たとえば東京の中央線、朝の通勤時間帯。駅ホームではしばしばこんなアナウンスが流れる。
「人身事故が発生したため遅れが出ております」自殺か事故か。ともかく他人事にすぎない我々にすれば「ちっ、またかよ」と舌打ちする程度の出来事にすぎない。しかし現場の人間はもちろん違う。小田原みのる(仮名、30代)氏は、過去、日本でも有数の人身事故多発駅に3年間勤務した駅員だ。3年間で遭遇した人身事故は20回超。一般の駅ではとても考えられない頻度だ。彼の体験に耳を傾けながら、知られざる人身事故現場の世界を覗いてみよう。
鉄オタの私が都内のJR駅で駅員として働き始めたのは今から5年前のこと。新卒ではなく中途採用だった。駅員の仕事は皆さんの想像以上に大変だ。改札から事務所作業、ホームの指さし確認、列車の入線時の構内アナウンス、遅延の対処、キセルの摘発などなど。酔客にカラまれてブン殴られるなんてのも日常茶飯事だ。しかし公共の交通機関に勤める以上、その程度は受け入れるしかない。それよりもやはり堪えるのは、人身事故である。配属から1週間。午前中、事務所に詰めていたら、流しっぱなしの鉄道無線機から突然、指令所からの音声が流れてきた。
『●●●付近で人身事故発生』
人身事故が起きた場合、まずは発見した鉄道員(主に運転士、駅員、踏切所の人間)から、田端の司令所へと鉄道無線で連絡が入る。続けて、この指令所が状況や場所を確認し、最も発生ポイントから近い駅へと無線で連絡する。これを受けた駅の駅員が現場へ急行する流れだ。事務所は騒然となった。●●●はウチと隣駅のちょうど中間あたり。処理はどちらが当たるのか。ウチか、あっちか。みな気が気じゃない。
指令所から第二報が入る。
「▲▲踏切です。××駅が向かってください。どうぞ」ウチだ! 通常業務もあるから全員が全員、現場へ行くわけじゃないが、駆り出されるのは……。助役が顔色を変えて現われ、メンバー3人を発表した。私の名前も入っていた。
「急いで行くぞ」
防護服に身をつつみ、道具の入ったカバンを持ち、外へと飛び出して自転車にまたがる(遠い場合はタクシーを使ことも)。線路脇の道をひた走ること数分、到着した踏切では、10両編成の電車が停止し、シーンと静まりかえっていた。周囲には燃えた鉄の匂いが漂っている。緊急停止した際、車輪とレールがこすれ、火花をあげるからだ。間もなく、警察と消防隊が到着し、野次馬たちもどこからともなく集まりだした。現場では、消防隊が救急の仕事を請け負い、警察が現場検証を行い、原因を特定(大半は自殺か事故ながら、他殺ということも考えられる)する。我々駅員は両者のサポートという位置づけだ。
「では、探しましょうか」
探すとは、被害者をだ。消防隊の指示に従い、周辺の電車の下をくまなく見て回る。いた! 電車の下から足が見えている。ズボンだから男性のようだ。顔の方は奥のほうに向いてるため、暗くてまったく見えない。声をかけてもぴくりとも動かないところからして、息絶えているに違いない。空気の生臭いこと生臭いこと。まるで獣のような強烈な臭気だ。
「引きずりだしましょう。手伝ってください」
「は、はい!」
救急隊が右足を持ち、私が左足を持つ。男性の体に傷がつかぬよう、慎重かつゆっくりとズルリ。な、なんじゃこりゃ!腰から上がなかった。輪切りの胴体から白っぽい内臓がぷらぷら垂れ下がっている。ぐるぐる巻いているのは腸だろう。すでにあまり血は出てないが、それでもポタポタと足下に血だまりをつくっていく。電車の中から、乗客がこちらを見ている。吐き気がするがここは我慢だ。醜態を見せるわけにはいかない。救急隊員は慣れたもので、涼しい顔をしている。助役や同僚も同じだ。遺体にビニールシートをかぶせ、ヤジ馬に見えないように救急車へ搬送したところで、助役が指示を出す。
「肉片を回収しよう」
