みなさんは、僧侶と聞いてどんなイメージを持つだろうか。まさかいまどき《聖人君主》はないにしても、それなりに修業と鍛錬を積んだ、その道のスペシャリストと考えるのが一般的だろう。だがここに、自分の寺も持たず、本来厳しい修業の末に手に入れるべき僧侶の資格を50万円で買った、インスタント僧侶と呼ぶべき人物がいる
松川氏(仮名)、42才。3年前、某伝統宗派の僧侶となった男だ
現在、彼は友人と東日本僧侶派遣連合(仮名)なる事務所を設立。宗派を間わず、相場の半額で通夜や告別式を引き受けているのだという。
《坊主丸儲け》とはよく言ったもんでね
まさかここまで金になるとは思わなかったと松川氏が裏側うを語り始めた。
住職の家庭はお茶の味が違う
坊さんになる前は15年間、家庭教師の派遣業をやってました。大学生や経験のある連中を集めて、客の希望に合う先生を斡旋するのが仕事です。始めたころは第ニ次ベビーブーム世代の受験ラッシュと重なって、いくらでも稼げましたね。私も国語と社会を教えて、羽振りはいい方だったと思いますよ。けど、いまは少子化の時代でしょ。この10年間で目にみえて生徒数が減ってきて、マトモに勉強を教えてるだけじゃ食えないんです。
一時は、コネクションのある大学にルートを作って裏口入学の斡旋みたいなこともしてましたけど、あれもいろいろ気ばかり遣って大変でしてね。で、いよいよ別の仕事口でも探そうかと情報収集してたとき、知り合いから「いい話あるぞ」って声をかけられたんです。修行もせず、髪も剃らずに坊さんの資格が買える、と。なんでも、その宗教のトップクラスの人間にコネかあるらしいんですよ。ウサン臭い話でしょ。
私だって他のヤツが言えば信じられないけど、話を持ってきたのが裏口入学の件で世話になった人でね。ものすごく顔が広くて、彼ならそんなことも可能じゃないかって、私、その場で「よろしくお願いします」ってアタマ下げましたもん。家庭教師かり僧侶に転身ってのは、あまりに唐突だって、そう言いたいんでしょ。わかりますよ。でも、私らの間じゃ前から話してたんですよ。
「坊さんほど儲かる商売はないよ産って。ほら、家庭教師で生徒の家に行くと、否が応でも家庭の事情が覗けちゃうんですよ。その中には寺の子供なんかもいるわけです。そうすると、生活のレベルか庶民と全然違う。周りを気にしてか、一見、質素に見えるんだけと、まず出てくるお茶が違うかり。なんかやたら味がいいんですよね。で、「おタ飯どうぞ」
なんて寿司を取ってくれると、醤油が違う。コクといい、まろやかさといい、スーパーで売ってるのとは明らかに別物。ああ、こういう見えないとこに金を使っのが本当の金持ちなのか。なれるもんなら坊さんになりたいって、そういう思いかずっと心のどっかにあったんでしょうね。
1時間話を聞くだけで免許が下りた。いうまでもなく僧侶は資格制で、その免許のことを仏教用語で度蝶という。取得方法は主に次の二通りだ。
①志したお寺の信者(宗徒)となり、何年か通って勉強を積んだところで出家(得度)を許してもらう。
②大学の仏教学科を出た後、師匠(師僧)の元で2、3年修行し資格を得る。いずれにせよ、身内に住職がいない限り、寺にコネをつけるのも難しく、ましてや修行もせずに度蝶を得るなどありえない話。しかし松川氏は、そのありえない話を現実のものとし手に入れたのだ。
度蝶もらうのは簡単でしたね。詳しくは言えませんが、実際にある山奥の寺に行って、住職の話をー時間ぐらい聞くだけ。式に着る法衣も向こうが用意してくれたし、本番前にリハーサルもあるから作法も何も知らなくてコも全然、困らない。
いま私、柳沢(仮名)って男と一緒に事務所をやってるんですが、このときも2人で行きましてね。ところがこの柳沢ってのが、正座は苦手だからとケカもしてないのに右足に包帯をまいて、イスを出してもらった。横着な男でしょ。そこいくと私は真面目だから、冷たい床にー時間正座ですよ。
でもしびれちゃって、坊さんか何を話してたか全然、記憶にない。式には私たちの他に15、16人来てました。みんなそれなりの寺のご子息ですよ。仏教大学出たり、小坊主として修業したり、まったくこ苦労なことですし実際、僧侶のシステムってのはおかしなもんですよ。マトモにいけば何年も修行した挙句、お経の試験もある。
その一方で、私らみたいにウン万円で度蝶を買ってる人間もいる。でも、とちらも同じ僧侶。いいんですかね、これで。もっとも各宗派とも、元を辿れば実にシンプルでね。信者のいちばん多い浄土真宗を興した親鷺上人なんか、「行はない」って書いてる。
