最初の異変は生後3カ月目。4才上の兄が、子供部屋を指してんだという。
「ママー・コウタがヘンー」
慌てて駆け寄る母の目に飛び込んできたのは、口から血を垂らして微笑む俺の姿だった。
生えたての乳歯で、頬の内側を、ズタ、ズタに噛み切っていたらしい。
その場で病院へ運ばれ、2週間の検査入院を経て、正式な病名が出た。
『遺伝性感覚自律神経性ニューロパシー』
出生時に遺伝子が工ラーを起こし、中枢神経に信号が届かない体になった。
治療法は確立されておらず、自分を傷つけないよう、周囲の人間が気を回すしかないー。医師の説
明は絶望的なものだった。退院後、母は俺の口にマウスピースをはめた。生後しばらく自分の体を噛み切らずにすんだのは、この処置のおかげだろう。
しかし、ー才のやんちゃ盛りを迎えると、口元の異物感を気にして、勝手にマウスピース外すようになった。血染めのベビーベッドで眠る我が子を見て、母は幾度も引きつけを起こしたそうだ。
「お気の毒ですが…抜歯するのが一番かと、・・」
担当医によれば、無痛症患者は普通、幼児の間に全ての乳歯を取り除くのだという。後年、母はぺンチで歯を引っこ抜かれながら、手を叩いて喜ぶ俺の姿を、ただ呆然と見つめるしかなかったと語っている。
やがてー人で歩けるようになると、さらに怪我が増えだした。階段から飛び降りて両足をひねり、猛ダッシュで壁にぶつかっては脳震漫を起こす。
悩んだ末、父は子供部屋に力ギをかけ、常に俺を監視状態に置いた。しかし、そんな無理が続くはずもない
3才のとき、突然、右ヒザの皿が鈍い音をたて割れた。診断は「圧迫性複雑骨折」。当時、教育テレビで流行ったーわんばく体操をやりすぎ、右足に膨大な圧力がかかったらしい。不安が最高潮に達した両親は、医師のアドバイスに従い、『痛みのレクチャー』を始めた。
人間にとって何が危険な状態なのか、知識として学んでいくのだ。目に入った。コミは手でこすらず、必ず水で洗い流す。金属製のフォークやナイフは使わず、食べ物は湯気が消えるまで待つ。また、破傷風の感染を防ぐため、室りでも裸足は厳禁。靴は工ア入りのバシュースに限り、動脈を絞め腕時計も禁じられた。
自分の病気を意識したのは、学校に入ってからだ。鉄棒からおちても平気で遊び続ける俺に、クラスメイトたちは好奇の目を向けた。
無邪気な表情で俺の後頭部を筆箱で殴り、無視を決め込むと、今度はシャーペンで首筋をつつく。ジャングルジムの頂上から、蹴落とされたこともあった。
ある日、家に帰ると、母が驚いたように叫んだ。
「その背中、どうしたのー」反射的に首を後ろに回し、腰を抜かしそうになった
背中から尻にかけて5本のダーツが突き刺さり、歩道に転々と血痕が落ちているではないか。いったい何が…。
翌日の昼休み、見知らぬ上級生がニヤニヤと近。ついてきた。
「おーい、タールマンー」
「ボク、・・のこと?」
「お前、針が刺さっても死ななかったんだってな。だからタールマンじゃ」
「えっフ・」
思わず聞き返せば、昨日の放課後、変わった新入生の噂を聞いた上級生たちが、ふざけて俺をダーツの的にしたらしい。ちなみに、タールマンとは、そのころ人気だったホラー映画に登場する、名前である。
ガキ大将らしき少年が、映画のパンフレットを差し出す。そこには、廃液にまみれた。ゾンビの写真が載っていた。
「な、似てるじゃろ?お前」
上級生を押しのけ、教室に逃げ込んだ
中学に上がると、体が空虚感で支配されるようになった。音楽を聴いても何も感じず、お笑い番組もどこが面白いのかサッパリわからない。医師の話によれば、痛みを感じないせいで情動の成長が遅れ、感情移入の能力が発達しなかったらしい。
日ごと虚しさが募る中、手塚治虫の「ブラックジャック」で、主人公が自分の体をメスで切り開く工ピソードを読んだ。そして俺は思ってしまった。
(自分も体の中を見てみるか…)
皆さんには、決して理解できない発想だろう。
が、自分の体内を覗き込めば少しは病気の原因がわかるのではないかという、祈りにも似た気持ちだった。自分の部屋に青いビニールシートを広げ、その上に、ホームセンターで刃渡り10センチのナイフと大量の脱脂綿、消毒用アルコールを並べた。