現場周辺にはばらばらになった肉片がおちており、一つ一つ手で拾いあげて、かき集めねばならない。ちぎれた指があればおそるおそるつまんで大きなビニール袋にぽい。赤い肉のかたまりも、ビニールにぽい。軍手をはめていても手にはぐにゃっとした感触が残る。1時間ほどですべての作業を終えた私たちは駅に戻り、体に塩を振りかけて、パイプ椅子に倒れ込んだ。ある夜、ホーム作業をしていたところ、また人身事故があった。無線の報告によれば、現場は駅から500メートルほど離れた踏切だ。慌てて同僚3人と現場へと急行した。現場では、うつぶせの状態で人が倒れていた。白っぽい上っ張りは飲食店関係のようだ。男性だろう。「比較的キレイなマグロですね」マグロとは原型を留めた遺体のことである。鉄道マンの間で古くから使われる俗語だ。ちなみに、バラバラになった遺体は『ミンチ』『タタキ』と呼ぶ。
「そうだな。五体満足なんて珍しいな」
「事故ですかね、自殺ですかね」
「どうかな」
マグロに近づき、ひょいと顔を覗く。その途端、私は腰を抜かした。まるで理科の人体標本のように、顔の半分だけがキレイにえぐれていたのである。原型を留めたほうの表情は、目をカッと見開き、口を大きく広げ、頬が引きつっている。後日、警察から話を聞いたところ、事故の状況が明らかになった。
「目撃者は男性の後ろに立ってたんですがね。最初から様子がおかしかったみたいですわ」男性は急いでいるのか、落ち着かない様子で時計を見ていた。踏切は降りていたが、今にも中に入りそうな勢いだったという。
「で、本当に中に入ったところに、電車が来て、衝突したみたいなんですわ」
自殺ではなく、まず事故死である。だとすれば、迫り来る電車の恐怖は相当なものだったに違いない。あの表情がその証拠だ。人身事故には被害者が生存しているケースも少なくない。例えば、入社から半年ほどたったある日の夜、同僚2人とかけつけた踏切事故がそうだった。現場では電車が緊急停止していて、その下にスカート姿の女性が倒れ込んでいた。車輪に巻き込まれたのだろうか。声をかけてもぴくりとも動かない。救急隊の隊員が指示を出した。
「とりあえず引っ張りだしましょうか」
「はい」
女性の腕を持ち、ぐいっと外へ。見ると、両手10本の指がすべて切断され、骨がむき出しになっていた。手の平の上を車輪が通ったのだろうか。そのとき、意識の戻った女性
が突然、〝骨の手〞で私の右手をむんずと掴み、絶叫しながらのたうち回り始めた。
「痛い! 痛い! アツイ!」
電車に轢かれると、患部に強烈な熱さを感じると、駅員の誰かに聞いたことがある。女性の骨が腕の肉にぐいぐいと食い込んでくる。
「離してください! 大丈夫ですから! 大丈夫ですから!」
「アツい〜! 痛い〜! アツい〜!」
なんとか2人がかりで女性を引き離し、救急車へ搬送(両足も切断されていた)したが、私の腕には2週間以上も女性の手型(骨型?)が残ることとなった。もう1人、生存したケースを紹介しよう。その日、ホーム作業中だった私は、電車が入ってくる間際に、スーツ姿の若い女性が線路へ転落するのを目撃した。非常用のLEDのライトを振り、慌てて車両を緊急停止させる。幸いにも、彼女は線路の真ん中、つまり左右両車輪の間に倒れていた。
「大丈夫か!」
しかし、彼女からの返答はない。気絶しているのか。何かが焦げるようなような匂いが漂ってきた。耳を済ませばジリジリと音も聞こえる。まさか……。
あわてて車両中央のプレートを確認したところ「モハ」の文字が。モハ。車両下にモーターを搭載しているという意味だ。電車のモーターは、強烈な熱を持つ。鉄板焼きの鉄板よりもっと熱い。彼女はまさにその下に倒れているのだ。ヤバイ!体を引きずりだすと、顔と上半身の右側部分が溶けていた。命に別状はなかったが、彼女の後の人生を思えば暗たんたる気分だ。夏の夕暮れどき。たまたま駅近くで人気バンドのライブがあり、ホームは足の踏み場もないほどのすし詰め状態だった。「白線の後ろに下がってください!」と何度アナウンスを繰り返しても、群衆の勢いは止まらない。被害者となったその中年女性もやはり堂々と白線を越えていた。
