高圧電線の鉄塔の近くには、頭のアレな人が住んでいる。そんな偏見に満ちた都市伝説を聞いたことはないだろうか。
おそらく、その根拠となるのは電磁波だろう。高圧電線が出す強力な電磁波を浴び続けると、健康被害や精神障害を受けるという説で、海外には住宅や幼稚園などの近くに高圧線の鉄塔を建てないよう規制している国もある。実際に、日本でも高圧電線の近くは土地代も安いそうな。
高圧電線は、首都圏をぐるりと囲む形でも設置されている。全長およそ150キロ。
この電線をたどって走り続ければ、どんな人たちに遭遇するのだろう。
バイクにまたがり、まずは関東某所にある、50万ボルトの送電線が集まる変電所へ向かった。
変電所脇の道路にバイクを停めて周囲を見渡してみるが、車も通行人の陰もなく、耳をすませばブーンという気味の悪い電気ノイズが聞こえてくるだけだ。特に身体がビリビリ痺れたりするわけでも、頭痛が起こるわけでもないが、このノイズを聞いていると、何となく身体に悪そうな気がしないでもない。
田園風景に立つ鉄塔を目指して道を進んでいく。ポツポツ並ぶ住宅や、町工場などを横目に走り続けるうち、小綺麗な住宅地のような場所に辿り着いた。
電線は道路と道路の間の、綺麗に整備された緑地帯に沿って伸びていて、通行人も小綺麗な格好をした子連れのお母さんや、制服姿の小学生など、善良な市民にしか見えない。
緑地帯が終わり、坂道を登る途中の電線の真下に、小さなボロいコンテナのような建物があった。
ん? 中から白いツナギを着たおじさんが出てきたぞ。まさかコンテナに住んでるのか?
「おじさん、すみませーん。僕この辺に越してくることになったんですけども、鉄塔の近くにいて、何か困ることってありますか?」
「うーん、微妙ですけどね」
「微妙? というのは」
「まあ、体調がおかしく感じることはあるよね」
「でもここに住まわれてるんですよね?」
「まあね、すごいからね、この電気。ここで雨が降ったときに傘を差すでしょ? 手に持った部分がビリビリ来るんだから」
何ソレ? 放電してるのか? 怖すぎるだろ。
「そうなんだよ。身体の弱い人なら何か影響でるんじゃない? 俺はもう慣れちゃったけどね」
「どれぐらいお住まいなんですか?」
「9年だよ」
「そんなに。お元気そうに見えますけど」
「だから、ないとも言えない、あるとも言えない。でも体質もあると思うよ」
「感じない人もいるってことですね」
「そうそう。ここで雨が降ったときに傘を差すでしょ?」
「はい」
「手に持った部分がビリビリ来るんだから」
「へ〜…」
って、その話、さっき聞きましたけど。
「そんなに凄いんですね」
「そうなんだよ。だから影響ないとは言えないと思うよ? 東電なんかに言わせると影響ないって話だけど」
「やっぱりあるんですか」
「うん、人によっては出る人もいるみたい。俺もさ、雨降ったときに傘差すでしょ?」
「はい…」
「手に持った部分がビリビリ来るんだから」
「…あ〜。怖いですね〜」3回目だ。この人、大丈夫か?
コンテナおじさんに別れを告げ、電線を追ってゆく。
しばらく傾斜の上り下りが続き、山あいの住宅街に出た。古い一軒家が建ち並ぶよくある郊外の宅地といった雰囲気だが、鉄塔に挟まれているので、頭上には何本もの高圧電線が横切っている。
とあるお家の前で、ポストをガチャガチャ開けてるお兄さんがいた。寝癖の付いた髪、半ズボンにヨレた靴下。ちょっとアブない雰囲気だけど、左手には冊子のようなものを持っている。ポスティングのバイトだろうか。
通り過ぎようと思った直後、男の動きが怪しいことに気づいた。あの人、郵便物を漁ってないか?
