新大久保で飲み会を終えたオレは、ホロ酔い気分で家路を急いでいた。
路地裏の韓国料理屋を出て、タクシーを拾うため職安通り方面へ。
白人売春婦が立ち並ぶ一角を右へ折れた瞬間、ゴスッ
くぐもった衝突音と共に、身体が2メートルほど吹っ飛んだ。
(な、なんだ!)
慌てて起きあがろうとしたが、ピクリとも動かない。
かろうじて首を回すと、右腕の付け根と左のフトモモがザックリと裂け、鮮血が流れ出ている。クソッ。
曲がり角の向こうにライトの割れたワゴン車が1台。その後ろに、背の高い男。オマエか、犯人は。
憎々しげに見つめるオレに、男は胸元から八ンカチを取り出し、顔の下半分に巻き付け
ながら近づいてきた。黒いTシャツに切れ長の目。全身から、なぜか線香の匂いが漂っ
ている。な、なんだ…。
男はオレの目の前まで顔を近づけた後、口を開いた。
「▼○△■△●☆※▼?」
中国語か?なにを言ってやがる。
「イカナイ…」
「えつ?」
「ケイサッ、ダメ。オマエ、イカナイ」
警察に行かない?オレが?どういうこと
「血が出てるんだ!救急車を呼んでくれ!」
「。。:。。」
必死に訴えても、相手の表情は変わらない。
「ケイサッ、ノー。オマエ、シナナイ。ワカルカ?」
「::。:。」
体を極度のパニックが襲ってきた。もはや恐怖で首を縦に振ることしかできない。助けてくれ、頼む!
震えながら懇願するオレを、男が両脇からかつぎ上げ、ワゴン車の後部座席に放り込む。
「ひいいつ」
「シズカニ。シズカニ」
暗い声でつぶやく男。オレの頭にはビニール袋が被せられていた。ワゴンが未舗装の油臭い路地に止まったのは、1時間ほど後のことだ。
「コイ」
男がオレの手を取り、階段を降りていく。ギイッとドアの開く音が聞こえると、ビニ
ール袋が外された。
6畳ほどの室内。打ちっ放しの壁に囲まれ、右端に作業デスクと簡易ベッド。奥の扉からのぞくベンチでは、青白い顔の中国系が3人、うめき声をあげている。
「※▼●☆○▼!」
男が何事かを叫ぶ。
と、奥の部屋から現れる丸眼鏡のオッサン。誰だコイッ。格好からして医者か。
男がスタスタとオレに近づきいてきた。そして肘の付け根をつかみ、斜め上へ一息にひねりあげ…。
栗ヤアッ!」
「フム。OK」
「※▼●☆○▼」
丸眼鏡に微笑みかけ、男が部屋を出て行った後は、丸眼鏡の手荒い診察が待っていた。
やけにニヤけた笑顔を見せているが、いったい何のつもりだ…。
「八八八。●☆※▼○▼○」
「え?.」
「OKOK」
丸眼鏡が背後に貼られた人体解剖図を剥がし、サインペンで○×を描き出した。
「ココ、YES」
「ココ、NO」
「:.・・・」
かろうじて理解したところでは、骨に異常はなく、2カ所の裂傷さえ縫ってしまえば大丈夫ということらしい。
「ココ、ココ」
丸眼鏡に簡易ベッドを指さされ、言われるまま横たわると、麻酔薬の入った注射針が左腕の静脈に沈んだ。
ほどなく霞み出した視界の隅で、丸眼鏡が裁縫針と糸巻きを手に取る。
「…ま、待って…。それ…手術用じゃ…」
問答無用で極太の縫い針が太股にグサリと刺された。「…一つ一つ一つ」
「ソーリー」
そこで、意識が失せた。目を覚ますと、オレは再び新大久保の路上にいた。
フラつく足で立ち上がり、自分の体を見回す。右腕に三角巾、太股に包帯。なぜか、ケガのない部分にまでパンデージが巻いてある。ほとんどミイラ男だ。
包帯のスキ間に1通の茶封筒が見えた。痛む右手で封を開く。うわ、万札が即枚入っ
てる。コレ、もしかして…口止め料岬ひとまず自宅に帰ろうと足を踏み出した途端、右腕を焼くような激痛が走った。たまらず包帯を取り払うと、縫い目からドス黒い血がダラーリ。
大慌てでタクシーを止め、緊急病院へ向かう。
診察に当たった医者は驚いた顔で言った。
「これ、まさか自分で縫ったんじゃないよね?手芸用の糸だよ」
「…いや、実は、あの、なんというか…」
「とにかく、抜糸だけしとこうね。ほっとくと傷跡が残っちゃうから」
そのまま治療台に寝かされ、局部麻酔で再手術。針を縫い直した。
☆
1カ月後、某週刊誌に地下病院の実態という記事が出た。それによれば、アジアからの不法滞在者を相手に、格安で外科手術や堕胎治療を行う場所が、都内にはあるらしい。その大半は中国人の無免許医師が執刀を手がけ、表向きは誠灸マッサージの店を装うケースが多いという。警察に行くべきか行かざるべきか。いまだ決心はついていない。