日ごろ口にする焼肉やトンカツ。その材料となる肉は、牛や豚を殺して得られるものだ。そんなことは鼻水たらした小学生だって知っている。でも、ほとんどの人は答えられないハズだ。食肉処理というお仕事が、具体的にはどのようなものなのかを。
もし焼肉が大好きだというのなら、家庭の食卓に肉が並ぶまでのその過程で、いったいどんなことが行われているのか理解して損はないと思う。食肉処理場の現役作業員であ
る私が、公になることの少ない仕事の中身を紹介しよう。いまから13年前、平成10年の秋。当時、地元のアホ高校の3年生だった私は、毎日、イライラと落ち着かない生活を送っていた。クラスメイトが次々と就職先を決めていくなか、自分を含む数名はことごとく面接に落ちまくっていたのだ。くそ、どうすんだよ。このままじゃ卒業後もプータローじゃん。
いや、ひとつだけツテはあった。父方の叔父が勤める地元の食肉センターが、施設の増改築にともなって作業スタッフを増員しようとしており、叔父から熱心に誘われていたのである。
「ウチで働けよ。俺が口をきけば簡単に入社できるからさ」
不甲斐ない息子の尻をオヤジもぺしぺしと叩く。
「あれこれ言ってる場合じゃないだろ。世話になれ」
しかし、私は頑なに拒否した。コネ入社がイヤだとか、そんなかっこうのいい理由からではない。小さいころから叔父の家でたびたび目撃してきた、あの光景のせいだ。切断されたばかり豚の頭部。職場から安く買い取ってきたというその物体を、台所で楽しそうに調理する叔父の姿は、少なからずショッキングだった。生々しすぎるとでも言おうか。そもそも私は、根っからの動物好きなのだ。食肉センターなんか絶対に行きたくない。でも結局、叔父の進言を受け入れることにした。最後の頼みのつなだったスーパーの入社試験に落ちた以上、残された選択肢は他にないのだから。家庭の苦しい経済状況を考えると、もうワガママは言えない。形ばかりの面接を受けるべく食肉センターの事務所を訪れると、人のよさそうな所長から仕事のあらましを説明された。
就業時間は朝8時から夕方4時までで、土日祝日は休み。福利厚生もしっかりしており、毎年、社員旅行もある。経費はすべて会社持ちで温泉旅行に行くそうだ。月給は15万で、ボーナス(給料1カ月分)は年2回。その他もろもろの手当を入れても、手取りの年収は200万から少しだけはみ出るくらいだ。ちょっと安いようにも思ったが、所長が言うには、
「高卒の初年度の年収なんて、ここらの会社じゃどこもそんなもんだ。それに毎年必ず昇給するだけウチはマシな方だよ」
後日、採用の知らせが自宅に届いた。かくして私は、翌年春から食肉センターの作業員として働くことになったのである。
朝7時半。初出勤した事務所は処理場の2階にあった。そこで真新しいヘルメット、ゴム製のエプロン、手袋、長靴に着替えてから1階に降りる。処理場の入口付近にはすでに他の作業員が30人ほど集まっていた。3分の2は30代から50代のオッサンやオバハンだが、残りはまだ10代の若い男女だ。私と同じ新入社員らしい。ラジオ体操が終わり、先輩たちがぞろぞろと持ち場へ向かうなか、新人だけが入口に集められた。初老のベテラン員から作業内容の説明を受けるためだ。
この処理場では毎日、畜産農家から届く豚220頭、牛20頭(ごくたまに馬や羊も)を解体して枝肉にする。 枝肉とは、家畜から皮、内臓、頭、四肢の先端を取り除いた胴体部分を、背骨から2つに切り分けた状態のことだ。外国映画などで、大きな冷凍庫に吊された肉のかたまりを見たことがあるだろう。あれだ。豚の場合、そこへ至るまでの工程は大ざっぱに分けて6つある。
工程1『頭部への電撃↓ノドを割
いて放血』
工程2『脚の先端を切断↓アキレ
ス腱の皮剥き』
工程3『肛門抜き↓胸割り↓頭部、
尾の切断↓内臓摘出』
工程4『尻、腹部、背中の皮剥き』
工程5『背割り』
工程6『枝肉の洗浄↓最終検査』
豚の解体がすべて終われば、次は牛の番だ。工程内容は豚とおおむね同じだが、牛の解体は体が大きいぶん、より高い技術と経験が必要になる。だから新人は、簡単な豚から仕事を覚えるのが普通らしい。
以上が処理場の仕事、つまり私が本日から受け持つ部分である。そこから先は併設された加工工場の仕事で、枝肉は部位ごとに大きなブロックに切り取られる。お馴染みのバラ、ロース、ももなどになって、市場でセリにかけられるわけだ。説明が終わると、新人はベテラン作業員の指示によって、それぞれ別の工程に回された。
