携帯に末尾「110」の番号から着信が入った。警察からだ。
「●●警察署の者です。お父様のことでご連絡させていただきました」
親父? ヤツは長いこと失踪中で、夏美が産まれたときにいったんひょこっと帰ってきたけど、今は音沙汰もない。ったく、あのヤロー、何をやらかしたんだ?
「どうかしたんですか?」
「残念なのですが、本日未明に亡くなりました。つきましてはご遺体の確認に来ていただきたいのですが」
…亡くなっただって?すぐ家族全員に連絡し、遺体を安置している病院に向かった。安置室の重い扉の向こうで横になっていたのは、紛うことなくウチの親父だった。ウソだろ…。医者が死因を説明した。
「心臓発作だと思われます。公園で倒れていたそうです」
さほど悲しくないのが我ながら薄情な気もするけど、ずっと連絡もしてないんだからしょうがないよな。葬式は家族だけでしめやかに執り行った。棺に花を入れながら、母親が毒づく。
「まったく、いきなり死んじゃってさ。忙しいんだから時期くらい考えてよね。ああー、やっと胸のつかえがとれたわ。どこにいるかわからない人を心配しなきゃならないのは大変だったからね」
きっと母なりの別れの言葉なんだと思う。わざと気丈にふるまうのが妻として、母として最善の態度だと判断したのだろう。葬儀から数日後、役所の手続きなど細かい打合せのため、実家に向かった。母はリビングでテレビを見ながらゲラゲラ笑っている。
「ずいぶんご機嫌だねぇ」
「あら、ヒロシ君。この番組おもしろくてさぁ」
ったく、四十九日も明けてないのにノンキなもんだ。
「そうだ、ちょっと話があるのよ」
「どうしたの?」
母はテレビを消して改まった。
「こんなときにあれだけどさ、会って欲しい人がいるのよ。覚えてるかなぁ。ヒロシ君も昔会ったことがある人なんだけど」
「誰だよ」
「サイードよ。覚えてるでしょ?」
サイードってあの男か…。今から15年ほど前、小学校4年生ぐらいのある日、母に連れ
られて近所の公園に向かった。母はオレの手を引いて一目散にベンチへと進んでいく。そのベンチに座っていたのがサイードだ。毛むくじゃらでやたら濃い顔のおじさん。後でイラン人だと知ったが、初めて見たときは怖かった覚えがある。その人はオレの頭をなでて「コンニチハ」と言ったきり、母としゃべりつづけた。オレは1人でサッカーボールを蹴りながら、楽しそうに談笑する二人を見ていた。以来、同じようなことがたびたびあった。母親がオレを連れて公園に行くときはいつもサイードがベンチに座っていた。子供心にも「お母さんとオジサンはなんかイケナイことをしている」と不安だったものだ。
「あのイラン人のおっさんだよね」
「そう。ワタシ、サイードと結婚しようと思ってるの」
…はぁ〜!?ちょっと待て、親父が死んだばかりだってのに、なにを言っちゃってるんだよ。
「ずっと連絡とってたのか?」
「カレがあの事件で国に帰ったでしょ? それからしばらくは音沙汰なかったんだけど、つい2年前くらいに電話が来たのよ。それからはときどき電話で話してるの」
あの事件とか国に帰ったとか、なんにも知らねーし。
「言ったじゃない。あの人ね、テレホンカード売ってたのが見つかって強制送還させられたのよ」
なんじゃそりゃ。立派な不良外人じゃないか。そんなのが新しい親父になるってのか。
「いま日本にいるのか? そんなヤツやめとけよ。ロクなもんじゃないよ」
「今はまだイランにいるのよ。今度日本に来るって言ってるからヒロシ君にも会わせるね」2年前からひそひそ相談し、親父が死んでようやく結婚バナシが本格的になったってことか。まあ、オレは独立したからいいとしても、実家の弟や妹はいきなりイラン人のおっさんが家にやってきても困るだろう。説得しようと再び実家を訪れると、母が出かける準備をしていた。
「どこ行くんだよ。まさかサイードが来たの!?」
「まだ来てないわよ。美容室に行ってくるの」
美容室だと? いつもは「お金がもったいないから」って自分で切ってるくせに。母親は2時間ほどで帰ってきた。
「見て見て、オシャレでしょ?」
はぁ。どこが変わったのかよくわからないんですけど。
「そんなことよりサイードのことなんだけど」
「早く日本に来たいって言ってるわよ。ワタシも身だしなみを整えておかなきゃいけないの」
だから美容室か! 気が早すぎだっての!母は自室から紙袋を抱えて出てきた。
「これもね、買ったんだ」
出てきたのは洋服だった。新品のワンピースが3着。浮かれすぎにもほどがある。
「あの人、ワンピースが好きだから。似合うでしょ?」
嗚呼、いったいどうなってしまうのか。オレにできることは、サイードがアルカイダのメンバーじゃないことを祈るのみだ。