会話のタネ!雑学トリビア

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視力矯正手術ICLに失敗したらどうなった

タレントの指原莉乃が、そして昨年はきゃりーぱみゅぱみゅが受けたことで脚光を浴びている視力矯正手術がある。
ICL。
眼球の中にレンズを埋め込み、視力改善をはかる手術のことだ。
この手術のウリは、以前流行ったレーシックより質のいい見え方がすることと、高い安全性と言われている。
近視に悩む人々にとっては、夢のような話だろう。この手術を受けた途端、長年わずらわされてきたメガネやコンタクトから解放されるのだから。
本稿に登場する北沢氏も、かつてICLの恩恵にあずかろうとした1人だ。
しかし、結果的に彼の視力が改善することはなかった。どころか手術後はさまざまな後遺症に悩まされるハメに。彼の受けたICLは完全な失敗に終わったのだ。
現状、ICLについての被害報告はほとんど表面化しておらず、だからこそ、本稿には一見の価値がある。特にこの手術に関心をお持ちの方は心して読んでいただきたい

私の視力が悪化しだしたのは、たしか9才のとき、小3のころだ。眼科の医師にメ
ガネをすすめられたが、さほどの抵抗感はなかった。
 両親や5才年上の兄も視力が悪く、すでにメガネやコンタクトを使っていたからだ。
 しかし、中学生になっても視力は低下する一方で、やがて学校生活にも支障が出る
ようになると、さすがに頭を抱えた。
 たとえば、水泳の授業でメガネを外せば、もう誰が誰だかまったく見分けがつかない。男子ならみな密かに楽しみにしている、女子の水着姿さえ拝むことができないのだ。友人に誘われて入った柔道部もそうだ。
練習中や試合では当然メガネをはずすことになるが、対戦相手のシルエットしか見え
ない状態では、こちらの道着を掴もうとしてくる相手の動きをうまく察知できない。
試合に勝つことは不可能に近いのだ。


