住宅街を歩いていると、ときどき、ひどく下世話な好奇心をかき立てられる場面がある。
おれの場合、あばら家を見かけたときがまさにソレだ。あばら家でピンと来ないな
ら、こう言い換えてもいい。もともとの造りが粗末なうえに、経年劣化で至るところ
が壊れ、いまにもペチャンコにひしゃげてしまいそうな、築50年以上のオンボロ住宅
気になって仕方がない。ああいう家の住人は、日々、どのような暮らしを送ってい
るのか。住めば都なんて言葉もあるが、あんなあばら家でも、都になり得るのだろうか。とてもそうは思えないんだけど。
あばら家が多いと評判の都内某沿線にある住宅街へ。適当に散策をはじめると、さっそく気になる物件を発見した。トタン板張りの小さな平屋で、屋根に敷かれた瓦があちこち割れまくっている。
あいにく今日の天気は大雨だ。家のなかは雨漏りで大変なことになってんじゃないの? ま、本当にこんなボロ屋敷に人が住んでたらの話だけど。
呼び鈴が見当たらないので、直接、玄関の引き戸を開けて中へ。すえた臭いがプーンと漂ってくる。
「ごめんくださーい」
返事はなく、しばらくして奥のふすまから、60オーバーと思しきジーサンがひょいと顔を出した。
「はい、どなた?」
「突然すいません。私、日本の古民家が大好きなんですが、たまたまこの辺を通りか
かったら、お宅が目に留まったもので。ちょっとお話聞かせてくれませんか?」
表情も変えずジーサンが言う。
「何を聞きたいの」
「築年数はどれくらいですか?」
「どうだろうね、60年くらいは経ってるんじゃない? 僕が4、5才のころにはもうあったから」
もともとこの家の所有者はジーサンの親戚なのだが、20年ほど前からタダ同然で住まわせてもらっているらしい。
「それまではアパート暮らしだったんだけど、家賃が浮くならいいやって感じで転がり込んだのよ」
「住み心地はどうですか」
ジーサンの口から乾いた笑いがこぼれる。
「ふっ。どうですかって、見ればわかるじゃない。お世辞にもイイとは言えないよ。ほら、聞こえるでしょ?」
ジーサンにうながされ耳を澄ますと、妙な物音がかすかに聞こえてきた。
タン、タタン、タン、タタタン、タン、タン—。
しかも音は一方向だけでなく、複数の方向からやって来る。
「もうね、あちこちから雨漏りがしてすごいのよ」
なるほど。雨漏りが容器に落ちる音だったのか。
「修繕しないんですか?」
「してるよ。でも直したところでまたすぐ別のところがダメになっちゃうから。なん
か屋根が全体的に腐ってるんだって。ちゃんと直すなら建て替えた方がいいですよって言われたし、あきらめたよ」
「他に何か不便は?」
「たくさんあるけど、一番怖いのは地震だね。揺れ方が無茶苦茶なの。もう土台や柱もダメになっちゃってんだろうな。いつか家が潰れて圧死するかも。ははは」
本当にあり得そうな話だけに、全然ジョーダンになってない。
と、ふすまの奥からジーサンと同じような年ごろの男が2人、ぞろぞろと現れた。
「同居人の方ですか?」
ジーサンが大きく首を振る。
「違う違う、職場の同僚。俺たち一緒に警備の仕事やってんの」
この3人、仕事が休みの日は決まってジーサンの家に集まり、昼間から酒を飲んでいるという。
「なんでこの家なんです?」
同僚のひとりに尋ねると、さも当然のように彼が言う。
「そりゃ気楽だからに決まってるじゃない。俺たちいつもべろべろになるまで飲むんだけど、こんな汚ったねえ家なら、酒こぼそうが、つまみをひっくり返そうが平気だもん」
友人のひどい言いぐさに、ジーサンは怒るどころか、真面目にうなずいている。
「どうせ俺ん家じゃないんだし、どうだっていいよ」
「ははは、だよな」
住み心地に不満はあれど、生活自体は楽しそうで何よりだ。お次は、かなりパンチの効いた住宅だ。住居部分はオンボロ平屋で、なぜかそれが石造りの立派な塀に囲まれているという、妙ちくりんな構成なのだ。
塀の色もおかしい。青一色、それもあちこちに色ムラができている。シロートがペンキで適当にペタペタやったのだろう。
ドアを開けて家人を呼んだ。
「ごめんくださーい」
「はーい」
男性の声で応答があり、奥の方から足音が近づいてきた。玄関内にはすえた臭いに
加え、うっすらと便臭の混じった不快な空気がこもっている。
現れたのはパジャマ姿のジーサンだ。歳は70くらいだろうか。
「突然すいません。私、古民家を見て回るのが好きなんですが、こちらのお宅がステキだったので、ちょっとだけお話を伺わせてもらおうかと」
「えー、こんな家に興味があるの? 変わった人だねえ」
