会話のタネ!雑学トリビア

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人生最大の後悔・あそこでトイレにいっていたら

人生の分かれ道、という言葉がある。
進学や就職、恋愛などで、どちらを選ぶべきか悩むときも当人はその分岐点にいるように感じがちだが、本当の意味でのターニングポイントは後になってから気づくものである。その性質上、振り返る形でしか見えないのが人生の岐路というものだ。
もし、あのときあちらの道を進んでいれば…。人は誰しもそんな後悔を抱え、ありえたかもしれない人生をふとしたときに思い浮かベ、現実を生きている。
あなたの人生の岐路はどこでしたか?著名人が語る転落や成功の大きなきっかけではなく、市井の無名の人々の、些細な、それでも確かに人生を変えたその時を聞きたいと思った。
あそこで席を立っていたら
染みだした小便はイスから床へたった
1人目、37才の西田さん(仮名) は都内の新聞販売所で働く男性だ。コンビニで立ち読み中に取材を申し込み、ファーストフードで話を聞くことになった。
「あのときどうして立ち上がらなかったのか。簡単なことなのに。今も悔やんでます。あれさえなければ…」
彼は新聞の販売所に勤めて今年で17年になる。独身、寮住まい。現状は決して満足のいくものではなく、特に休みが少なく、拘束時間が長いことが不満だと漏らす。休日は年末年始を含め年間60日、午前9 時から夜9 時までの勤務と聞けば、さすがに同情したくなる。彼の人生を変える大きな分岐点は、まだ10代のかなり早い時期にあった。むろん本人の自説にすぎないのだが、このテーマを本人以上に正しく語れる者はいない。間違ってはいないのだろう。
東北地方で生まれた彼は、算数が好きで、先生によく褒められる生徒だった。日く「ク
ラスで3 番目ぐらいの人気者」。なんとなくイメージはできる。
中学でも成績は良く、1 年夏の合唱コンクールでは学年を代表して指揮者にも選ばれた。まだ将来を考える年齢ではなかったが、少年なりのぼんやりとした夢はあった。海外を飛び回るような仕事をしたい、そう思っていた。
だが、彼の人生の岐路はそんな楽しい学校生活の中に訪れた。
1年生も終わりに近づいた冬の日、卒業式の予行演習が体育館で行われた。在校生も出席して歌を歌わねばならないのだ。寒い体育館、彼は自然と尿意を催す。いったん気になり始めると、オシッコのことしか考えられなくなっていた。
トイレに行けばいい。ただそれだけのことである。彼も何度も席を立とうとした。腰が少し浮くところまではいった。でも厳粛なムードを壊すぐらいなら我慢したほうがいいと考えた。
よもや少年も、その選択が人生を決定づけるだなんて想像だにしなかったろう。明日も今日と同じ日が来ると信じて疑わなかったはずである。尿意は臨界点を超え、ジャージを染みだした小便はイスから床へったった。

ボクの通った中学校には、もっと大胆な少年がいた。授業中にゥンコを漏らしたのだ。以来、卒業までずっとからかわれるのだが、彼はなぜか明るく応じていたので、傍目にはウンコ事件が決定的なダメージを与えた様子はなかった。数年ぶりに地元で顔を合わせたときも、「でも臭くなかっただろ」と笑っていたほどだ。いまは市役所に勤めている。同様の例は各地の学校にあると思う。ゥンコ君、おしっこ君はどこにだっていて、みんなにからかわれて、そして何事もなかったょうに人生を歩んでいく。
しかし25年前の西田少年は、その日を境に人間が変わってしまう。友達と目を合わせら
れず、誰ともしゃべれなくなった。しゃべりたいという気すら起きない。だからしゃべらない。周りが避けたのではなく、自分から遠ざける形になった。
授業にも集中できない。成績もどんどん下がっていく。地域で一番レベルが低い高校に
進み、そこでも3 年間『ああ』『うん』の二言ほどしか使わず、もちろん友人は1 人もできなかった。
その後、新聞奨学生の制度を使って神奈川の無名私大へ入るが、7 年通った末に中
退し、そのまま新聞の販売所に就職。今に至っている。
コミユニケーション不全が改善されてきたのはここ2 年ぐらいのことで、おかげで販売所の寮にも仲のいい人は1 人しかいない。そう、あの日から22年間も、彼は他人との関わりを避けて生きてきたのだ。あの日の体育館で、迷わず席を立っていればどんな人生が待っていただろうか。酷な質問に、彼は苦笑した。今まで何度も夢想したことがあるというのだ。
たぶん近所にぁる、県で2 番目の進学校に入っていただろう。彼女はできなかったかも
しれないが、親友は何人かいたはずだ。大学は早稲田か明治。もしそのときも昔の夢を持っていれば、商社あたりに勤めたんじゃないか

「そして37才の今は?」
「もちろん結婚して子供も1 人はいますよね。海外に住んでたりするんじゃないかな、とか思いますけど」
学業優秀だった彼にならありえたかもしれない、でも現実には存在しなかった人生である。後悔していると何度もつぶやきながら、彼はこんなことを口にした。
人間はどんなときでも自分なりの最高の行動をしているもので、だからやはり他の道は
ありえなかったのかもしれない。あのとき席を立つといぅ選択肢があったよぅに思えるのは、時間が過ぎてから生まれた錯覚なのかも、と