こんな状況が楽しいはずはなく、やがて私は柔道部を辞めることに。以降、ずっと帰宅部のままだった。
初めてコンタクトを使ったのは高校生になってからだ。クリアな視界のもと、メガネをかけてない自分の顔を鏡で確認したのはずいぶんとしばらくぶりで、感動的ですらあった。へえ、俺ってこんな顔だったのか。結構イケてるかも。
 しかし当然、コンタクトにも不便な点はある。その最たるものは、装用時間(コン
タクトを使用する時間)に限度があることだ。
 私の場合、装用限度は9時間ほどで、それを超えると目が痛くなるのだが、所属し
ていたハンドボール部の練習が夜遅くまで続くときは、いちいちコンタクトをはずし、
メガネに変える必要があった。このわずらわしさが、どうにも不満だった。中学時代からずっと、私はあるフラストレーションを抱えていた。自分は思う存分、学生生活を満喫できていないという自覚だ。
 そうなった原因は複合的なのだろうが、少なくともそのひとつは視力のハンデだと
確信していた。
 悩んでいる間も近視の進行は止まらない。
高校卒業時、ついに私の視力は左右とも0・02まで落ちていた。いわゆる、最強
度近視というやつだ。
結局、レーシックは断念した
 地元の大学に通いはじめた2010年ごろ、世間では画期的な視力矯正手術が大ブ
ームになっていた。レーシックだ。
 レーザーで角膜を削り、近視を改善するというもので、タイガー・ウッズやブラッド・ピットなどの世界的セレブや、日本でも数多くのスポーツ選手がレーシックで視力回復に成功させたという話がたびたび耳に入ってきた。
 メガネとコンタクトの生活にウンザリしていた私が、強い興味を持ったのはいうま
でもない。すぐにクリニックへ足を運び、適応検査を受けることに。
 検査は数種類あったがすべてパス。レーシックを受けても問題ないとのお墨付きを
得たのだが、その後の医師との面談でちょっと気になる点があった。
 レーシックの手術では、まず角膜の表面を薄くスライスして、ふたの役割を果たす
フラップを作る。こいつを、レーザーで削った角膜の上にかぶせて保護するのだ。
 で、このフラップが術後、角膜にちゃんとくっつくのか医師に尋ねてみたのだが、
「完全にはくっつかないです。角膜には血管がないので、自然治癒が起きないんですよ」
「じゃあ、術後にフラップがずれる可能性は?」
「あります。目を強くこすったり、どこかにぶつけたりすれば」
フラップがずれれば目に激痛が走り、視力も低下してしまうという。むろん、病院に行けばきちんと処置してくれるというが、それでも不安は消えなかった。
もうひとつ、引っかかったことがある。医師に渡された同意書のこの一文についてだ。
<この手術は自己責任で行うものとし、術後の不具合について当院では一切の責任を負わないものとする>
 こんな書き方をされてしまったら、万が一、事故が起きても、病院側が「だって自己責任ですよね? あなたが同意書にハンコ押したんでしょ?」と言い逃れしてくるのではないか。
 結局、レーシックは断念した。私は何ごとにも慎重に慎重を重ねる性格なのだ。懸
念材料が2つもある手術など受けるわけにはいかない。
 レーシックのダークサイドが次々と明るみに出たのは、それから間もなくのことだ。術後に視力が低下したとの声が続出したのだ。
 そういった話に接するたび、手術を受けなくて正解だったと安堵する一方、暗い気
分になったのもまた事実だ。一生、自分は最強度近視のまま不自由に生きていかねば
ならないのだろうか…。
場合によっては110万かかることも
 レーシックがプチ社会問題となってから数年、とある眼科クリニックのHPで、新たな視力矯正手術の存在を知った。
 その手術「ICL」は、眼球に専用の眼内レンズを挿入し、中で固定させるという
もので、日常の面倒な手入れやレンズを取り外す必要のないことから「永久コンタクトレンズ」とも呼ばれているらしい。レーシックと比べて、安全性や有効性も高いようだが、何と言っても素晴らしいのはICLの可逆性だ。つまり、手術後に何らかの不具合が起きても、埋めたレンズを摘出さえすれば、眼球は元の状態に戻るというのだ。
 角膜をレーザーで削るため、失敗すれば取り返しのつかない可能性も出てくるレーシックと比べて、安心感がケタ違いではないか。
 問題はICLの高額な費用だ。健康保険が適用されないため、最低でも70万。場合
によっては110万かかることもあるという。同じく保険適用外のレーシックが8万
円から可能なことを考えれば、いかに法外かわかるだろう。いずれにせよ、ビンボー学生がポンと支払える額ではない。
 ようやく私がICLを受けようと決意したのは、それから5年後、2017年のことだ。
 すでに社会人になっていた私は、それまで勤めていた会社を辞め、とある発展途上
国で働くことが決まっていたのだが、日本から持参したメガネやコンタクトを失くし
た場合、現地で品質のいいものを調達するのは困難ではないかと考えていた。
 ならばこの際、長年気になっていたICLを受けようとの発想に至ったのだ。
 手術を行う病院もすでに決めている。地元の東北地方から遠く離れた東京にあるKクリニック。国内でもっともICLの実績があるとされる大手のひとつだ。
「10万円ほど高くなっちゃうのでご了承ください」
 まずは適応検査を受けるため、東京へ。
クリニックの受付の壁にはここでICLを受けた著名人の額がずらりと並んでいた。
さぞかし儲かっているのだろう。
数種類の検査を難なくパスすると、続いて医師から手術の流れについて以下のような説明が。
①目薬で瞳孔を開く
②点眼麻酔をかける
③角膜の縁を3㎜切開
④切開した部分に折り畳んだ状態のレンズ
を挿入
⑤眼球に入ったレンズが開く
⑥眼球内の虹彩こうさいと水晶体の間にレンズを固定
 説明後、医師が尋ねてきた。
「視力はどこまで上げたいの? やっぱり2・0は欲しい?」
 0・02の最強度近視が本当に2・0にまでなるのだろうか? こともなげに聞いてくる医師がなんとも頼もしく思えた。
「まあそうですね。可能なら」
「ははは、何言ってんの! 可能だから聞いたんだよ」
 医師との面談が終わると、お次はクリニックの女性マネージャーから手術の日程や費用についての説明を受けた。
 彼女がタタタンと電卓を叩いてテーブルに置く。
「今回の手術代金はこちらになりますが、どうされますか?」
 提示された金額は70万。決心はもうついている。
「はい、大丈夫です。こちらで手術を受けたいと思います」
 その瞬間、マネージャーはイスから飛び上がらんばかりの勢いで立ち上がり、けたたましく拍手した。
「きゃー素晴らしい!」