しかも親鷺は肉も食うし嫁さんももらって、実に人間臭いわけですよ。いわば、もったいぶった修業やしきたりとはいちばん運迅いのが親鷺ですから、今のシステムは住職連中が自分たちの権威付けと金儲けのために考え出したもんだと思いますよ。ま、そういう音一味じゃ、動機が不純な私でも坊主の素質十分ってことですよね。
「料金5万」と広告しても20、30万は包んでくる
度蝶をもらったその日かり、私は僧侶なわけです。依頼があれば葬式もできる。昔は、どの家も近所の寺に墓があって、そこで法要したもんですが、今は檀家制度が崩れて、墓示近郊じゃ、お涌夜や告別式を祭儀場でやって、遺骨は自分たちで納骨しちゃうのが普通でしょ。坊さんだって葬式屋だかに頼めば、予算に応じて派遣してくれますよね。つまり私が言いたいのは、僧侶も家庭教師もシステム的には変わらないってこと。同じ添追業なら、商売の仕方はお手のもんですよ。まずは、浄土宗と曹洞宗、天台宗に臨済宗といったメジャーどころの衣装や小道具を買いに行きました。といっても、正装用の法衣なんて、目玉が飛び出すほど高くて手が出ない。そんなものは各派の紋が入った袈表だけ揃えりゃ、後は使い回しでいいんです。数珠なんか100円ショップですよ。
次に業界の人たちか目を通す新聞ってのに、低料金で僧侶を派遣しますと広告を打ちました。ま、実際に派遣されるのは私と柳沢なんですけどね。ところでいま、涌夜と葬式をセツトでやったら坊さんへのお布施っていくらかかると思います、750万ですよ。お布施に値段が付いてるのもおかしな話ですか、坊主によっちゃ
「よそ様からはこれだけ頂戴しています。」
なんて平気でいいますからね。そこをうちは、思い切って2~5万ってやった。葬儀屋や葬儀場は客から斡旋手数料をピンハネして坊主に渡してますから、彼らも安い僧侶を捜しているんですよ。安けりゃ安いほど自分たちの実入りも大きくなるわけでしょ。
でも、さすがに「2~5万」じゃ安すぎると思ってるんじゃないですか。言うほど儲からないだろうって。ところが、ここか面白いところで、「安すぎる」って思いは遺族も同じで、実際には20万、30万って金を包んでくるんですよ。せめて人並みのことをしてやりたいって気持ちがとうしても働いちゃうんでしょうね。わかります?ここがこの商売の最大のウマミなんですよ。
ハッタリを利かせて意味ありげに振る舞えば…
僧侶の作法については、さすがに勉強しましたよ。死んだ直後に読む"枕経"に始まって、通夜に葬式、告別式。場合によっては出棺勤行や火葬場でお経を上げることもありますから。
宗派別のマニュアル本を読んで、お経は力セットテープ。浄土百否ホはもちろん、浄土宗、真言宗、日蓮宗、天台宗、曹洞宗まで力バーできるように練習しました。ただ、ぶっちゃけた話、葬式の作法なんて誰も知らないんですよ。
線香はどこでも立てて挿すし、葬式かり帰れば塩をまくのが普通じゃないですか。結局、坊さんかもっともらしく式を執り行えばOKなんです。それがわかれば誰だって2週間も練習すりゃ葬式挙げられますよ。
最初の依頼は広告を出してー週間目に入りました。幸い、私かいちばん始めに練習した日蓮宗だったから、これは受けられるな、と。親族が40人ぐらいの小規模な葬式でしたね。亡くなったのは86才のおばあちゃんで、老衰だったんです。悲しむっていうより、大往生をお祝いするような和やかな雰囲気だったんですが、なんせ初体験でしょ。そりゃ緊張しましたよ。でも、座って15分もしたら「あ、こんなもんか」って落ち着いてきましたね。
お経は練習してたし、大きく平仮名で書いてある経典見ながらだかり失敗の心配もない。それに少しぐらいフシがおかしくなっても、堂々と振舞えば問題ないって自分に言い聞かせてましたから。
そう、とにかく堂々としてりゃ、たいていのことはOKなんですよ、坊主は。お経や法話は二の次。ハッタリを利かせて、いかにも立ち居振る舞ってさえいれば、客はそんなもんかって納得しちゃいますから。だからめったなことじゃ動じないように心がけているんですが、ただ、始めた当初は若い人の葬式がイヤでね。今でも覚えてるのは、12才の男の子の葬式に呼ばれたときです。
家族は泣き崩れるわ、クラスメイトはわんわん泣くわで、さすがに〈オレ、金儲けのために坊主なんかやっててバチ当たるんじゃねえか〉なんて後ろめいた気分になりましたよ。ピジネスって言いながらも、どっか割り切れない部分がありましたから。でも、そんな気持ちはあっという間になくなりました。他の坊さんたちと付き合いが出てきて改めて知ったんですか、なんせ、とんでもない連中ばっかですもん。愛人なんて当たり前で、飲む打つ買うのことしか考えてない。誰が死んだって心は一つも入ってませんよ。
儀場や葬儀屋からの依頼電話はもとより、それ以上に本物の僧侶たちから問い合わせが殺到したのである。
