会話のタネ!雑学トリビア

裏モノJAPAN監修・会話のネタに雑学や豆知識や無駄な知識を集めました

味のある物件を紹介してくれる不動産屋さん

あと半月も経てば寒い冬も終わりを告げ、引っ越しシーズンが到来します。今年も全国から選りすぐりのぽっと出が花の都大東京に夢と希望を抱いて上京してくることでしょう。不動産屋にとっては掻き入れの時期ですが、昨今の不動産屋もピンキリらしくミニミニだのイイ部屋ネットだのというわけの分からない新鋭業者が幅を利かせる一方、昔ながらの個人経営の不動産屋はひっそりと鳴りを潜めている現状のようです。
東京東部の某町にも一軒の小さな不動産屋が寂しそうに佇んでおります。駅からは徒歩
20分とやや離れており、人通りもあまりなく商店街は寂れ切ってモーテルがいくつかある程度。不動産屋の建物自体もおそらく築50年は経っていそうな外観で「人様にアパート紹介している場合じゃないだろ」というのが第一印象でありました。
訪れた際にたまたま現場近くで火事があったのか消防車がファンファンとけたたましい音を鳴らして何台も通過している最中で周囲の住人達は窓から不安そうな顔を覗かせていたのですが、この不動産屋だけは我関せずとばかりに、1ミリも動じる気配がありませんでした。
休業日かと思って窓ガラスから中を覗くと80歳前後の紳士が一人、椅子に鎮座して首を90度折り畳み、静かに瞼を閉じていました。一瞬お迎えが来たのかと思って慌てましたが、口の両サイドに泡がプクプクと発生しているのを確認して安堵しました。
呼び鈴が無いようなのでおもむろにドアを開けると、その瞬間店主はカッと目を見開きそのままゆっくり首をこれまた90度折り曲げてこちらを目視しました。外ではサイレンが鳴り目の前には知らない男が立ってるというこの状況を理解できないようでしばしの沈黙が流れました。ようやく事態を飲み込めたのか
「まぁまぁ、座って座って」とソファに案内され、そのまま「お茶っ葉、お茶っ葉」と奥の棚を漁り出したので井戸端会議でも始まるのかと思いました。恐る恐る「この辺で部屋を探してるんですが」と告げると再び沈黙が流れ、宙を見つめた後に「安いの、あるよ」といきなり安い部屋前提で斡旋がスタートしました。店主はお茶をテーブルに2つ置き「どんなのがいいの」と訊いてきたので「安くて一人で住めてトイレが付いていれば」と答えると「今だとこのアパートが4・5畳一間2万7千円で一番安い」と教えてくれました。とりあえずその部屋を見たいと告げると店主はコピー用紙を一枚取り出して鉛筆でプルプルと震えながら何やら地図らしきものを描き始めました。
「ここに肉屋があるでしょ〜」とか「ここは銭湯でしょ〜。こっちは天ぷら屋さん!」などとその時ばかりは突然幼稚園児のような喋り方になったので、イタコも兼業でやっ
てるのかと思いましたが、どうやらこの不動産屋からそのアパートまでの地図を記しているようでした。「一緒に来ないんですか」と訊いてみると、地図を指差し「ここにM田っていう婆さんが住んでいるからそこを訪ねてくれ」とだけ言うと、急に仕事をやり終えた男の顔になって渋めの昆布茶を飲み始めました。
しょうがないから渡された地図を片手に不動産屋から15分ほど散策していると、M田という表札を発見することができました。ただの古い民家だったので不安ながら呼び鈴を鳴らすと、ガラスの奥からこれまた80歳ぐらいの婆が姿を現しました。恰幅が良くその迫力たるや只者でないことはすぐに認識できました。
部屋の件を説明するとすぐに小さな鍵を一つ渡してくれて「この家の裏手に40センチぐらいの細い隙間があるからそこを真っ直ぐ入ればアパートがある」とのことでした。道ではなく隙間というのが気に掛かりましたが、婆の教えの通りに行くと民家と民家の間に40センチぐらいの隙間が確かにありそこを真っ直ぐ行くとかなりボロいアパートがポツンと一軒ありました。1階は物置きになっており2階に上がると部屋が5つ。しかし各部屋には番号も記されておらず、鍵には「3」という数字が記されていたので手前から3番目の部屋かと思ったらそこはなんと和式便所でした。結局一番手前の部屋が鍵と合致。中に入ると部屋中に新聞紙が敷き詰められており、4・5畳だけあって狭く、窓を開けると隣のビルの壁が10センチ先にありました。
婆に鍵を返して一旦不動産屋に戻り、「他の物件はないか」と泣きついたところ店主は資料を捲りながら首をひねって「これいっちゃうか」とまるで奥の手のプレミアム物件を出すかのように「築70年木造3階立て6畳一間3万3千円トイレ風呂なし」を斡旋してきました。再び手描きの地図を渡されてそこに赴くと、築70 年だけあってかなり老朽化した木造アパートが現れました。2階と3階が貸し部屋になっているらしく、3階には共用の流し台があるのですが、その流し台になんと! 手のひらほどの大きな茶色のネズミが一匹走り回っていたのです。この真実を伝えるのがマスメディアの仕事だと
思い、戦場カメラマンの如くカメラのシャッターを切り続けたのですがネズミはすぐに窓の隙間から逃げていってしまいました。
部屋自体は6畳一間でこんなものかと思ったのですが、とにかくそのネズミの件に驚愕したこともあり足早に不動産屋に戻り、その件を店主に報告すると「俺も見た
ことある。ワハハハ」と言って、何故か握手を求めてきました。「それで、どっちの部屋にするのか決まったか」と究極の選択を迫られたので首を横に振りながら2、3歩後ずさりして店を出て、その体勢のまま自分ちの鍵を握り締めて帰路に着きました。