東京練馬区にある大泉学園町は、埼玉県新座市の池田町と隣接している。
つまり、一見どこにでもあるのどかな住宅街が、目に見えない県境によって、一方は日本の首都に、もう一方はその他大勢の県のひとつに分断される、そんなまぎらわしい状況が起きているわけだ。
東京と埼玉。住所のステータスという意味では、当然、両者の間に格差が生まれていると考えられるが…。
まずは東京側の大泉学園町から調査を始めよう。
先ほども書いたとおり、問題の境界線は住宅街のど真ん中を走っている。が、1本の狭い生活道路が目の前の住宅群を東京と埼玉に分けていると言われても、実感がこれっぽっちも涌かない。どう見てもただの住宅街だ。
境界線付近をてくてく歩くことしばし、前方から60近いバーサン歩いてきた。さっそく話しかけてみる。
「すいません。この辺りって東京と埼玉の境ですよね」
「はい、そうですよ」
「あの、つかぬことをお聞きしますが、お母さんはどちら側の住人でしょうか?」
「もちろん、東京側ですよ」
ニコリと笑うバーサン。さらりと出た「もちろん」という言葉に、彼女のプライドが感じられる。
「やっぱり東京側で良かったと思います?」
「うふふ、まあ、そりゃねえ。東京だもの」
「だったら、新座市の人に対して優越感もあるんじゃないですか?」
「いえいえ、そんなのないわよ、私はね」
「私は?」
芝居じみた仕草で、バーサンが声を落とす。
「主人と息子がね、ときどき言うの。新座市はボロボロの家が多いし、緑が少なくて町工場がいくつもあったりするから貧乏くさいって。うふふ、大きな声じゃ言えないけどね」
ダンナと子供に責任をなすりつけているけど、満面の笑顔で話してる時点で、彼女自身も新座市民を見下してるも同然だ。そして案の定、ついにポロリと本音が。
「それに昔はダサイタマって言葉もあったじゃない。やっぱりそういうイメージがついちゃってるから、隅っこでも東京に住めて良かったって思うこともあるわよ」
「あ、やっぱり優越感持ってるんじゃないですか」
「そうなるのかしらね、うふふ」
今度は反対側の意見も聞いてみよう。池田町内の大型スーパー前で、先ほどのバーサンとほぼ同じ歳格好の女性を発見した。徒歩で移動しているってことは、近隣住人に違いない。
「ちょっとすいません。ここらへんは東京と埼玉の県境って聞いたんですけど、お母さんはどちらの住人ですか?」
「埼玉ですよ」
おどけるように彼女が続ける。
「あと10メートルで練馬に入っちゃうような、本当にギリギリのところですけど」
「へえ、惜しいですね」
「そうなの、あとほんのちょっとなのに。あはは」
口ぶりからして東京に多少の憧れがあるようだ。
彼女がこの町に家を建てたのは30年ほど昔のことだそうだが、だったらなぜそのとき、目と鼻の先の練馬を選ばなかったのだろうか。
「お金の問題ですよ。当時は1歩でも練馬に入れば土地の値段が全然違いましたから。今は知らないけど」
「じゃあ、新座に住むのは不本意なんですか?」
「そこまでは言わないけど、どうせなら都民になりたかったなとは思いますよ。それに練馬は新座よりずっと行政もいいし。高齢者はバスが無料だったりとかね」
「へえ、そうなんですか」
「うん、近所に練馬のお友達がいるんだけど、そういう話になるとやっぱり羨ましくなりますもん」
さらに話を聞けば、その友人とは近ごろ疎遠になっているそうで、それとなく理由を尋ねたところ、こんな答えが。
「悪気はないんだろうけど、ときどきちょっと小ばかにしたような態度が出るのよ。そっちは税金が安くっていいわねえなんてクスクス笑われたら、やっぱりいい気はしないでしょ」
まあ、そうだろうな。