料理人は食材の一つ一つにこだわりを持つものですが、それが一流ともなると使用する水までも厳選したものとなるようです。
「六甲」「富士山」「エビアン」などは質の高いミネラルウォーターとして有名ですが、目黒区の某ラーメン店ではラーメンのスープに使用する水はもちろん、お冷の質にまでこだわり抜いた結果、
「NASAで開発された水」を使用するという境地に辿り着いたとの情報が入ってきました。NASAとはもちろんアメリカ航空宇宙局のことを指すようですが、そのNASAが水を開発していたとは知りませんでしたし、しかも日本の個人経営のラーメン店と秘密裏に提携していたとは驚きです。夕方6時半から営業とのことで早速現地に赴きました。
ちょうど某私鉄沿線の駅と駅の中間地点に位置するため、どちらの駅からも徒歩で15分ほどかかるようで店に到着するまでに汗がビッショリ。早くNASAの開発した水で喉を潤したいと思いながら、大通りから細い路地の奥に進むとようやくそれらしき店が見えてきました。かなり古びた場末のスナックのような店構えで、目立たぬようにひっそりと佇んでいます。しかしラーメン屋だと聞いていましたがどこにもラーメンの文字は見当たらず、代わりに「古代中国料理」と記されていました。薄暗い店内を覗くと従業員らしきオバサンが一人、丸テーブルに鎮座してオリンピックを観戦中でありました。「営業中」という札を指さし確認してからドアを押し、入店するとオバサンがこちらに気づき勢いよく立ち上がりました。店の中央に6席ほどの丸テーブルがあり、カウンターには席が3つほど。奥には厨房、手前には襖一枚隔てて普通に居間がありました。壁には「コラーゲン不足すると老化現象」「スープは全部飲んでください」などと記された紙が貼ってあり、周りをよく見ると店のいたるところにコラーゲンの説明文が貼ってあることに気づきました。
メニューはラーメン(千円)と上々ラーメン(千五百円)の2種類があるようで、そこで恐る恐るNASAで開発された水の件を伺ってみると「ああ、まあ、NASAっていうかね、この上々ラーメンにね、コラーゲンがね、たっぷり入ってましてね。ちなみにコラーゲンは元気の元でして…」と、NASAの開発した水の話からコラーゲンの話に180度切り替わり、そのあとコラーゲンがいかに大切かを熱弁してくれました。しょうがないのでとりあえずその千五百円もする上々ラーメンを注文すると「ではレモンかチャーシュー、どっち入れましょうか」と訊かれました。レモンとチャーシューその二つから一つを選ぶのは人生で初めての二択だったのでパニックになり言葉に詰まっていると「では、両方少しずつ入れましょう」と提案されたのでよく分からないけどそれでお願いしました。
ビールを飲みながらオリンピックを観戦し待っていると今度はオバサンが厨房から何やら薄緑色のプルプルとした物体をボールに入れて慎重に運んできました。そしてその物体をこちらの顔の近くに持ってきたので思わず仰け反りながら「一体なんなんですか」と声をあらげると「これ、コラーゲンそのもの、上々ラーメン注文した人に特別に見せてあげてます」と言われなんて答えていいのかまたまた言葉に詰まっていると、こちらのリアクションが薄かったからなのか「朝の7時から夜10時まで15時間かけて作るからね」と本当なのか嘘なのかよく分からないことを言い出しました。
そこで再び「NASAの件なんですが…」と切り出してみると表情が一変して険しくなり「そこの浄水器、それがNASAで開発された浄水システムなの」と絞り出すように小さな声でささやきました。NASAの開発した水ではなく、NASAが開発した浄水器だった
のです。確かに店の隅っこには「COLD WATER」と記された浄水器があり「HOSHIZAKI」という日本のメーカー名が記されていましたがおそらくこれを開発したのがNASAなのでしょう。その浄水器からコップに水を注ぎ、ひとくち飲んでみるも水道水と同じ味しかせず、NASAで開発された水かどうかそれ以上確認しようがありませんでした。オバサンはコラーゲンが入ったボールを両手に掲げ再びゆっくりと慎重に厨房へと戻っていき、そこからさらに10分ほど待つと今度はラーメンをこれまたゆっくりと運んできてくれました。見た目は何の変哲もないラーメンでレモンが2枚乗っています。コラーゲンたっぷりというだけあってスープの色は薄緑色。そのスープを早速口に含んでみるとレモンの味しかせずコラーゲンを食している実感はほとんどありませんでしたが、壁には「渡辺満里奈さんオススメの上々ラーメン」と貼ってあったのできっとおそらく効果があるに違いありません。
「スープは全部飲んで下さい」という注意書きに従い、その酸っぱいスープとNASAの水を交互にどうにか最後まで飲み干して水分で腹がタプタプになりながら酒もたいして飲んでないのに千鳥足で駅へ向かいました。