さびれたスナック街を歩いていると必ずカラオケが漏れ聞こえて
くるものだが、なぜいつも決まって恐ろしいほど下手クソなのだろう。
酔ったオッサンは音痴になるのか?
いやいやそんなことないはずだ。多少のズレはあってもあそこまで音程をはずすことはなかろう。
では、気持ちよくマイクを握る当人たちにワケを尋ねに行くとしよう。都内某所のスナックから、よくわからない演歌が鳴り響いている。店前どころか路地一帯がオッサン
の金切り声で震えてるかのような印象だ。
店内に入り、声の主を発見。60才を過ぎたであろう風貌ながら作業服姿なので、現場仕事帰りなのだろう。オジサンのカラオケが立て続けに数曲続き、ホステスたちのぱらぱら拍手が止んだところで近づく。
( ○ … カラオケおじさん ● … 探偵 )
●気持ち良さそうでしたね。
○おう、ありがとねぇ。
●(隣に座って) ちょっとお酌だけ
させてください。スナックではよ
くカラオケ唄われるんですか?
○おお、そうだね。週8で来てる
よ。ナハハハ。
●へえ。気持ち良さそうでしたも
んね。でもちょっと…。
○うん?
●いや、失礼を承知で言うのです
が、たぶんメロディをずいぶん外
してたように思うんですよ。
○ええ?(オデコをおしぼりで拭く)
●知らない曲なんでなんとも言え
ないんですけど、その、ちょっと
聞いてられないレベルといいます
か。すみません突然。
○いえいえ。そうかぁ。
●外まで大音量で聞こえてたもの
で。
○あらー。失敬失敬。ナハハハ。
●もう下手でも気持ちよく唄って
やろうってカンジですか?
○参ったなぁ。下手だなんて思っ
てなかったしよぉ。なぁ?
(振られたホステス苦笑い)
●そうなんですね。でも、正直ち
ょっと、そういうレベルです。
○でも酒入ってるからねぇ。そり
ゃさぁ、キー外すこともあるよぉ。
なぁ?(振られたホステス苦笑い)
●では、お酒が入ってなければま
だ上手だと。
○そうそう。そゆこと! さ、あ
っち行ってくれぃ!
(探偵、シッシッと追い払われる)
まあお酒のせいってのはあるの
だろうが、本人に音痴の自覚がな
いのには驚いた。
別のスナックの前で、『天城越
え』を唄うオジサンの声が漏れてきた。
低音だ。ずーっと一定の低音で
ぼそぼそ唄っている。あるある。
これもスナックカラオケのパター
ンなんだよな。
いざ、店内へ。
50
代後半らしき
歌い手さんに近づく。
●お疲れさまです。お酌させてく
ださい。
○お兄ちゃんだれ? まあいいや。
座れ座れ。
●女性の歌うたってましたね?
○(ホステスを指して)
唄えって言うからさぁ。
●ちょっと厳しかったんじゃない
ですか?
○うん?
●初対面で恐縮ですけど、ちょっ
といただけないカラオケだったと
いいますか…。
○なにそれ! お兄ちゃんハッキ
リ言うねぇ。
●すいません。
○なに、それ言うためにお酌しに
きたの?
●まあ、はい。
○イジワルだなぁ。やんなっちゃ
うなぁ。
●すいません、でも…。
○人が気持ちよく唄ってんのにさ
ぁ。困っちゃうなぁ。
●そうですよね。でもぼそぼそ唄
ってらしたので、「気持ちよく唄
った」ってのはちょっと違うと思
うのですが。
○アジだよ、味。そういう声なん
だから。困っちゃうなぁ。
●すいません、ハッキリ言っちゃって。
○もう、ホントだよ。下手かどう
かなんてどうでもいいじゃない?
スナックなんだから。
●スナックだから、ですか?
○気持ちよく飲んで唄う。それだ
けじゃない。上手い下手は関係な
いじゃない。
●うーん。外にまで低音が聞こえ
てたので、気になってしまいまして。
○そうなの? 照れちゃうなぁ。
まあいいや。下手でもいいじゃな
い。下手なことぐらい知ってるよ。
でも好きなんだから。
スナックなら下手でも許されるとの主張。それはそれで一理あるかもしれないけど、『味』ってのは良く言いすぎじゃないでしょうか。
「ボー、ボー、ボボー」
こんな異音(カラオケ)が、スナックから聞こえてきた。いったい何を唄えばこうなるのか。
店内に入ってみればマイクを握っているのは40代前半のサラリーマンだ。軍歌を唄ってるようだが
「ボー、ボボー、ボーボ」みたい
な重低音ボイスで、歌詞もくそも
ない。メロディという概念すらこ
れっぽっちも見あたらない。
●(トイレに行くそぶりで近づき)
あ、ちょっとよろしいですか?