この異様な態度に一抹の不安を覚えたのだが、その不安は検査から数日後、形となって現れた。同じ女性マネージャーから電話がかかってきたのだ。
「執刀医のK先生が北沢さんのカルテを見たところ、乱視矯正入りのレンズを使った方がいいと申しておるのですが」
 意味不明だ。私は乱視の自覚がないし、医者から指摘されたこともないのだ。
「いや、僕は乱視じゃないので普通のレンズで結構です」
「それですと術後の見え方に不具合が出るかもしれませんが、そうなってもご了承いただけるということでよろしいでしょうか?」
 つい先日、私の前で「素晴らしい!」と拍手をしていたとは思えない、やや不機嫌
な声。とにかく、こんな脅迫めいた言い方をされたら拒否するのは不可能だ。
「わかりました。乱視矯正入りのレンズにします」
「かしこまりました。ただ、レンズを変更した関係で手術代が10万円ほど高くなっちゃうのでご了承ください」
 このクリニック、大丈夫か? 半ば一方的に10万円も値上げするなんて。
影のようなものがどんどん目の方に
 迎えた手術当日、まずは瞳孔を開く用と麻酔用の目薬を2種類差し、手術用の衣服に着替えてから待合室に通された。
そこには同じくこれから手術を受ける患者が複数人おり、みな緊張した様子で順番を待っている。驚くほど静かだ。
30分ほどで名前を呼ばれ、診察室へ。室内にはものものしい機械と一体化した手術台があり、そこに体を横たえると、目の周りにテープや器具を取り付けられた。これでまぶたを固定するらしい。
ナースが目の周りに消毒液のようなものを塗った途端、視界が黄色くなった。
執刀医のK先生が言う。
「はい、では始めますね。怖いかもしれないけど体をラクにしててください」
先生の声と同時にライトが点灯する。思わず大声を出しそうになったのは、その光があまりにも眩しすぎて、苦しくなったのだ。目薬で瞳孔が開いてるせいだろう。
 はやくも湧き上がる恐怖心。しかし直後、それをゆうに上回る恐ろしい光景が。
 眩しいライトの光の中で、影のようなものがどんどん目の方に近づいてきて、眼球に触れたのだ。体が石のようにこわばる。
おそらく角膜を切開しているのだろう。しかし、痛みはまったく感じなかった。なにやら眼球がゴニョゴニョといじくられている感覚があるだけに、なんとも不思議な気分だ。
自分の心臓がドクンドクンと盛大に鼓動しているのがわかった。やけにノドが乾く。
体感的には1時間以上かかった気が
影のようなものはいったん視界から出ていったものの、またすぐに姿を現した。次は何をするのだろう。手順で言えば、角膜の切開が終わったあとは、レンズ挿入のはずだが…。
ふたたび影が眼球に接触したかと思ったら、いきなり視界が揺れた。プールの底から水面を見上げたように、視界全体がゆらゆらと波打っている。

