ある日、相方(妻)が妙なことを言い出した。最近、電車の中で化粧をする若い女が増えているというのだ。
それも、化粧直しのレベルではなく、下地から仕上げまでのフルメイクをするらしい。その態度はまさに傍若無人。車内にいることなどおかまいなしで化粧に没頭し、ひどいのになると、ビューラーでまつ毛をカールしたりうけまつ毛の装着までやってしまう。つまり、乗り合わせた人たちはスッピンからメイク完了までの工程を見せつけられることになるわけだ。
化粧女に出くわすたび、相方はあきれ、その差恥心のなさに不快感を感じつつうい見入ってしまうそうだ。それはごくごく一部のイカレた女の話ではないかと念を押したが、そんなことはない、もう見かけても驚かないほど、ありふれた光景になりつつあるという。
「若いコが平気で人前で顔を作るなんて、たぶん世界中で日本だけ。誰かがエッセイで書いていたけど、あれってオヤジがパンツいっちょうで乗ってきて、シャツからスーツまで身につけるようなものだよ」
言われてみれば、化粧をしている女を見かけたことはある。
ほくはほとんど座席に座らず、ドアにもたれて本を読むので、その工程を見せつけられたことがないだけなのだろう。そうか、そんな事態になっているのか。まさか自分の変身ぶりを見てもらいたくて化粧するわけじゃないだろう。移動の時間に化粧をすれば時間の節約になり、ギリギリまで寝ていられるとか、そんな理由で誰かが始めたものではないだろうか。
「あれは何とかするべきだと思っているオトナが多いと思う。注意しても無視されるか、羅にも迷惑かけてないからいいじゃない」
と言われそうで、黙ってるんだろうけどね。いくらなんでも、パンッいっちょうのオヤジが着替えたら誰かが注意するだろうが、相手が若い女ではやりにくい。だから見逃す。図に乗る。何の問題もないと思いこむ。そんな流れが思い浮かぶ。いかんだろう。個人の自由とは、公共のルールを守るのがその前提なのだ。誰にも迷惑かけてないからいいじゃない、だと?ふざけるなである。大半の人は、車内化粧女の姿なんか見たくないはずだ。ガマンしているだけなのだ。
「でしょ。じゃあ、あなたが注意したら?」
気になるのは周囲の反応
理解できるかどうかも怪しいシンポジウムに行って無理矢理の反論などするよりは、そのほうがよさそうだ。相方の言うことはもっともである。今回のぼくはまだ現場をつぶさに見ておらず、間接的な話を聞いただけだが、想像するだけでも見苦しい光景だと思う。しかし、うーん。相手が若い女というだけで感じる、この気の重さは何だろう。ぽくが男だからだろうか。中年だからだろうか。どんな思考回路を持っているか想像しにくい生き物だからだろうか。理由はわからないが、若い男にモノ申すより、はるかに大きなプレッシャーがかかりそうな気がする。
我が家のあるビルの1階は、この春から予備校の自習室になっていて、1階ロビーに学生がたまって騒いだり喫煙や飲食をしていることがよくある。しばらくはガマンしていたのだが、あまりに頻繁になってきたため、この前とうとう頭にきて、男子学生に
「タバコは外で吸えよ」と注意した。勇気はべつにいらなかった。これが女子学生だとやりにくいのである。
「上に住んでるオヤジにイチャモンつけられてさあ、もうサイテー」なんて言われそうで躊躇してしまう。で、余計なことを考えてしまう分、ストレートに言葉が出ない。意識過剰ってやつですか。まだまだっスよ北尾も。ターゲットへの苦手意識に加え、電車のなかというのも気が重くなる要因だ。
赤の他人同士が乗り合わせる車内は小さな勇気を絞り出すのに格好の舞台。ぼくもこれまで見知らぬオヤジに声をかけたのを皮切りに、何度かの挑戦をしてきた。