姿見の前でアルコールに浸したナイフを持ち、左手で伸ばした腹の皮へ慎重に滑らせ、ピンセットを取り出す。かすかに開いた腹の向こうにピンク色の臓物が見えたと同時に、意識が途絶えた。
翌朝、病院で目を覚ますと、ベッにの脇で母が泣いていた。上半身全体包帯が巻かれ、全身が綿を詰めたよう
「恩知らず」
クシャクシャの顔で俺をなじる母
胸の奥が紙ヤスリのようにザラつく。
もしゃ、これが痛みなのか
初めて覚えた違和感はすぐに消えてしまう。
きつけた看護婦まされたのだ。
高校に入学が決まった。
近所の名前さえ書けば誰でも合格できる超3流校で、生徒はケン力馬鹿のヤンキーばかりマジメに登校する気などハナからなかった。勉強もバイトもせず、両親に小づかいをせびってはゲーセンで時間を潰す毎日
友人はもちろん話し相手もできず、この時期、言葉さえ発した記憶がない。そんな俺に何故か好意を寄せてきたのが、同級生の弥生だ。何度か登下校で言葉を交わすうち、
自然と関係を持った。そこで初めて知った。
性の喜びはセックス中だ
やすらぎすら感じる
女性がこんなに素晴らしいものだったなんてー無痛症の事実は隠したままだったが、俺には弥生が女神に見えた。が、その喜びも長くは続かない。冬休みを間近に控えたある日、近所で抱き合っていたときのこと。座位の体勢に変わったとたん、弥生がバランスを崩してしまった
「キャッ」腰をひねりながら、2人でベッドに倒れ込む。ボキッと鈍い音が鳴り、体重のかかった俺の右腕が、あらぬ方向に曲がった。
「ご、ごめんなさいー救急車を呼ばないとー・」
「あ、平気だから。続けようぜ」
「えっ、えっ?何言ってんの?止めてよー・」
恐怖の表情で俺を突き飛ばし、彼女は部屋から逃げ去った。俺はさらに世の中を呪うようになった。楽しそうな力ップルを見ただけで血液が燃え上がり、八つ裂きにしたい衝動に駆られる。
頭では妄想だとわかっていたが、殺意は紛れもなく本物だ
新しい彼女を探すべきだとは思ったものの、同級生の女は弥生しか知らず、街で声をかけたところで、顔中がアザだらけの俺に付いてくる女などいるはずがない。相変わらず学校には行かず、オナニーで虚しさをごまかす日々が続いた。
あまりの辛さに自殺も考え始めたころ、テレビでー本の映画に出会た。口バートデ・ニーロ主演の「ケープフィアー」。不死身の殺人鬼を描いたりスペンス映画で、銃で撃たれても平然と復讐を果たす主人公の姿に、他人事とは思えぬ共感を覚えた。軽い興奮を感じながら俺は考えた。
どうせ自殺するなら、その前に、幸せそうな奴らに恐怖を与えてやろう。暴力で気持ちが晴れるかどうかはわからないが、とにかくデ・ニー口にならつて体を鍛えよう。さっそく、自室にこもりっきりでトレーニングを始めた。
砂を詰めたペットボトルをバーベルに使い、鴨居に足をかけて腹筋を繰り返す。いずれも映画から学んだ方法だ。問題は、オーバーワークだった。筋肉痛が起きないため、筋や腿が切れても気づかず、バーベルを持ち上げたとたん、肩が外れたこともあった。
それでも、どうにか人並み以上の筋肉がついたところで、再びデ・ニー口を真似て全身にタトウーを入れた。背中と胸にダンテの「神曲」から単語を彫り込む。爽快だった。鏡の中の自分をうっとりと眺める息子を見ても、両親は何も言わなかった。毎月の生活費を俺に手渡すとき以外は会話もなく、目すら合わせようとしない。完全に疫病神扱いだった。
19才の夏、俺はインターネットで興味深いサイトに出会う。『ファイトクラブ関東支部」同名の映画に触発された人間が集まり、会長宅のガレージで、毎月ー回、ルール無用のケン力大会を開いているらしい。メンバーは老人から若者まで幅広く、会費や参加資格は特にないようだ。
ものは試しと参加希望のメールを出すと、すぐに返事が来た。
『どなたでも大歓迎です』
本番当日は、10人の男が集まっていた。バンダナを巻いたオタクから会社帰りのサラリーマンまで、メンツはバラバラ。だが、1つだけ共通点があった。全員、眼球がドロリと濁り、生気がない。こいつらが殴り合いだと?