どうやらレンズが挿入されたようだ。眼球のなかで折り畳まれたレンズが、ゆっくりと展開していくのがなぜかわかった。と、
次の瞬間。
(痛い痛い! 痛い痛い!)
突如、眼球に激痛が走ったのだ。同時に強く圧迫されるような感覚もあり、吐き気さえする。
声に出して叫びこそしなかったが、あまりの動揺に体が反応してしまったらしい。
K先生から注意が飛んだ。
「ほら、ジッとしてて。眼をグリグリ動かしちゃダメだよ」
 しばらくして痛みは治まった。だがその後、何かの液体を眼に注入されたときにもまた激痛が。
(うわあ、チョー痛て〜!)
 先ほどと同じく、眼がパンパンになり、猛烈な痛みを感じた。
そうこうするうち手術は終了。時計で確認したところ、所要時間はたったの15分程度だったようだが、体感的には1時間以上かかった気がする。
肝心の視力はどうなったのか。手術台から周囲を見回すと、視界がぼんやりと白みかかっており、あまり良くなったという印象はない。どういうわけだ?先生が言う。
「手術当日はこんなもんだよ。見え方が安定してくるのは明日以降だから、今日はなるべく目を閉じて休んでた方がいいと思うよ」
にしても、あの激痛はいったいなんだったんだろう。クリニックには、手術中に痛みを感じることはないと説明されていたのに。
体が揺れている感覚で目が覚めた
翌朝、宿泊先の安宿で目覚めて仰天した。
まだ少し視界が白みかかってはいたものの、視力が呆れるほど回復していたのである。
何だ、このクリアな視界は。眼の良い人間は、起きた瞬間からこんな景色を見ていたのか。
面倒なコンタクト装着もなく、メガネをかけることもなく、当たり前のように周囲がクリアに見える、そのことがこんなに素晴らしいものだなんて。
さっそく術後の検診のため、クリニックを訪れたところ、眼圧などに異常はなく、なんと視力は左右とも1・5になっていた。執刀医のK先生からも嬉しいことばが飛ぶ。
「よかったね。でも視力はまだ上がっていくから。最終的には2・0になるよ」
 最強度近視から2・0に。本当に夢を見ているようだ。
手術が成功したことに気分を良くした私は、買い物に出かけた。

明日は地元に帰るのだ。少しは東京の空気も楽しんでおかねば。ところがその日の午後になって状況は一変する。なんだか胸がムカムカするなと思い始めた途端、強い頭痛と吐き気に襲われたのだ。
すぐに宿に帰って寝ることにしたのだが、それからどれくらい経ったのか、体が揺れ
ている感覚で目が覚めた。なんだ?
 最初は大きな地震だと思った。が、そうじゃない。揺れているのは私が痙攣を起こ
していたからなのだ。心臓はバクバク、全身汗まみれになりながらまず電話したのはクリニックだ。しかし、女性スタッフに事情を話したところ、ノンキな返事が。
「うーん、薬が合わなかったわけではなさそうですし、ひとまず様子を見ていただくしか…」
 苦しいって言ってるのに様子を見てください? そりゃないだろ。
 幸い、電話中に痙攣と動悸は収まったのでひと安心したが、頭痛と吐き気はまだ続いてる。とりあえず翌日に検診の予約を入れ、無理やり眠ることにした。
「とりあえずロキソニンを出しておきます」
翌日、クリニックへ。改めてK医師に事情を説明したところ、彼は首をかしげていた。
「風邪をひいたわけじゃなく?」
「違います」
「どういう頭痛?」
 私はおでこを指差した。
「前頭葉のあたりが痛いんです。この症状っていつまで続くんでしょうか?」