そう言いながらも顔はニコニコしている。内心、まんざらでもないようだ。
「ここっていつ頃に建てられたんですか」
「昭和40年ごろかな」
ってことは築53年か。
「もともとここには、オヤジの建てた家があったんだけど、ひどく傷んじゃってね。それで私が建て直したんだな」
「それから改修とかはされてないんですか?」
「特にしてないね。いろいろあってお金がなかったから」
「丈夫な家なんですね」
「はは、とんでもない。風呂もないし、すき間風も吹くし、ボロボロだよ。おまけに傾いてもいるんだから」
いつごろからか、家の中を歩いていると
平衡感覚がおかしくなり始めたので、業者に測らせたところ、家の傾きが判明したそ
うだ。
「便所付近の廊下なんか特にひどいよ。右端と左端で高低差が20センチもあるんだから」
「そういえば、ご自宅の塀、青く塗られてますね」
困ったようにジーサンが後頭部を掻く。
「ああ、あれは妻の趣味でね。なんか青色が好きなんだって」
「へえ、奧さんの…」
直後、ギョッとする光景が。ジーサンのずっと後方、奥に見える引き戸の隙間に、いつのまにか青いワンピースのようなものを着たバーサンがこちらを凝視していたのだ。
「あ、どうも」ぺこりと挨拶すると、彼女は恐ろしい形相でニラミつけ、聞き取れないほどの小さな声で何やらしゃべっている。
それに気づいたジーサンが、焦ったように口を開いた。
「お話はこれくらいでいいかな」
はい。賛成でございます。青い塀のあばら家からすぐの場所で、またもや香ばしい家を発見してしまった。線路から柵をひとつ隔てたところに建つ、掘っ立て小屋のようなあばら家だ。しかもオシャレ戸建てと近代的なマンションに左右を挟まれているため、あばらっぷりが一層浮き立っている。
さっそく訪問しようと足を向けたところ、ここで不思議なことが。
いくら周辺をぐるぐる回っても目的の家に通じる道が見当たらないのだ。それもそ
のはず。実はこの家、隣りのオシャレ戸建ての敷地を突っ切る形でしかたどり着けないのだ。どういうこっちゃ! 気まずい思いをして、ようやくあばら家の玄関へ。入口が開けっ放しになっていたので、そのまま声を上げた。
「すいませーん」
「はい」
奥の部屋からぬっと顔を出したのは大柄のオッサンだ。年齢不詳で40代にも50代にも見える、不思議な雰囲気がある。
「あの、私、古民家が…」
例のセリフで来意を説明してから、質問を続ける。
「相当年季が入ってますよね。この家、いつからあるんですか?」
「僕の祖父が建てた家なんですけど、うーん、どのくらい経ってんだろ。とにかく、50
年以上は確実だと思いますよ」
「ずっとこの家にお住みで?」
「ええ。前は両親と3人暮らしだったんですけど、2人とも亡くなったんで今は僕だけですね」
と、そのタイミングで警報器のけたたましい音が。続いて電車が家の真横を轟音とともに通過していく。
あまりのうるささに会話にならず、電車が過ぎ去るまで待つことにした。家の中からカチャカチャと音がするのは食器などが振動で揺れているせいだろう。
「すごい音でしたね。いつもこうなんですか?」
「ええ、早朝から終電の時間まで数分おきにこんな感じですよ」
「大変でしょ」
「いや、ここで生まれ育ったからもう麻痺してますよ。マンガとか読んでると、電車が
通ったか気づかないときもあるくらいだし」
マジかよ。こんなのが数分おきなんて、おれなら1日で発狂する自信あるけど。
「じゃあ、不便な点はないってことですか?」
「ええ、特に。まあ、ひとつ悔しいことがあるとしたら、日本の住宅文化の進化から取り残されてしまったことですかね」
「というと…?」
「たとえば僕の家は風呂がないんですよ。ところが最近の家は風呂完備が当たり前なうえに、ボタンひとつでお湯がわいたり、テレビが見れたり、冬は脱衣所が床暖房で温かいわけでしょ? そういうのが僕にはSFレベルなんですよ。こんな家に生まれたがために」
「はあ、なるほど」
「やっぱり、ちょっと恥じてる部分があるってことですよね。だからちょっと嬉しか
ったですよ。こんなボロ屋でも興味を持ってくれる人がいるんだなって。ははは」
何言ってるの。
うちはバランス釜ですよ
その家を発見したのは、スーパー裏手の小道をふらふらとさまよっていたときだ。
真新しい建売り住宅が並ぶ一角に、ひときわ存在感を放つ古いモルタル壁の建物。
全体を覆うシミのおどろおどろしさといい、
まるでホラー映画の舞台だ。
緊張気味にブザーを押すと、開いたドアの奥から白髪のバーサンが目を覗かせた。
