薬はこうして売るのです
突然だが、みなさんはこんな経験をされたことはないだろうか。
ケース1
病気になってA病院を訪れA薬をもらった。治らない。しょうがないから別のB病院で診てもらったところ、渡されたのはB薬。今度はすぐ治った。
ケース2
かかりつけの病院で、症状に変化がないのに、いきなりそれまでと違う薬を処方された。
ケース3
近所の医者は面倒見がいいのに、大病院だと診察が適当だ。
ある、と答えた方も、だからといって今までそのことを不審に感じていなかったかもしれない。
ケース1はA病院がヤブだったから、2はなかなか治らないからいい薬をもらっただけ、3は単なる人柄の違い。そんなふうに納得できなくもないからだ。しかし、そんな楽観的観測はすべて誤りだ。僕たちが医療行為を委ねざるをえない、本来なら善良であるべき医者も、欲の皮のつっぱった人間でしかない。診療中に患者が抱いたクエスチョンは、ほぼその欲によって引き起こされたものと見ていいだろう。そしてその人間に取り入ることで利益を上げている産業の1つが、僕の属する製薬業界である。
最初の仕事は引っ越しの手伝い
僕がその製薬会社に入社したのは、今から4年前のことだった。私大の薬学部から、担当教授がコネを持つ製薬会社へ。ありがちな進路だ。ただし薬学部卒とはいえ、新薬開発のために採用されたわけではなく、配属先は薬を売ってナンボの営業部。教室で学んだ知識など屈のつっぱりにもならず、3カ月間の研修を終えるころには、僕は文系出身の連中と何ら変わらない1人のMR(要は製薬会社の営業マンのこと。以前はプロパーとも呼ばれていた)になっていた。
お盆開け、関西某地方都市の営業所で実地研修に入った。先輩にくっついて営業の現場を見て回る、どこの会社にでもある新人訓練だ。ここで少し、MRの仕事の仕組みを解説する。
バファリンや正露丸といった、マツキヨに行けば誰もが簡単に買える薬と違い、我が社が扱っている薬は「医療用医薬品」と呼ばれ、医者の処方筆がないと手に入らない種類のものだ。つまり営業も、町中の薬局を回って置いてくださいとお願いするわけではない。回るのは病院、いや、正確には病院に勤務する医者の元を回ると言ったほうがいい。病院に行ったときのことを思い出してほしい。診察を受けると、帰り際に
「では、薬出しておきますから」
と言われるだろう。患者の側から具体的な薬名を出して、これ下さいあれ下さいとお願いすることはほとんどないはずだ。どの薬を出すか決めるのは、医者の仕事。医者がA薬と言えばA薬、B薬と言えばB薬が渡される。横から看護婦がいくら口を挟もうが、その決定は揺るがない。当然のことと僕たちが思っているこの流れ、よく考えるとちょっとした謎が生まれる。仮に胃痛なら胃痛に効く薬が世の中に1種類しかなければ、話はわかりやすい。
が、医療用医薬品は全部で1万種類以上あり、胃薬だけでも100種はくだらない。ならば医者は何を基準に薬を選択するのか。数ある同種の薬の中から、どうやって1つの薬を選ぶのか。MRの存在意義はそこにある。つまり患者が医者から与えられるのは、その症状に最適な薬ではなく、MRの営業攻勢を受けて使用することになった薬なのだ。「あんなあ、営業は女口説くんと一緒や。特に医者っちゆうのはプライドの高い女やと思ったらええ」
実地研修初日の朝、病院へ向かっ車中で先輩がいった。そこらの女やない、ちょっとやそっとでは落ちんプライドの高い女をどう口説くかや、と。途中、コンビニ数軒に寄って写真週刊誌をどっさり購入し、市民病院へ。そのまままっすぐ医局(医者の控え室)に向かう。内科、外科、産婦人科、循環器科、泌尿器科…。
それぞれの先生にご機嫌伺いを兼ねて週刊誌を配り、それを元に雑談を繰り返した先輩は、結局薬のことなど一言も話さぬまま病院を後にした。
「ほな、次行こか」「はい」車が向かった先は、郊外の小さなマンションだった。訪れるのは某総合病院院長の愛人で、これから彼女の引っ越しを手伝うのだという。
「引っ越しですか・・」「そうや、まあ頑張ってや」
スーツ姿のまま引っ越し業者の手伝いを終え、夜の7時に営業所に戻って1日の仕事終了。MRの仕事ってこんなんか?