「うーん、いまのところは様子を見るしかないね」
 またこのリアクションか…。
「先生、教えてください。これっていつまで続くんですか?」
「眼がレンズに慣れるまでは辛抱するしかないね。とりあえず、ロキソニン(頭痛薬)を出しておきます」
念のため、視力を計ってみると2・0になっていたが、むろん、喜ぶ気にはなれなかった。いくら目が良くなっても、健康を損なっては意味がないではないか。
 その後も症状は一向に改善しなかった。
ロキソニンが効いてる間、頭痛は緩和されても、吐き気は相変わらず。おかげで夜は寝付きが悪くなり、ようやく眠りに就いても、痙攣とともに汗だくになって目覚める。
これの繰り返しなのだ。
常に痛くて苦しいから、食欲も出なければ気力も湧かない。ついには生きてることがツラいとさえ思うようになっていた。
症状の改善が見られぬまま半月が過ぎたころ(この間ずっと東京に滞在していた)、私は苦渋の決断を下す。レンズを摘出するのだ。ようやく手にした視力を失うのはもちろんツラい。しかし、もろもろの状況から判断して、この体調不良の原因がレンズにあるのは明白なのだ。

その意志をK医師に伝えたところ、「あ、そうですかー」とあっさりした反応が。きっと、私がどういう気持ちでレンズ摘出に踏み切ったのかまったく理解していないし、する気もないのだろう。

手術日はすぐにやって来た。
レンズ挿入時は折り畳まれたレンズを眼球で展開させる方式だったが、今回は眼球内でレンズを裁断し、その破片を切開した角膜から取り除いていくという。
説明を聞いただけで尻込みしてしまったが、実際の手術は、まったく痛みを感じる
こともないまま15分で終了した。
「はい、お疲れ様〜」
執刀医のK先生の顔がぼやけて見える。ふたたび最強度近視に戻ったのだからそれ
は当然のこと。しかし、2・0で見た景色より、こっちの方が落ち着く気がするのは
なぜなのか。
いずれにせよ、レンズを摘出した時点で体調は元通りになるはずだった。ICLの
ウリは“可逆性”で、それを根拠に安全性を謳っているのだから。
しかし、現実はどうか。たしかに痙攣や吐き気はなくなったが、レンズ摘出から1年が経っても、まだ頭痛は週2回、動悸も週1回のペースで起きた。体調不良は完全に治ってないのだ。
 さらに摘出手術後、新たに発現した不具合も。
・飛蚊症(右目)
 視界に小さな黒い影がいくつも見える。
・ドライアイ(左目)目が乾きやすくなった。乾き始めると手術で切開した角膜のあたりが痛くなる。
・疲労感
 パソコンで1〜2時間作業しただけで目が疲労し頭痛が始まる。
 痙攣や吐き気などを含むこれら諸症状を引き起こした大元の原因は、レンズ選びにあ
ったのではないかと私は睨んでいる。度が強すぎたのか、サイズを間違えたのか、そこまで詳しくはわからないが、そんな気がしてならないのだ。
そもそも乱視でもない私に、乱視矯正入りのレンズを無理やり勧めてきたコト自体、不審きわまりないではないか。
正直、クリニックには怒り心頭で、裁判で訴えてやろうと真剣に考えたこともあった。しかし同時に、法学部出身で裁判例を学んだ私は、医療訴訟は患者側に不利なケースが非常に多いということも知っている。その事実を考えるとどうしても二の足を踏んでしまうというのが本音だ。
★昨2020年の2月、Kクリニックが突然、破産した。資料によると、理由は設備投資の負担増と債務超過だったらしい。
しかもクリニックの親会社が患者のカルテ情報を持ち逃げし、行方をくらませているというのだから呆れてものがいえない。
つまりは、元々、そういう連中だったということだろう。
いずれにせよ、これでクリニックを訴えることは不可能となったわけだ。
最後に言いたい。ICLの技術はたしかに素晴らしく、その手術に満足している方
もたくさんおられると思う。それは事実なので否定しない。
が、どんなに安全だと言われている手術でも、リスクはつきものだ。バカな私はそれを忘れていたがために健康を失ってしまった。皆さんはどうか慎重に決断してもらいたい。