「お忙しいところすいません。立派な古民家だなと思って声をかけたんですが…」
「はあ?」
「いや、あの…」
敵意むき出しの目つきがなんともやりづらい。玄関先でまごついていると、今度は
老婆の亭主らしきやせたジーサンが彼女の背後から顔をだした。こちらもまた攻撃的
な雰囲気だ。
「何なんだ、アンタ」
が、もう一度丁寧に来意を説明した途端、ジーサンの態度が一変した。
「へえ、古い家が好きなの。面白い趣味だねえ」
「ええ、まあ」
ジーサンの説明によれば、この家、昭和40年代半ばに建てられたものだそうで、かつては2人の子供と4人暮らしをしていたが、現在はバーサンと2人きりらしい。
まずは彼らの機嫌を取ろうと、ひと通りあばら家を誉めちぎったところで、いよい
よ本題へ。
「趣のあるご自宅ですけど、何か住んでて不便なところはありませんか?」
ジーサンが即答する。
「いや、特に。そりゃそうだよ。住み慣れた我が家だもん」
「なるほど。でも何かひとつふたつ、あるんじゃないですか? たとえばモルタルっ
てヒビが入りやすくて雨水が染み込んじゃうから、家の中がカビやすいって聞きます
けど」
「まあ、それは確かにね」
「トイレは水洗ですか」
「ううん、くみ取り式だね」
「じゃ、ニオイとか気になるんじゃないですか?」
「そんなことないよ」
「お風呂はあります?」
「あなたね、何言ってるの。うちはバランス釜ですよ」
「バランス釜?」
浴槽に手動式のガス給湯器が直接取りつけられた、昭和時代の旧式風呂だという。
「へえ、手動でガスを。そういうのって危なくないんですか?」
ジーサンの顔が真っ赤になった。
「あなた、さっきから本当に失礼だな! 人の家をバカにしに来たのか?」
それまで黙っていたバーサンも口を開く。
「帰ってちょうだい。最初から変な人だと思ったのよ」
な? こうやってると延々に崩れてくから
怒りん坊のジーサンの家を辞し、ふたたび界隈を歩きはじめた矢先、またもや不気味なあばら家が目に留まった。
老朽化しまくりの薄汚い平屋で、狭い軒先には、なぜか巨木が家を押しのけるよう
にして生えている。木の高さはゆうに屋根を超えており、さながら家が傘をさしてる
ような案配だ。
呼び鈴を押すと、40前半と思しきオッサンがドアを開けた。
「はい?」
やけにガタイのいい男だ。目つきも迫力があり、ちょっと怖い。
「あ、失礼します。私、古民家の愛好家なんですが、こちらのお宅が気になっちゃい
まして。少しだけお話を伺ってもよろしいでしょうか」
「ちょっとならいいよ。雨で濡れちゃうから中に入って」
足を踏み入れた薄暗い玄関にはオッサンのものであろう靴やゴミのようなものが大
量に散乱している。異臭が鼻につくのは、これまで訪問したあばら家と同様だ。
では質問を始めよう。
「ここにはおひとりで?」
「うん。親は2人ともとっくに死んだから」
「ずいぶん年季の入ったお宅ですけど、建ててどれくらい経つんですかね?」
「わかんない。死んだジイチャンが若いころに建てたとは聞いてるけど興味ないし」
「住まわれてて何か不便なことってあります?」
オッサンが鼻で笑う。
「はっ、こんなボロい家なんか不便だらけだよ。たとえばホラ!」
ドン!
突然、オッサンが家の柱に思い切り体当たりをかました。それとほぼ同時に聞こえ
たのは、ギギギと木がきしむ不快な音だ。
「こんだけのことでグラつくんだから。もう家全体がへたっちゃってんだよ。ホラ!」
今度はカカトで柱を蹴る。また「ギ!」と音がした。
「壁もひどいんだよ」そう言って土壁を手で何度も叩くと、パラパラと音を立てて破片が落ちてきた。
オッサンはなおも壁をたたき続けている。
「ホラホラ、な? こうやってると延々に崩れてくから」
いったい何なんだ、この人。壁に穴が開くまでやる気か?
「あ、もう結構です。十分にわかりましたから」
「あそう。まあ、とにかくこんなボロボロよ。断熱材なんか当然使ってないから夏は暑いし、冬は寒いし。ひどい家だよ」
「建て替えとか改修は考えてないんですか?」
「カネがありゃ、んなもん、とっくにしてるって。いや、カネがあったらまずキレイな賃貸に住むのもいいや。こんなとこ売り払って」
「でも生まれ育った家ですよね。思い入れとかもあるんじゃないですか?」
「ねえよ、そんなもん。こんな汚い家なんか要らねえし」
確かに汚いのは事実だ。しかし、こうして半ばゴミ屋敷のようにしてしまったのは
100%あなたのせいなのでは?
ま、とりあえずありがとうございました。