
「家でうまくいってないのか?」
「いや、そんなこと…」
「こんな名前をつけられるような家だから悪さするんじゃないか? ゴハンは食べさ
せてもらってるのか?」
あいにくウチはまあ、なんというか普通の生活をしている。まあ父は酒癖が悪いけ
ど。
「親御さんと問題があったらいつでも連絡してこい。その名前だといろいろ苦労するだろ」その夜。父親がデカい声で怒った。
「馬鹿ヤロー、そんなダセーことするヤツに育てたおぼえねーぞ!」
「こんな名前だからだよ! なんでこんな名前つけたんだ!」
「名前なんかカンケーねーだろ!」
言葉につまった。そう、名前と万引きは、直接的にはまったく関係がない。ないけれ
ど、めぐりめぐってこうなったのだから、無関係とは言い切れないはずだ。ただ、そんな説明、めんどくさくて出来ないし…。高校生ともなると、名前そのものでからかわれることはなくなった。しかしオレ自身が、他人と接することを避ける性格になっていたので、友達はなかなかできなかった。代わりに、親に買ってもらったケータイでミクシィを始め、寿理庵の最初の文字、「寿」と名乗って他人と交流するように。その中で、印象的な出会いがあった。
「親とうまくいってない人」というコミュニティの書き込みに「美流貴」という名前
の女の子がいて、なにげに彼女のページに飛んだところ、本名だと書いてあったのだ。
それがイヤでたまらないと書いているあたり、オレと境遇が良く似ている。メールを送った。
〈僕の名は寿理庵と言います。美流貴さんの気持ちわかります。ツライっすよね〉
返信はすぐにきた。彼女は東京に住む学生で20才らしい。正確な本名は「みるきい」だそうだ。
〈メールありがと☆ あたしもずっと悩んでるよ…〉
親近感が沸き、メールのやりとりが始まった。直感的に、お互い本名を呼ぶことを避け、オレは彼女を「みぃちゃん」と、彼女はオレを「じゅー君」と名づけあった。
そのうち、彼女が『今度遊びに行こうよ』と誘ってきた。茨城から東京・池袋へ。みぃちゃんは小柄でショートカット、顔に大きなマスクをしていた。ファミレスに入って食事をしながら他愛のない話をした。さんざんメールしてきた仲だからか、話が途切れることもない。夕方、店を出たみぃちゃんがオレの手を引いて走りだした。
「ドコ行くの?」
「ホテル行こー。お金はワタシ出すし」
彼女は慣れた様子でホテルに入り、部屋のベッドに寝転がる。
「こういうの初めて?」
「…うん」
「そうなんだぁ。じゃあワタシが教えてあげるよぉ」
みぃちゃんが服を脱いだ。両手がキズだらけだ。
「リスカ。ビビった? マジで親キライなんだよね。こんな名前つけられてさ」
「…うん」
「だからリスカしてんの。学校でも馬鹿にされるから不登校になったりしたし」
「うん」
「今だって精神科行ってクスリもらってるんだよ」
わけのわからないまま初体験は終わり、その日以降、彼女とはばったり連絡が取れなくなった。特に将来の夢なんてなかったので、地元の大学に進んだ。父は酒癖のせいで何度も仕事を変えていたけど、不動産屋で働く母が進学資金を貯めていてくれたのだ。落ちついたころにバイトを始めようと、情報誌を開き、居酒屋に電話をかけた。こんな業種は元気さえあれば誰でも採用するものだ。面接で履歴書を渡す。
「じゃあよろしくお願いします。…ん、これ本名?」
「はい」
「珍しいなぁ。なに、ご両親の趣味?」
「はい、まあ」
「へえ。じゃあ採用になった場合は連絡しますね」