勤務医は貧乏。だから小金で動く
医者にパンフを見せ、科字的なデータに基づいた説明を繰り返し納得して使ってもらう。本社はそのような営業方針を打ち出していたが、それがただの戯れ言でしかないことは、新入社員の僕にもすぐ理解できた。なにせ実地研修でついて回った先輩は、誰1人として薬の話題など交わしていないのだから。引っ越しの手伝い、酒宴、ランパブ巡りなどなど、やつていることはいわゆる接待ばかりである。中には医者と一言も会話を交わさぬまま、病院の廊下で1日をつぶしたこともあった。あるとき先輩に尋ねてみた。
「こんなことせな、ウチの薬使てもらえんのですかね」
「当たり前やろ。他にどんな理由でウチの薬選ぶねん」
先輩は説明する。中小製薬会社の開発力なんてたかが知れているので、他社の薬より優れた点など説明のしようがない。結局のところ、医者はなにがしかの利益供与によって使う薬を決めているのだ。
「同じような薬がぎょうさんあんのに、そんなん全部比較してられるか、そやろ?」「まあ、そうですけど。でも医者いったら金持ちですやん。引っ越し手伝いゃランパブぐらいでは動かんでしょ」
「んなことあるかい。あの人ら貧乏なんやで」
医者が金持ちというのは開業医に限った話で、サラリー制の勤務医はむしろ貧乏な部類に入ると先輩はいう。だからこそ接待攻撃が有幼なのだと。僕たちMRは開業医には営業をかけない。彼らは医院の経営者なので、収益に対しシビアだ。必然的にできるだけ安い薬を買って患者に処方しようとするため、営業は価格交渉が主にならざるをえないのだが、メーカーは価格の話をしてはいけないことになっている。
つまり開業医に営業をかけるのは卸業者だ。対して勤務医はいわば固定給のサラリーマンのようなものだから、収益など関係ない。どれだけ高い薬を処方しようが、金を払うのは病院であり、最終的には患者である。高くてイヤならよその病院に行ってくれてもいいのだ。つまり彼らは使うか使わないかだけを決定し、その決定に基づいて病院事務が卸業者と価格交渉を行う仕組みだ。懐は痛まないけれども決定権を持っている。そんな立場の人間に対し有効な営業は、いつどこであれ同じだ。
「な、仕組みがわかったやろ」
「でも、府立や県立の先生って公務員ですよね」「そうや」
「ええんですか、接待」「アカンのやけど、あの人らにはそんな意識ないから」
医者は国立病院から公立病院へ、公立から私立へと職場を転々と変えるので、自分が公人なのかどうかわからなくなってしまうらしい。私立にいたころは飲んで抱いてだったのが、公立に移って何もなくなったのでは納得できないのだ。
「ま、そういうことや。研修終わったら1人で頑張るんやで」
医学会は羽を伸ばして遊ぶ場
ウチが扱う薬は、抗生物質、抗ガン剤、抗アレルギー剤、血圧降下剤など多岐に渡っているため、各科の医者の元を訪れなければならない。そのため、どの先生が女好きで、どの先生が酒好きか。誰に愛人がいて、誰が堅物か。そういった先輩からの引き継ぎデータを元に、医局のこちらではペコペコ、あちらではざっくばらんにとアクションを起こしていく。
最初に訪れた総合病院では、会う医者会う医者にその場で名刺をゴミ箱に捨てられた僕も、日を追うごとにノウハウをマスターし、半年もすれば立派なMRとして認められるまでになっていた。具体的なエピソードを交えつつ、僕が会得した効果的な篭絡法を紹介しよう。
●薬の勉強会勉強会とは、高級クラブやゴルフ、風俗遊びなど、広く一般的に行われている接待を意味する。女好きは特に多く、堅物で通っていたある医者など、毎度のように滋賀・雄琴のソープ遊びをせがんできた。
大仰な会合が年中あちこちで開かれるが、あれは何も勉強のために集まっているのではない。たいした発表がそう頻繁にあるわけないのだ。医者にとって遠方の学会とは、旅行と同義だ。地方の医者にとってはまたとない休暇である。地元では顔が知れて何かと面倒だが、おもいきり羽を伸ばして遊ぷことができるわけだ。そこで僕たちは、ある医者が学会に出席するとの情報を仕入れたら、「先生、同行させてくれませんか」とお願いする。現地でさんざん遊ばせて、旅費や宿泊費までこちらで持って上げるから先生方は大満足。要は形を変えた接待と考えていい。札幌3泊4日に同行したときなど、先生は1度も会場に足を運ばず、毎日ゴルフ三昧。帰りの飛行機で資料にさっと目を通し「これで報告も大丈夫」と言っていた。
そして僕は、かつてない革新的営業法をひらめいた。弱みに付け込むのだ。医療ミスを公にしたくなければウチの薬を使ってくれ。接待なんかよりよっぽど効果的な文句じゃないか。そして一つ医療ミスの情報を手に入れた。
さっそく営業所の先輩に相談してみた。
「ホンマかいや、それ」「ホンマですよ、右手と左手間違ったんですって」
「すごいなあ」「こんなん大問題ですよ。どうしましょうかねえ」
脅すか脅さぬか。一晩討議した結果、2人は後者を選ぶことになった。医者の世界はとても狭く、横のつながりが強い。「あそこの営業タチ悪いで」なんて噂が流れれば、同じ病院の医者だけでなく、他の病院までバタバタと手を引くかもしれない。それはあまりにリスキーだ。残念ながら脅し営業はあきらめることになった。やはり僕たちはこれからも飲ませ抱かせで押し進めるしかないのだ。
★つらつらと医者の醜い面ばかりを書いてきたが、中にはどんな営業法でも落ちなかった素晴らしい先生もいる。煮ても焼いても食えないオッサンとMRの間では評判の悪い人だが、個人的には唯一尊敬に価するお医者さんだと思っている。妻と2才になる娘が病気になったときは、その先生に診てもらうよう薦めるつもりだ。