会話のタネ!雑学トリビア

裏モノJAPAN監修・会話のネタに雑学や豆知識や無駄な知識を集めました

店内に誰もいない本物の隠れ家居酒屋

JR中央線の某駅から徒歩3分、細い脇道にスナックのネオンの灯りがいくつか並んでおります。場末の雰囲気たっぷりのその小路を奥に進むと他の店とは明らかに一線を画す、怪しげな店が一軒佇んでいました。看板には「家庭料理」と記されており、ツタの絡まった店の周囲には無数の植木鉢や空き瓶、ビニール傘、段ボール、バケツなどの生活用品が散乱しており、1階も2階も窓の奥は暗く静まり返っています。
 この惨状を見る限り、普通なら既に潰れちゃってるなと考えて手を合わせるところですが、入り口のドアに「こちら不在の時は大変お手数ですが店内中央インターフォンでお知らせ下さい」という貼り紙が貼られていたのです。「店内入口」ではなく「店内中央」というところが引っ掛かります。確かに入口にはインターフォンらしきものはなく、だとすると「店内中央」とは店の中という意味になります。ガラス窓から中を覗いても店内は真っ暗。しょうがないから試しにドアを横に引いてみるとなんと鍵は掛かってないようでガラガラガラとけたたましい音と共にすんなりと開いたのでした。
 しかしだからと言ってこの真っ暗闇の店内を「お邪魔します〜」と言ってズカズカ入っていけるほど自分は社交的でもないし、それより何より店の中が暗すぎて店内の中央まで行くことは不可能なのです。スマホの灯りで照らしてみると玄関先にはヒョウ柄上着がハンガーで掛けられているだけでそれ以外の情報は全く分かりません。どうしたものかと悩んでいると近所に100円ショップがあったことをふと思い出し、ペンライトを買いに行くことにしました。オモチャのようなペンライトを購入し、再び店に戻り、顔の横でペンライトを照らしながら店内へと恐る恐る進みます。傍から見たら完全に空き巣と思われるに違いありません。
 店内入口の脇には漬物の樽が置かれ、前方にはカウンター、右手には木製のテーブル、奥の座敷には布団が敷いてあり、先ほどまで誰かが寝ていたかのような人型の跡がついてます。そして店の真ん中には電話が2台あり、壁に掛かった1台には赤い矢印が記されていました。震える手で受話器を持ち、赤い矢印が示すボタンをプッシュ。ツーツーという内線の音と共に「あー?どうしたの?」というおばさんの声がしました。「店に来てるんですが」と伝えると「隣のスナックにいるからこっちに来る?」とのこと。状況が呑み込めず「この店で食事をしたいんですが」と伝えると「どうしても?」と言うので「何とかお願いします」と伝えると「今いくね」と言って電話はプツリと切れました。
 一旦外に出ていつでも逃げられるように身構えていると店内の暗闇の中から小さな人影が「ごめんね〜」と言いながらその姿を現しました。もう80を超えていそうなそのおばさんは「よく来たね。適当に座ってちょうだい」と言って電気を付けて右手のテーブルに案内してくれたのですが、テーブルの頭上にはハエ取り紙が2本ぶら下がっており、黒いショウジョウバエが100匹以上、その粘着テープに貼り付いていました。
 その真下のテーブルに瓶ビールとコップを置かれて「まあ一杯やってちょうだい」と言うのでしょうがないから頭上のハエの死骸を気にしながら慎重にビールをコップに注ぎました。しばらくすると、ふかし芋を皿にポツンと一つ乗せて運んできて「ウチはセット料金だから安心してね」と言うので壁のメニュー表を見上げると「セット料金1500円、ビール500円」と記してあり、その下に「年中無休」と書いてあったので思わず椅子から転げ落ちそうになりました。潰れたと思ってた店が年中無休だった時のリアクションになりました。おばさんはテーブルの対面に座り、ニンニクをボリボリと食べながら「ここも昔は座りきれないぐらいのお客さんがいたんだよね」と悲しい顔で話し始めました。「山口百恵もまだデビュー間もない頃に一回来たことあるんだよね」と言うので声を出して驚いたところ、おばさんは「内緒だよ」と言い、なぜかそれ以上百恵トークを広げようとしませんでした。しかし「隠れ家」だの「個室ダイニング」だのを売りにする飲み屋が増加する昨今、ここまで隠れ家的な呑み屋は他にないでしょう。まるで田舎のおばあちゃんの家でくつろいでいるかのようであり、現に「そこの布団で朝まで寝て帰っても良いよ」とのことでした。
 そのあと、どこで作ったのか、モヤシナムルとイカの炒め物をいきなり持ってきてくれて、息子と娘と孫の軽い自慢話を3:3:4の割合で代わる代わるしてくれて、大きな相槌を打っていると、そのマシンガントークはさらに勢いを増し、「お金いらないから隣のスナックに一緒に行こうか?」と誘ってくれましたが、断腸の思いで丁重にお断りして2千円を支払い店をあとにしました。