○はいはい?
●いまカラオケされてましたよね。
軍歌でしたか?
○おおお、軍歌マニアですか?
同士だ!
●いえ、そうではなくて。非常に
言いづらいのですが。
○うん。
●その、なんというか、もう雑音
にしか聞こえなかったといいます
か。外でお兄さんのカラオケが聞
こえてきて、思わず入店してしま
ったんです。
○雑音って?
●こもった声で、その、メロディ
を再現しようという気すらないか
のような歌唱だったもので…。
○……。(グラスの酒をぐいっとやる)
●スナックでカラオケするのはお
好きなんですか?
○いや好きというか。まあ来たら
唄うけど。
●女の子の反応ってどんな感じで
すか?
○(隣に座るホステスを見て)
さあ。普通かな。
●そうですか。何かヘンなコト言
ってすいません。
○いや、こちらこそお耳汚しです
いませんね。(酒をぐいっとやる)
軍歌好きだけに好戦的な人かと思ったが、腰が低くて助かった。
でも音痴の自覚は持ってほしい。
同じ店でまもなくして、まるで
ジャイアンのようながなり声が聞
こえてきた。
『北のー! 酒場通りにはあああ!!!』
何をそんなに気張る必要がある
のか。応援団の挨拶みたいな、抑
揚のない大声。さっきの人でも外
にダダ漏れだったのだから、今回
はもっとヒドイことだろう。
唄っているのはタオル巻きの現
場系おっちゃんだ。
●(唄い終えたところで近づいて)
一杯お酌させてください。カラオ
ケ凄かったですねぇ。
○あん? おう。サンキュー。
●スナックでカラオケってけっこ
う勇気いりますよね。他のお客さ
んもいるし、店の外に音が聞こえ
ることも多々ありますし。
○そう? 気にしねえけどなぁ。
●気にしないんですか。そうか。
普通のカラオケ店の個室だったら
身内だけなんでアレですけどね。
○アレ?
●いや、どれだけ下手でも被害は
小さいというか。
○ん?
●スナックだと関係ない人にも下
手な唄が聞かれてしまうことにな
るじゃないですか。
○なに、アンタ音痴なの?
●あ、そうじゃなくて。いや、僕
も別に上手ではないんですけど、
北酒場をそんな調子では唄わない
かなあと…。
○あ?
●けっこう外にも聞こえてるんで
すよ。それだけいちおうお伝えし
ておこうと思いまして。
○ああ?●その…ただ大きい声で歌詞を読
めばいいってもんではないかと…。
○(探偵のヒザをコツリとやって)
なんだよ、はっきり言えよ。人が
気持ちよく唄ってるのに、いちゃ
もんつけてんのか?
●いちゃもんとかじゃなくてです
ね。どうしてかなぁと…。
○ああ、気分悪い。帰れ。
(探偵のヒザをパーンと叩く)
どうにか上手いことお伝えしよ
うと試みたが、まわりくどくなっ
てしまったのが逆鱗に触れたよう
だ。
某スナック前でこれまたボソボ
ソ系の歌が漏れ聞こえてきた。伴
奏からして演歌みたいだけど、ま
るでお経を聞かされてるようだ。
店内では初老の男性がマイクを
両手で持ち、眼をつむって感情を
込めながら唄っていた。
●(歌が終わったところで近づく)
オジサン、お疲れさまです。
○どうもどうも。
●カラオケ、聞かせてもらいました。
○ああ、ああ。知り合いだったか
な?
●いえ初対面です。ちょっとお聞きしたいことがありまして。
○なんでしょう。
●いま唄ってらしたのは、お経で
しょうか?
○え?
●お経ですかね。ちょっと外で聞
こえてきて、慌ててやってきたん
ですけど。
○鳥羽一郎だよ。
●ああ、そうなんですか。スナッ
クでは良く唄われるんですか?
○スナックでしか唄わないですよ。
ジジイなんでそういう専門の店と
かは行かないしね。
●そうなんですか。鳥羽一郎です
か。けっこう外まで聞こえてまして。
○そう? 何か問題でもあるのか
な?
●問題といいますか。どうしてあ
のお経みたいな唄いかたで、スナ
ックで唄われるのか疑問に思って
ですね。
○お経って? 声が小さ
かった?
●いえ、たぶん声量の問題
ではないんです。その、技
量といいますか。生まれ
持った才能といいますか。
○ヘタだったか。
●はい、正直。
○恥ずかしいねえ。
●そんな。どうしてスナックから
お経が聞こえてくるのか不思議に
思っただけですので。
○こりゃ失敬。もっと練習してか
ら唄わなきゃダメだなぁ。
●あはは。
○ありがとう。練習するよ。今度
会ったら褒めてもらえるように。
最後の最後に感謝されるだなん
て、探偵の調査もたまには役に立
つものだ。