みなさんも知っておいてほしい。なぜ我々駅員がくどいほど「白線の内側に」と連呼するのか。外側にいたところで物理的に接触しようがないはずと誤解しているかもしれないから。猛スピードの電車は、巻き込むのだ。中年女性は、ホームへ入ってきた通過電車になにかの拍子で吸い寄せられた。車両とホームの間、わずか30センチ程度の隙間に足を挟まれ、体がコマのようにくるくる回る。周囲は阿鼻叫喚だ。遺体となった中年女性は、壊れた操り人形のように、両手両足の方向がぐねぐねに曲がっていた。
無残な遺体といえば、事故が起きたことに運転士が気づかなかったケースに一度遭遇したことがある。人間を巻き込んだまま、電車が走りつづけたのだ。後続の電車が、線路に白いものが見えたと指令所へ連絡し、先方の当該車両が私の駅に緊急停止した。ヒドイありさまだった。ブレーキパッドと車輪の間、10センチ程度の隙間に、肉片がぎっしり詰まっていたのである。除去作業は大変だ。まず乗客を降ろして車両の重量を軽くし、特殊ジャッキを使ってパッドと車輪の間の圧を軽減する。
続けて、バールを車輪とパッドの間に差し込み、肉片をほじくりだす。
「あ〜あ、ひでえな」
指の欠片から、髪の毛のついた頭の肉、眼球まで、出るわ出るわ。作業はまだ終わらない。電車が走行中にも肉片があちこちに散ったはずなので、それをすべて拾い集めなければいけないのだ。深夜から早朝まで探し回ったが、腕の一部だけはどうしても見つからなかった。カラスにでも持っていかれたのだろうか。平日の昼間、踏切事故に駆り出された。イマドキ珍しい心中らしく、現場には男女2人の遺体があった。お互いが離れないように、男性の右手と女性の左手が縄のようなもので結ばれている。あの世でもつながっていたいということか。ただ、衝突時の衝撃によって2人の遺体はバラバラで、肉片を探すのが一苦労である。
「これ、どっちの手なんだよ」
「毛が薄いから女のなんじゃないの?」
「だね。んじゃこの指は?」
「マニキュアしてないし、男じゃねえか」それでも性別不明な肉片があり、やむなく、ごちゃまぜのまま救急隊に渡すしかなかった。この曖昧な判断も、2人ともに亡くなっていたからこそで、もし片方が生存していれば作業はより困難となる。手術すればくっつくかもしれない当人の部位を、必死で選別しなければならないからだ。この心中事故には後日談がある。警察からこのカップルの情報を聞いてきた駅員が言う。
「事故のあと、両家の遺族の間で問題があったらしいよ」
「どういうこと?」
「肉片がごちゃまぜだったろ。どっちがどれを引き取るのかって」
2人は不倫の関係だった。遺族にすれば、家族の遺体はボロボロでも引き取りたいが、不倫相手の肉片などほしくない。
「まあ一応、分けたらしいんだが、葬式のときも大変だったみたいだね。不倫相手の骨が家の墓に入るなんてイヤだって」あれだけの肉片を逐一DNA鑑定などできるはずもない。おそらくどっちの墓にも少しづつ互いの骨が入ったのだろう。2人にしてみたら本望かもしれない。
最後に、巷でささやかれている『自殺や事故で電車を止めると、鉄道会社から遺族に多額の請求がくる』という噂について触れておきたい。JRだと、この件を扱うのは法務課という部署だ。事故によって起きた損失(遅延による振り替え輸送費など)を算定し、遺族に請求すると言われている。仮に山の手線を30分止めれば、金額は2、3億にも上るとも。
しかし本当に請求してるかどうかとなるとそのへんは不明だ。我々駅員にも教えられないし、遺族とのゴタゴタも聞いたことはない。請求されるのは、おそらく相当に悪質なケース(故意の事故など)だけなのではないだろうか。一駅員には断定できないが。