そのなかで、もっとも悔しい思いをしたのが、携帯電話男への注意だった。なんとか黙らせることには成功したものの、多勢に無勢。ホームに押し出され、蹴りまで入れられたのである。それは覚悟の上としても、大ショックだったのは乗客の冷たい視線だ。せっかく振り絞った勇気は無駄だったのか…。
ぼくはあのとき浴びせられた、せせら笑うような乗客の顔を一生忘れないぞーリキんでもしかたがないが。化粧女に乗客の気持ちを代弁して忠告する。団塊世代の親に気持ち悪く甘やかされて育った娘に、車内は公共の場なのだということをわからせる。結果がどうなるかはわからない。無視されるかもしれない。
「バーカ」と言われるかもしれない。だが、それは相手との間の話だ。どうなってもかまわんと思う。嫌なのは乗客の冷たい反応。代弁しているつもりが「ほっとけばいいじゃないか」とかいう目で見られたら、携帯注意の二の舞である。あのときの経験からしても、そうなる可能性は十分にあると思う。慎重に取り組まなければいかんな。
ぼくはまず、リサーチを行っことにした。ここはお前の部屋じゃないJR中央線と総武線および山手線に乗り、化粧女を捜す。この手の女はどこかに遊びに行く途中だろうから、中央線と総武線は上り、山手線は渋谷―新宿間に絞ってみた。だが、それらしい女はなかなかいない。そこで、遭遇できたとしても乗車時間が短く一部始終を見ることができそうにない山手線と乗客数が少ない総武線はパスすることにし、中央線1本に限定。中間点に新宿を通る三鷹→お茶の水間を2往復してみた。
その結果、ふたりの化粧女を発見できたのである。ふたりの共通点は茶髪に厚底サンダルをはいていること。年齢はどちらも20に見えた。あっさり確認できたということは、化粧女があちこちに出没していると考えてもいいだろう。第一の関門クリアである。問題は乗客の反応だ。
そっちのほうが気になるので、注意して観察してみたところ、あからさまに不快な反応を示している人はおらず、それとなく様子をうかがう感じ。なかに2、3人、妙な生き物でも見るように女を凝視しているオヤジとオバサンがいた。女のほうは自分だけの世界に入り込んでいるためか、ヒザの上に化粧道具が入ったバッグを置き、集中している。まるで自分の部屋にいるかのように化粧している。
なんだろうこれ。ここはお前の部屋じゃないぞ。さして美しくもない女が、どこかで待ち合わせでもしている彼氏だか友だちだかに少しでも美しいと思ってもらうために、ゴテゴテと顔を塗りたくって化け物と化していく姿は醜い。この女の頭のなかには、車内で誰に見られているかわからないという意識もなければ、自分の行動が他人をどんな気分にさせるかという配慮もない。
きっと、乗り合わせているのは、自分に無関係な人たちとしか思ってないだろう。もちろんロクな育てられ方はしてないし、こんな女と刊き合っ彼氏や友人もロクなやつではないと思わざるを得ない。やはり誰かが言うべきである。口に出さないだけで、みんな心の中であなたのことをバカだと思っているよ、と告げてやるのが親切だ。
相方の説明では、化粧女には2種類いて、わずかでも差恥心が残っているタイプは周囲の視線に耐えられず、途中下車してホームのベンチで化粧を続行することもあるという。まあ、それにしたって差恥心があるなら最初から車内で化粧するなと言いたいが、どんな状況であっても気にせず化粧をゃり遂げる、毛だらけの心臓を持つ女もいるらしい。いま、目の前にいる女はそっちのタイプに違いない。この状況で、ぼくが女に話をしたら、どんな空気になるだろうかと考えてみたが、具体的なイメージはわいてこない。完壁に無視され、乗客も見て見ぬフリで、いたたまれなくなってその場を離れる自分の姿が浮かぶだけだ。おそらく、勝負は一瞬でつくのだろうけど、どうなるかはいってみないとわからないと思った。