道に迷ったフリをしながら近づいて観察してみる。あ、男が隣の家のポストもガチャガチャと開け、中から何かを引き抜いた。絶対おかしいだろ。
「すみませーん」
「…はい?」
話しかけた瞬間、ものすごく警戒した雰囲気で感じでこちらを睨んで立ち止まった。
「なんですか?」
「あの、えーと、駅ってどっちかわかりますか?」
「そこの道行って、突き当たりを左。そのあと右に登ってまっすぐ行けばありますよ」
「あの、実はこの辺に引っ越してくることになったので、色んな方に住み心地を聞いてまわってたんです。いい街ですよね」
「……。ちょっと、わかんないんで」
「そうですか。ちなみに今はお仕事中ですか?」
「……」
「あの…」
男は俺の質問を無視して振り返り、競歩のような早歩きでどこかへ行ってしまった。
住宅街を抜け、川沿いの緑地帯に並ぶ鉄塔を追いかけていく。
とあるオンボロアパートの庭先に、トレーニング用のジムが置いてあった。ちょうど通行人にトレーニング風景を公開しているような配置だ。気になったが、しばらく待っても住民らしき人は出てこない。あきらめて先へ進もう。
しばらくして大きな沼のほとりにある公園に着いた。園内に巨大な鉄塔が建ち、その下に広がる芝生やベンチに座ってのんびりしてる住民たちの姿がみえる。俺もバイクを停めて少し休憩しよう。
芝生でゴロンとしていたら、ブツブツ男性の独り言が聞こえてきた。音のする方角を見ると、木陰の芝生に自転車を停め、そのまわりをウロウロしてるおじさんが。ゆっくり近づいてみよう。
「キャシーちゃ〜ん、キャシーちゃん、カワイイね、キャシーちゃん」
独り言の中身がわかってきた。どうやらあのおじさん、園内を歩く小さな女の子たちに声をかけてるみたいだ。キャシーちゃんって何だ? かなりアブない雰囲気なので、近づくのをやめ、しばらく遠くから観察を続けることに。
おじさんは、親子連れの女の子以外にも、下校途中の女子中高生など、とにかく目の前を女の子が通るたびに、ピューと口笛を吹いて、「ジェニファーちゃん」とか「ステファニーちゃん」などと、勝手なあだ名で呼びかけているようだ。おっさん、大丈夫か? ちょっと怖いけど、話しかけてみよう。
「こんにちはー」
「ん!? なんでしょう!?」
声がデカイ。笑顔でブツブツ言っていた彼が、警戒の色を浮かべて停止した。
「実は今日、初めてこの街に来たんですけど、すごくいい雰囲気だなーと思って」
「ああ、そう? どこなのホームタウンは?」
「東京です」
「おれね、阿佐ヶ谷に4年いたんだけど、そこのウナギ屋で食中毒になっちゃってさ
ー、大変だったのよ。ここはね、いいよ〜。もう40年以上も住んでるけどね、いい!」
だいぶテンションがおかしいぞ。単に酔っぱらってるだけかと思ったけど、手に持っているのはミネラルウォーターだ。
「おじさんは、いま何されてたんですか?」
「ん? 何もしてないよ」
「あ、そうですか…。なんか楽しそうに見えたんで」
「うん、何もしてない」
楽しそうに女児に声をかけてたくせに、
しらばっくれてるな。
「この公園はよく来られるんですか?」
「うん、だってアパートすぐそこだもん」
「雰囲気のいい街ですよね。あの鉄塔はずいぶん近くにありますけど、何か問題はないですか?」
「うん。ここはね、放射能の土を埋め立てた場所なの。ここ」
「え? そうなんですか?」
「うん、だからね、危ないですよここは」
なんだか話は支離滅裂だし、会話もかみ合わない。
「あの、鉄塔がずいぶん近いですけど、問題はないですか?」
「ん、鉄塔? オレはね、生まれてから60年ここに住んでますけどね、あの鉄塔は最高ですよ!」
「…そうですか」
「だって、この辺の街のライフラインですからね。地震が起きても倒れないし、本当にすばらしい!」
この辺にしておこう。おじさんに礼を言ってその場を離れた途端、彼は再び小さな女の子や女子小学生たちに「キャサリンちゃん! キャサリーン!」などと声をかけていた。
バイクは隣町に入った。この一帯は、高い建物のない下町の住宅街なので、鉄塔の
乱立ぶりがよくわかる。住宅街の一角に小さな公園があり、おじさん2人が柵越しに何やら話している。近づいてみよう。
「こんにちは。この辺に越してくることになったんですけど、高圧電線が多くて驚いてまして」
「あ〜、高圧線ね。確かに病気になるとかガンになるとか言われてたけどね、俺はもう
40年ここに住んでるけど、元気だな」
「そうですか。ほかに気になることはないですか?」
「まあ、たまに変なのがいるっちゃいるかな」
「え?」
「ほら、たぶんだけど、外国人窃盗団がさ、この辺の車とか持ってっちゃうのよ」
近くの大きな駐車場に停めてあった重機やトラックが盗まれる事件が頻繁に起きて
るそうな。それは高圧線と関係ないけど、普通に困るだろうな。
と、おじさんの目の前に立っていたもう1人の男性が口を開いた。
「あの、あれう、あうぅ…」
え? いま何て言いました?
「あれう、あう……」
かなり重い言語障害をお持ちのようだ。たぶんご病気なんだろう。
先へ進もう。何本かの鉄塔を通り過ぎたところで、住宅街の真ん中に建てられた鉄塔の前を、何度も行ったり来たりする人物を発見した。ヨレヨレの上下に、浅黒く日焼けした肌と、寝癖のついた髪。いかにも怪しい雰囲気だ。
「こんにちは。今日は天気がいいですね」
「……」
あれ、無言のまま横を向いてしまった。話したくないのかな?
「あの…、実はこの辺に引っ越してくることになったんですけど、鉄塔の近くにいて、何か気になることとかありませんか?」
「うーん、いぇっちぃえん」
何か言葉を発してくれたけど、まったくもって意味不明だ。言語障害かな?