「どういうシステムですか」「葬式を斡旋してもらえるんでしょうか」寺があっても、檀家が減りメシが食えない僧侶は思いのほか大勢いたのだ。そこで松川氏は家庭教師纏迫の経験か活かし、登録システムを始める。自分たちが出向けないときは登録した坊さんたちを派遺し、仕事の依頼をもれなくカバーしようと考えたのだ。
登録したいって希望者には、まず履歴書を送ってもらうんですか、ほとんどちゃんと修行した本当の坊さんなんですよ。次男や三男だと、長男が住職を継いじゃってるかりウマミが少ないんじゃないですか。
あとは、修行中の小坊主とかもいますね。度珠をもらうにはまだまだ修業しなくちゃなんないけど、なまじ住職の生活見てるから自分も稼ぎたいって思うんでしょ。応募してきた人はとりあえず面接して、人がよさそうだったら登録します。坊主としての器量なんて私にはわからないから、ポイントは誠実そうかどうかだけ。いま現在、50人ぐらいが登録してますかね。
法話を始めると不思議なことに、いままでただのグウタラ中年にしか思えなかった松川氏の姿が一変した。ピンと伸びた背筋に、真剣な眼差し。どこか僧侶としての風格さえ漂う
「これ私の十八番です。もう何回やりましたっけ。前列に座った親族の半分は涙ぐみますよ。本番じゃ、もっと感情込めますからね」
松川氏はソファに深々と座りなおすと、ガハハと笑い飛ばした。シビレそうになったら早めに切り上げるお経や作法はなんとでもなります。そんなことより、坊主にとっていちばん大事なのは正座なんです。いくらナマクラでも、修行した坊さんたちは2時間でも3時間でも正座できますが、私たちはそうもいかない。せいぜい30、40分が限度でしょうか。
けど、坊主が足をシビレさせて棺桶に倒れこんだらシャレにならんでしょ。そこで最初は、しびれても立てるなんてアイディアグッズを使ってたんですが、これが役立たずでね。正座だけは“行“だと実感しましたよ。徐々に背筋を伸ばして親指にグッと力を入れたり、前傾姿勢を取ればシビレないとか、コツはだんだんわかってきました。でも、未だに正座は苦手です。できればイスがいい(笑)。
ですから、葬式の依頼が来たときは、どこでやるのかがいちばん気になります。致後場ならほとんどイス席だからラッキー。個人宅なら、わー耐えられるかなー、途中で倒れたらどうしようって、マジで心配になりますもん。いや、聞いた話によれば実際、頭から突っ込んでケガした坊主がいるそうですよ。
まったく、ドリフのコントじゃないんだから勘弁してほしいですよね。きっと、忙しさにかまけて口クに修行もしてない半人前を送り込んだんじゃないですか。私はそんなのゴメンですから、ヤバイと思ったら強引に切り上けちゃいます。その辺はこっちの都合でどうでもなりますから。
反対に、足もシビれず、お経の出来もよくて思わず長々読んじゃうこともたまにあります。これだけやれば仏さんも少しは喜んでるんじゃないかって、まあ自己満足なんですけどね。
やり甲斐?ないですよ。もともと好きで始めたわけじゃないもんで、面白いわけがない。人から成謝されれば悪い気はしませんが、結構、冷めてますしね。ま、そのお陰で自分が偉くなったなんて勘違いしないで済んでるのかもしれません。
去年の3月だけでサラリーマンの年収2年分ー自分たちが法要にでかけ、登録の坊さんたちを派遺するだけでなく、実は僧侶連では度蝶を得たい人たちの手助けも行っている。といえば聞こえはいいが、要はコネクションを使った裏口取得の斡旋だ。
「こんな時代でしょ、ホームページを見た人から、お坊さんになるにはどうしたらいいんでしょって、問い合わせがあるんですよ」
見込みがありそうなら松川氏が面接し、人柄を判断した上で推薦状を出す。
「へタに信、心深い人や、宗教はこうあるべきだなんて理屈っぽい方はお断りしてます。僧侶をビジネスと割り切って考えられる人じゃないと続かないですからね」
度蝶を取得した後の稼ぎは本人しだい。人手がないときは頼むこともあるが、生活の面倒をみるわけじゃないと念を押した上で山奥の寺に行かせる。費用は締めて50万だ。
僧侶になった感想は、こんなラクにこんなに儲かるのかってのが正直なとこです。しかも週休3日、いや4日ってこともある。おまけに今年の冬は寒暖が激しかったじゃないですか。大繁盛なんですよ。明日は法事、あさっても朝は天台、夜は日蓮と2件も入ってます。今月の収入はウン百万いくんじゃないですか。ー年を通して言えば、いちばん稼けるのは3月です。季節の変わり目のせいか、よく死ぬんですよ。私と柳沢じゃとてもさばききれなくて、この時期は登録坊主も総動員ですよ。去年は3月だけで同年代のサラリーマンの年収2年分は稼いだんじゃないかな。やっぱり、狙いがよかったんじゃないですかね。