翌日、自分なりにテンションをあげて電車に乗り込む。まずは先頭から最後尾に向けて化粧女発見のためのひとりパトロールである。中央線Eりでひとり発見したが、すでに化粧は終盤。なんとなくこそこそ作業している感じもしたので見送ることにした。とはいえうい、終点までマークしてしまったけどな。所用を済ませて、一気に立川まで行き、もういちど上りに乗車。国分寺をすぎたあたりで、またひとり化粧女に遭遇することができた。車内を激しく移動しているせいもあるのだろうが、さして苦労もせずに発見できるのには驚きだ。
化粧には詳しくないので正確なところは不明だが、女はすでにフアンデーションなどは終えており、アイシヤドウとかアイラインとか、目のまわりの加工・修正をしている。やせぎすで色黒。よほどがんばらないと美女への変身はむずかしそうな顔だ。車内は座席が埋まり、わずかに吊革組がいるだけだから空いているほうだろう。女の両隣は居眠り(たぶんタヌキ)オヤジと初老のスーツ男。向いの席は40代後半らしき身なりのきっちりした女性、そして雑誌を読むオバサンなど。気のせいかもしれないが、みんなが化粧女を直視するのを避けている感じがする。どういう変貌を見せるのかと興味シンシンなのは、やや遠くにいる若い男ぐらいだ。
現場を見てわかった。ここにあるのは「あきらめ」ムードだ。何をいってもどうせだめだろう。実害はないから放っておこう。すでに何度も化粧女を見ている人たちは、そんな冷め切った気持ちでいるのかもしれない。さっき乗車したふうを装い、少し離れた向い側の空席に座ったぽくは、じっと女の動作を目で追いかけた。つまり、外野の視線を気にしているかをチェックしてみたわけだが、女は動じない。
というより、ぽくの存在にすら気づかず没頭している。うーん、手強い相手だ。このふてぶてしさに対抗できる一」言葉などあるのか。タイミングはいまが絶好だが・・
座席に座ったところ、すぐ近くに化粧女を発見した中年男(ぼく)。しばらくは何か事情でもあるのかと思っていたがういに見かねて女のそばへ行き、声をかける。流れはそれでいいとして、じゃあ何を言えばいいか。頭にあったのは
「ここはあなたの部屋じゃないよ。化粧はよそでしなさい」というところだが、それでは学校の先生か説教オヤジである。たいした説得力はなさそうだし、
「迷惑かけてないからいいじゃん」なんていう逆襲に備えて、温存したいセリフでもある。ぽくにとって勇気を出す際の鉄則は考えすぎないこと。あれこれ考兄ていると緊張してビビるだけだ。興奮してテンションは高いのだけれど、行動に結びつかない。電車は三鷹にさしかかり、少しずつ混んできた。つぎは吉祥寺だ。化粧は未完成だが、女が下車する可能性はかなりある。話しかけられる位置に移動しなければならん。ぼくはあせり、ギクシャクと席を立った。そして、女の前の吊革をつかみ、静かに深呼吸をした。目の前に人が立ったため、女が顔を上げる。塗ったばかりのラメが光り、目が合う。絶好のチャンス、いまだー「-・・---…」だめだ、声が出ない。おまけに、こっちから目をそらしてしまった。電車が吉祥寺に到着したとき、すごすご降りたのは女ではなくぼくのほうだった。
その細い目をどう変化させるんだ
過去の経験からしても、一発で決められるほど勝負強い男ではないのはわかっているが、ここまでいい条件で絶句するとは情けない。とくに今回は、携帯注意冷笑事件のリベンジでもあるのだ。
つぎの日、ぼくは国分寺ー新宿間だけに乗車することにした。できれば昨日の女に会いたいと思ったのである。それが無理でも、中央線なら化粧女を見つけられるだろ与スなかなか「これは」という逸制に巡り会えなかったぼくの前に、うりざね顔の化粧女が現れたのだった。場所は東小金井武蔵境間。化粧ははじめたばかりのようで、素顔に近い。細い目をどう変化させるつもりかしらないが、大工事になることが予想される。
