京都に存在する特殊な集落だ。特殊というのは、そこが砂防ダムの内側の土地を不法占拠して出来た集落だからに他ならない。ちなみに砂防ダムは、大雨などで氾濫した川の土砂や水をせき止め、町に流れ込まないようにするための防災施設だ。そのダムの内側に集落を作れば、当然、災害が起きるたびに大変な被害を受けるわけだが、なにゆえか、これまで大規模な川の氾濫はたった一度しか起きておらず（２０１４年７月）、現在も大勢の人間がダム内で暮らしているんだとか。
さっそく現地へ。件のダムは閑静な住宅街のど真ん中にぽっかりと巨大な穴を開ける格好で存在していた。ダムの底には大小様々な民家が目視しただけでざっと20、30軒。掘っ立て小屋同然の粗末な家もあれば、鉄筋作りの立派な家屋まである。不法占拠した土地でなんと大胆な。集落の中へ入るには、ダム周辺の民家と民家のスキ間を通り、その先にある階段を下りていくのが唯一の方法のようだ（確認したところ、このような入口は計２つある）。まるで秘密基地である。何も知らない人間なら絶対に見落としてしまうだろう。集落の成り立ちの経緯は言うに及ばず、この一点だけ見ても、その閉鎖性はひしひしと感じられる。ダムの底に出た。周囲をコンクリ壁に囲まれた風景はあらためて異様な印象を受けるが、見たところ、すでに空き家になっている民家も少なくないようだ。すぐ側の住宅のドアがガタガタッと開き、中から野球帽をかぶったジーサンがにゅっと現れた。
「あ、こんにちは」
こちらの呼びかけにジーサンはゆっくりと顔を向け、そのまま表情をいっさい変え
ずにどこかへ歩き去った。痛快なまでの無視っぷりだ。そのすぐ隣りの家では、半分乳を放り出したバーサンが玄関先で水をまいている。彼女にも話しかけてみよう。
「こんにちは。水まきですか。涼しくていいですね」
一瞬、チラッとこちらに向けた視線をすぐに戻すバーサン。めげずに言葉を投げ続けてみるが、ついに返事はひと言もなかった。これしきの冷遇ですごすご帰るわけにはいかない。さらに探索を続けよう。ジメジメとぬかるんだ地面を踏みしめながら歩いていると、小川に行き着いた。いちおう橋はかかっているが、鉄板を向こうに渡しただけのひどく雑な造りだ。こんなのに乗って落ちないんだろうか。橋の向こうから誰かがコンコンとこちらへ渡ってくる。坊主頭の大柄なオッサンだ。
「こんにちは」
「はあ、どうも」
お、この人は無視しなかったぞ。まあ、めちゃめちゃ警戒している顔つきではあるけど。
「なんか珍しい集落があるなあと思って、見て回ってるんですが」
切り出すと、オッサンは急にムッとして口を開いた。
「はあ？もうそんな興味本位で来られたらかなんねん。そっとしといてや、ワシらのことは」
「といいますと？」
「この間もテレビ局の連中がここに来て、勝手にいろんなとこ撮りまくってたんや。ほやから軽くシバイたってんけど、結局、放送してもうて、そっからネットでの誹謗中傷がひどいねん。むちゃくちゃ書きよるやろ、あいつら」
オッサンの怒りをよそに、軽く感心してしまった。こんなダム底の集落でもネットが使えるだなんて。見た目とは裏腹、意外と住み心地はいいのかも。
「ところでみなさん、なんでこんなとこに住んでるんですか？」
「ワシの親世代が戦後のどさくさで住み始めて、そっからずーっと続いてんねん。ここらにおるのはみんな在日や」
「でもこれって、不法占拠なんですよね」
「知らんがな！ あのな、京都市はワシらに立ち退けとか１回も言うてないねんで。それにここの住人はみんなジジババばっかりやし、じき召されるやろ。ほんでワシの世代も死んでまえば誰もおらへんようになるわけやんか。だからもうほっとけや。アンタもはよ出てってくれ！」
よほど腹に据えかねてたのだろう。ロケット弾のような関西弁で思いの丈をぶちまけると、オッサンはスッキリとした表情で立ち去っていった。