果たして、ファイトクラブは茶番だった。鼻血が出ただけで音を上げるヤツ。明日は早いからと途中で逃げ出すヤツ。
腰抜け野郎どもめ
「次は兼松さんの番ですよ。さあ、どうぞ」
年長の男が、俺をカレージの中央へ導いた。
「お相手は金子さんです。よろしくお願いします」
サラリーマンが現れ、ファイティングポーズを取る。上等だ。
「互いに礼ー」
ケンカに礼もクソもあるものか。頭を下げたところへ、ハンマーよろしく両拳を延髄に振り下ろし、さらに左フックを叩き込んでやった。
「は、反則だあー」
鼻血を噴き出しながら叫び、返り血を浴びる。
途端に信じられないことが起きた。体中をアドレナリンが駆けめぐり、長年の空虚感が吹き飛んだのだ。
俺は、無我夢中でパンチを出し続け血まみれで倒れ伏す
全員が俺を羽交い絞めにしていた。年長の男がうな視線でいう。
「たまに、アンタみたいな気違いが立んだ。ここは殺し合いサークルじゃか警察沙汰にはしないから、ニ度と来いでくれ」
「--・……」
無言でガレージを立ち去ったそのーヒロシと名乗る男からメールが届いた
『昨日のケンカ、感動したっスーまた会ってくださいー・』
この男、俺のケンカぶりにいたく威動したらしい
『別に会ってもいいけど、どうすんの』
『一緒にケン力しましょう。悪そうなヤツラに、こっちからふっかけていくんですー」『はあ』
『自分、不良が大嫌いで。でも、俺、弱いから・・」
サラリーマンを叩きのめした瞬間に感じた、あの快楽と陶酔。ぜひ、もう一度味わってみたい。
『oK。じゃ、明日会おうぜ』
駅近くのマクドナルドに現れたのは、ヒップホップ系のファッションで身を固めた小男だった。ガタガタの歯に、常にトロリと眠そうな目玉。明らかにシンナー中毒だ。
「どーも、ヒロシっす。自分はいつでもオッケーっすよ。先輩」
先輩という呼び名に照れつつ、さっそくマック裏の路地へ。螺旋階段の踊り場にたむろする、学ラン姿の3人組に目を付けた。
「よつ。」「ああ?アンタらどこの高校」なんだテメー」
「ケンカ、買ってくんない弱そうだから」
は?ボコるぞ、3人組のー人が叫ぶと同時に、口の中めがけて右ストレートを打ち込んだ。「ぶっ殺すぞらあー」
色めきたつ不良どもへ間合いを詰め、端から頭突きを2連発。隣でヒロシがタコ殴りにされていたが、構っちゃいられない。やがて3人が逃げ出し、勝負はあっさり決着した。
去り際、マックの窓ガラスに映った自分を見てわず目が点になった
全身の皮膚がドス黒く変色し、顔離中が切り傷でビッシリ。まるっきり化け物だ。
「なあ、ヒロシ。これから俺をタールマンって呼べよ」
「へなんすかそれ?」
「昔のあだ名だよ。かっこいいだろー」