新宿だ、とぼくはニラんだ。すでに相手は自分の世界に入っていて、周囲は眼中にない様子だ。座ると緊張するので、立って様子をうかがうことにする。混み具合や化粧女への注目度は昨日並み。いぶかしげに女を眺めるオヤジもいるせいか「あきらめ」ムードは今日のほうが弱い。吉祥寺で乗ってきた10代とおぼしき女の子たちが何事か噺き合っているのが気になったが、表情から察して、よくは思っていないと強気に判断することにした。
隣の男も席に座ったことを後悔しているように見えなくもない。どう転ぶかは未知数だとしても、とりあえず不利な要素はない。化粧は目元に移り、わき目もふらず熱中している。照れはどこにも感じられず、ひたすら派手めな顔作り。自分の部屋と公共の場所の区別も付かず、そんな意識もないくせに、自己顕示欲は強いのだなあ。だが、それでいい。ある程度、泳がせないとな……刑事かい。
ぼくは駅で抱き合ったりキスするカップルも嫌いなのだが、あれはまだわかりやすい。ふたりの世界にどっぷり浸かっていて周囲が見えなかったり、周囲に存在を誇示したかったり、単にそういうことがカッコイイと勘違いしているのだと思えるからだ。あれだって「おまえたちがイチャつくところなんか見たくねえよ」と思うけれど、そこまで干渉する気にはなれない。ところが化粧女はカップルでもなければ目立つためのパフォーマンスでもない。自己中心的なだけなのだ。世界の真ん中にいるのは自分で、その世界には化粧顔を披露する人は入っているけれど、化ける過程を見せつけられる乗客は含まれない。それで平気なのだ。自分が主役だから。誰からも注意されたことがないから・・
阿佐ケ谷、高円寺あたりで雰囲気が落ちついてきた。すでに機は熟している。途中で男がひとり立ったのだが、べつの場所に逃げて以来、みんな化粧女の前に立つことを避けているみたいで、前はポッカリ開いている。ぽくは少し場所を変え、いつでもそこに移れるポジションを取った。「車内で化粧するのはみっともないよ」中野駅についたところで、ぽくの不快指数と、いまならいえるという自信は最高潮に達していた。乗り降りのタイミングで、女の前への移動に成功。あとはまじまじと顔を見つめるだけだ。化粧ポーチをがさがさやっていた女がアイライナーみたいなものを取り出したところで視線が合った。ぐつと目を見開いてさらに見つめると、女は「そこに人がいる」と初めて気がついたように、何か用かという顔になる。
手の動きが止まり、少し考えて視線が落ちる。そして、何事もなかったように化粧に戻ろうとした。いまだ。ゆっくり、はっきり言うのだ。
「車内で化粧するのは、みっともないよ」興奮していたせいか、思っていた以上に大きな声が出た。女は一瞬キョトンとして顔を上げ、自分のことを言われているとわかると、信じられないとでも言いたそうな表情をした。周囲の人がこっちを振り返り、座っている人は耳をそばだてているのがわかる。ここが勝負だ。どんなリアクションがあってもいいように、視線をハズさずに、女を見続けなければならん。どうなんだ、玉は投げた。何とかいえ。正直なところ、言い返されたらうまく相手を諭すことができたかどうかは自信がない。が、幸い、この女は多少なりとも差恥心が残っているタイプだったのか、ひとりで闘う元気がないのか、無視することもできずにうつむいてしまった。ぽくが立ちはだかっている。それだけではない。たぶん、場の空気である。周辺の乗客もぽくと似たようなことを思っている、あるいは思っていたことがあっで、それをぼくが代弁するカタチになっていたのだ。
乗客の視線がプレッシャーとなって、顔がしげられないのである。少なくともそれは、ぼくが危慎した冷ややかな空気ではなかった。気まずい沈黙が、新宿駅が近づくまで続き、もうこっちを見ようともせず、ドヌから外を見ている。そして、停車と同時に足早に降りていった。