会話のタネ!雑学トリビア

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究極の山登り・鉄人の崖登りクラブ

留学先で入会した珍サークル。

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男たちは崖の上、雪山命がけでアイロンを
スワッピングや覗き等々、日本には独自の活動を展開するサークルは少なくない。しかし、理解に苦しむという意味では、私が関わっていた集団の右に出るものはないだろう。なんせそのサークル、山の頂きでアイロンがけをするのだから。

ウチは厳しいよ。付いて来れるかい?
大学のホームステイ制度を使ってイギリスに短期留学をしたのが去年の秋。聞こえはいいが、住んでいたのはスワネージというロンドンから電車で3時間のド田舎だ。娯楽は小さな映画館とパブぐらいで、若者が退屈をしのぐにはサークル活動に打ち込むしかない。私も学校に着くや、すぐに募集の告知板をチェックして回った。

「素敵な仲間と楽しもう」

『毎晩パブで飲み明かしたい者求むー』

ナンパサークルなど、これっぽちも触手は動かない。何を隠そうこの私、日本じゃフリークライミングの猛者として鳴らした男である。入るならアウトドア系。それ以外は考えられなかった。ほどなく、ある募集告知の前で私の足が止まった。直訳すると

「鉄人の崖登りクラブ」ってとこか。「鉄人」の二文字が、なんともハードな空気を醸し出している。よさげじゃないか。思うが早いか、貼り紙の番号へ電話をかけると、ケビンを名乗る男に繋がった。

「ハイーえっ日本人なのっ珍しいね。もちろん大歓迎さーでも、ウチは厳しいよ。付いてこれるかいっ」

いきなり力マしてきたケビンだが、望むところだ。聞けば、早くも明日、海岸沿いの崖にアタックをかけるらしい。よーし、大和魂を見せてやろうじゃないか。翌朝、ロープを束ね、愛用のトレッキングシューズで準備万端、現地に乗り込むと、

「ユウターよく来たね」「ヘーイ、ヨロシクー」

短髪で長身のスポーツマンタイプの男3人から、ハイタッチの歓迎を受ける。崖登りに興味を持つ人間は少ないのか、みな私のサークル入りを心から喜んでいるようだ。

「じゃ、ボクらの間に挟まるように登ってくれ。初心者は危険だから」

フッ。そのセリフ、後で後悔させてやるぞ。私を誰だと思ってるんだ。なんて自信は、岩肌に手をかけた瞬間に消え失せた。3人とも、階段を上るように直角の岸壁を進んでいく。対して私といえば。レベルの違いに落ち込みながらもー時間後、どうにか頂上に到着。

「よし。セッティングー」

ケビンが叫ぶと、他の2人がリュックを開ける。なんだ、何が始まるんだ。中から出てきた、大きな取っ手に銀色の底敷は最初、釘を打つ機械のように見えた。だが、本体に刻印されたロゴ。ナショナルっって、もしかしてっウソだろ。
しかし、小さい台座が設置され、その上にYシャツが置かれるに至っては現実を認めざるを得ない。彼らは切り立ったガケの頂上で、アイロンをかけようとしているのだ。「どうしたユウタっアイロン台でも忘れたかっ」

顔を向けるケビン。これって、ドッキリじゃないよなあ。

「もしかして、オマ工、知らずに入ってきたんじゃ」

私は激しくうなずいた。大自然の中でシャツのシワが伸ばせる
ケビンに聞かされ驚いた。「崖登り」ではなく「はらはらする」との意味で使う熟語らしい。つまり、このサークルは「アイロン男がはらはらするクラブ」だったのだ。それにしても。なぜアイロンなんだっ

「この文化が生まれた理由は誰も知らないんだ。わかっているのは、初めて崖の上でやったのがドイツ人だってことぐらいだな」
結局、彼らもわかってないらしい。

「でも、攻めるのは崖だけじゃない。これを見てくれよ」

驚いた。雪山をソリで滑降しながら、スチームがけをしているのだ。続く2枚目では腰が抜けそうになった。激流を力ヌーで渡っているーもちろん右手にアイロン、左手にオールだ。もはや命懸けの世界である。そこまでの危険を冒すだけの理由がどこにある?「だって、大自然の中でシャツのシワを伸ばせるんだぜ」わからない。さっばりわからないぞ。5日後、私は再び崖の前に立っていた。とにかく、一度自分で経験しないことには、気持ちの整理がつかない。勢い込んで頂上を目指したのも束の間、重大な問題が発生した。背中のアイロン台が左右に揺れ、重心をうまく保てないのだ。ヤバい。気を抜くとマジで落ちそうだ。「ユウターアイロンだけは落とすなよ」
ケビンは、すでに遥か上で笑っている。くっそー。登頂には3時間かけ、いよいよ人生初の崖アイロンだ。台の上にくたびれたYシャツを載せ、東芝のコードレスタイプを取り出す。そして、一気にスチームを押しつけああ気持ちいいーなーんてことは、まるでなかった。シワを伸ばそうと頑張るほど、単に外で洗濯をしているような気になるだけ。みんなこめんよ。私はアイロンを楽しむ器を持った人間じゃなかったらしい。

★10カ月後、留学の期限が切れた私を、ケビンたちは空港まで見送りに来てくれた。握った手をいつまでも離そうとしない彼ら。最後までサークルの活動を理解できなかった男なのに。そう思うと、少し目頭が熱くなる。アイロン以外は全く我々と変わらない、普通のナイスガイなのだ。今年の夏、彼らに会うため私はまたイギリスへ旅立つ予定である。かつては頂上までバソテリーを運んだが、コードレスアイロンが出たお陰で電源周りはラクになった。