「今日はお休みなんですか?」
「ん〜ん、でぃっでぃっでぃあん」
うん、やっぱり何を言ってるのか全然わからない。
めげずに色々問いかけみたが、なんらかの声を発して答えてくれるものの、どれもちゃんとした言葉になっていない。相変わらず目も合わせてくれないし。
少し離れたところで男性を観察してみたが、彼は無言のまま、何度も何度も鉄塔前で行ったり来たりを繰り返していた。
高圧電線は小さな山をまたぐようにして自然公園の中へ続いている。行ってみよう。
園内のランニングコースをゆっくりと歩くおじいさんを発見した。首にタオルを巻
いて、何やらコードが伸びた電子機器を持っている。健康のために歩いてるようだが、一応声をかけてみよう。
「すみません、ちょっと道に迷ったんですが、○○駅の方角ってわかりますか?」
「ああ、○○の駅ね、えーとね…(ピピピッ!)この道をまあっすぐ進むとね、テー字路に(ピピピッ!)ぶつかるから(ピピピッ!)」
そのアラーム音はなんだ? 爺さんの胸元から聞こえてきてるみたいだけど。
「あの、何か音がしてますけど、大丈夫で
すか?」
「ああ、大丈夫、死にやしないから。(ピピピッ!)ハハハ! とにかくね、駅はね、(ピピピッ!)あっちの方角だから、(ピピピッ!)行ってごらんなさい」
「ありがとうございます」
かなり心配だけど、口調はしっかりしてるので大丈夫でしょう。
高圧電線は、自然公園を抜けて、再び下町風の住宅街に入っていった。
しばらく人気のない道路を進んだ先で、味のある風体の婆さんを発見。近くで買い物をしてきたのか、スーパーのビニール袋を下げている。
「こんにちは。この辺で食材を買いたいときはどちらに行けばいいんですか? 最近越してきたばかりでわからなくて」
「あ〜、…知りません」
「えーっと…、今日はお買い物してきたんですよね?」
「ああ、そうですか?」
「いや…、その買い物袋、いまお買い物してこられたんですよね?」
「ええ、ええ」
「それはどこで買われたんですか?」
「あ〜、知りません」
志村けんのコントみたいになってるよ。まったく会話にならないぞ。呆然としてる間に、婆さんはゆっくりと歩き去っていった。
電線は、車通りの多い国道沿いに出た。ドラッグストアやコンビニなどの商業施設も増えて、かなり賑やかな雰囲気だ。
一本の鉄塔のすぐ横に、怪しげな骨董屋があった。店内は電気が消えて暗いが、人影が見える。店主だろうか。
「こんにちは。お店開いてますか?」
「はい、開いてます。何かいらないものがあればいつでも持ってきてください。まあ、古いものじゃないと買えないんだけどね」
早口の独特のしゃべり方で迎えてくれた店主の男性は、とにかく売るための商品が欲しいようで、しきりにいらないものがあれば持ってきて、というセリフを口にする。
店内には工具や古い家電、壺など脈絡なく色んなものが散らばっている。
「あの、近くに鉄塔がありますよね」
「え? はいはい」
「何か問題とかないですか? 体調だとか、精神的にとか」
「あ〜〜。…いや、ないですよ。ないない」
なんだよ、いま何か言いたげな感じだったぞ。
「何かあったんですか?」
「いや、もうここで10年以上も商売やってますからね、色々ありますけども…。とにかく何かいらない物があれば持ってきてください。古いものをね」
結局言わないのかよ。気を取り直し、さらに先へ進むとしよう。電線を見ながら、国道脇の住宅街へとジグザグに進んでいく。
とあるお家の脇で、ちりとりとほうきを持って道路を掃く、麦わら帽を被った男性を発見。気になるので話かけてみよう。
「こんにちは。この辺って鉄塔が多いですけど、何か気になることとか、ありますか?」
「んいやあ…、んないねえ」
なんだかやけにゆっくりとした、奇妙な発音をする人だ。
「こんどこの辺りに引っ越してくることになったんで、色々教えて欲しいんですけど」
「どぅのえん?」
「ここの近所ですね」
「あ〜。…べちゅに、困ることは、ないっつよ」
「そうですか。こちらには長く住まわれてるんですか?」
「ん〜。んながい。にじゅうなんにぇんだかあ」
試しに近くにある公園やスーパーなどの場所を尋ねてみると、かなりゆっくりながらも、わかりやすく教えてくれた。発音とテンポがおかしいだけで、会話の内容はマトモだ。
「お体は元気なんですか?」
「うーん、ちょっとほら、あなま(頭)があれで、しゃべりづらくなっなから」
だいぶ喋るのが大変そうなので、お礼を言ってその場を後にした。
その先も、高圧電線は高台から田んぼの間を縫うようにして、はるか遠くまで伸びていた。
が、さすがにキリがない。今回はここまでにしておこう。