5分にも満たない面接が終了し、その後の連絡はなかった。次に受けたのは漫画喫茶だ。こちらもオレの履歴書を見るなり名前について質問が飛んだ。親は日本人か。どこの出身だ。ハーフか? 結果こちらも不合格だった。カラオケ、喫茶店なども数軒受けたがどれも採用とはならなかった。これをすべて名前のせいだと決め付けるのは思い込みにすぎないだろう。面接時の名前への質問が印象に残っているだけのことで、それを不合格理由とする根拠はない。そもそもバイトをするにあたって、名前など関係ないのだから。だけど後日、オレが落ちた漫画喫茶で中学時代の同級生がバイトを始めたのを見て愕然とした。髪を金髪にして、ピアスをじゃらじゃら着けたままで接客をしているのだから。身だしなみや接客態度でコイツに負けるはずがない。だとしたらなぜ?結局バイトは、偽名で応募した引越し業者に採用された。本名だったら受かったかどうか、確認のしようはない。大学2年のとき、ネットで仲良くなった女性と何度か会う関係になった。オレはあいかわらずヒサシと名乗っている。そしてメールで告白を受けることに。
〈ヒサシ君が好きです。よかったらお付き合いしてください〉
もちろん答えはオッケーだ。…でも、そういえばオレはまだ本名を彼女に告げてない。付き合うならば黙ってるわけにはいかないだろう。電話をかけ、恥ずかしいから隠してたけど本名はじゅりあんなんだと伝えた。彼女の反応はオレが想像してたよりも軽い様子で、「なにそれ、気にしてなくていいのに」と言ってくれた。一安心だ。それから2カ月ほど経ったころ、電車に乗っていたら彼女からメールが入った。
『●●の父です。キミが娘と付き合ってると聞いて、忠告で連絡させてもらいました。ジュリアン君とか言うそうですね。ウチの娘をおかしな家庭の人と仲良くさせるわけにいかないので今後一切連絡しないように』
作り話でもなんでもない。こんなメールが実際に届いたのだ。電車から降りて彼女に電話をかけたが、すぐにブチっと切られた。何度かけても切られ、ついには電源が切れた。いつしか彼女のケータイは「使われておりません」になった。家も知らないし、も
う会う手立てはない。
就活の時期になり、学生課に顔を出すようになった。事務の人は「名前を変える手
続きをしたほうがいいんじゃないか」と何度も言ってくる。就活するにあたって、奇
妙な名前だと苦労する可能性があると言うのだ。奇妙だなんてハッキリ言われるのもシャクだが、たとえそんな傾向があったとしてもどこかしらは受かるだろうとタカをくくっていた。が、オレの就活は苦労に苦労を重ねる結果となった。書類を20件ほどに送ったものの面接にすらこぎつけない日々が続いたのだ。そして本当にバカみたいな行為と自覚しながらも、とある物流会社に偽名の「石田寿」でエントリーシートを送った。この名前が悪いのかを確認するために。信じられないことに、そこからは面接の案内が届いた。マジかよ。でもどうしよう…。面接当日。3人の面接官と志望動機などひととおりの問答があったのち、意を決して伝えることにした。
「あの、すみません。名前を書き間違えてしまいました」
「え、そうなんですか?」
「実際は石田じゅりあんと言いまして」「え?」
「じゅりあん、です」
「…親御さんは外国の方ですか?」
「日本人です」
「へえ、なるほどねぇ」
3人は小さな声で何かを相談している様子だ。
「もともとこの地域に住んでる人なの? 家庭環境はマトモ?」
「…はい」
「へえ。珍しい名前だね。自分ではどう思ってるの?」
「あんまり好きではないです」
「そうか、へえ」
結局この会社から届いたのはお祈り(不採用通知)だった。彼らはあのとき、いっ
たい何を相談していたのだろう。まあなんとなく想像はつくが。結局34社にエントリーしたが、ただの一件も採用に至らなかった。進路の決まらぬまま大学を卒業し、今は引越しのアルバイトを偽名のまま続けている。もし本名がじゅりあんだとバレても使い続けてくれるだろうか…。