「えーと、石田。オマエは脚切り場に行ってくれ」 脚切り。第2工程だ。
フ〜ッと息を吐き、処理場の中に足を踏み入れたとき、すでに解体作業は始まっていた。床はあちこちが血の海で、なにより匂いが強烈だ。血やケモノ独特のニオイに加え、おそらく糞尿の臭気も混じってるのか、口で息をしてないとたちまち吐き気を催してくる。泣きそうになりながらようやく脚切り場に到着した。横たわった豚がベルトコンベアで流れてくる。第1工程で電撃を受けて失神させられてからノドを切られ、放血が始まったばかりの状態だ。その四肢を、先輩作業員が大きなハサミのついた機械でバチンバチンとちょん切っている。先輩が作業を続けながらチラッとこっちを見た。
「おう、新入り君か。まだ脚切りをさせるわけにはいかないから、そのガラ箱の中身、捨て場に持ってってよ」
ガラ箱には、切り取られたばかりの脚の先端が入っていた。いわゆる豚足だが、当時は出入りの問屋が仕入れを希望していなかったため、ゴミとして廃棄していたのだ(現在は売り物として大事に扱っている)。
中に豚足がたまっていくたび、重いガラ箱をずるずると引きずって捨てにいく。それ以外はやることがないので、先輩の後ろに立ってぼんやりと作業の様子を見守るだけだ。バチンバチン。豚の解体作業がほぼすべて終わり、ようやく昼食時間に。質素な社員食堂には、大好きなショウガ焼き定食やカツ丼などのメニューが並んでいるが、さすがに今日ばかりはハシが進まない。火の通った肉片を見ても、思い出すのは先ほどまでの生々しい光景だ。
それは隣の新人も同じだったらしい。先ほどから真っ青な顔をしてジーッと皿の上の料理を眺めている。心の中でわかるわかると同情していたその矢先、彼が「うっ」と言って口を押えた。手の隙間からテーブルの食器へゲロがとめどなくしたたり落ちていく。
午後からは牛の解体作業に加わり(といってもただの見学)、午後4時に仕事は終了した。ぐったりとなって自宅へ。玄関のドアノブに伸ばした手をふと止め、くんくんと臭いを嗅いでみる。よし、大丈夫。ちょっと気にしすぎか。
入社から2週間も過ぎると、処理場の雰囲気や臭いがまったく気にならなくなっていた。死んでいく家畜がかわいそうだとも感じない。もっとも、いちいち同情していては務まらない仕事なのだが。
ようやく本格的な作業に就くようになったのもちょうどこのころで、最初に私が任されたのは、通称『腱出し』。脚切りで切断した脚の周辺の皮をナイフできれいに切り取り、アキレス腱を剥き出しにする作業である。豚のアキレス腱は煮込み料理などにも使われる、コラーゲン豊富な食材なのだ。しかしこの腱出しという作業、と畜解体の基本中の基本と言われながら、実はけっこう危険度が高い。新人がまず最初に大ケガをするのはたいていこの段階なのだ。腱出しをするようになってわずか3日後のことだ。その日、私は豚の脚を、一匹一匹おぼつかない手つきでさばいていた。ときどき、豚がビクッと動く。死んだはずでも反射運動を起こすのだ。10頭、20頭と順調に作業を進めていった矢先、突然、目の前の豚がブルルンと大きく体を震わせた。豚の脚がナイフの切っ先を蹴りとばす。
「アイタッ!」
慌ててナイフを放り投げたときはもう手遅れだった。ゴム手袋をはずして見れば5本の指とも腹の部分でザックリと切れ、白い脂が見えている。大量の血が流れ落ち、人差し指と中指は、傷が骨にまで達していた。ソク病院に駆け込んだのは言うまでもない。翌日、包帯でぐるぐる巻きの姿で出社すると、事情を聞いた先輩が「良かったな、そのくらいで」と私の肩を叩いた。そのくらいで?冗談じゃないっすよ。何針縫ったと思ってんすか。
ふくれっ面で抗議する私に、先輩がやれやれと首を振る。
「これが牛や馬だったら大変だったんたぜ。ほれ」
言いながら先輩がTシャツをめくった。肋骨の辺りがデコボコになってる。それってまさか…。
「昔、馬にけっ飛ばされて骨折したんだよ。内臓も破裂して死にかかったんだぜ」
1年後、臀部(尻)の皮むき作業の専門者に任命された私は、さらにその翌年から、すべての工程を率先して受け持つようになった。
本来、専門の作業が決まれば以後ずっとその分野以外の仕事を覚える必要は特にない。なのにそうしなかったのは、上の人間に自分が使えるやつだと思われたかった以上に、このと畜解体という仕事そのものがだんだんと面白くなってきたからだ。この仕事には、職人芸的な性質が多分にある。とりわけ臀部、腹部など、手作業で行う剥皮作業には、熟練したワザが不可欠だ。脂肪や肉に傷をつけた時点で、商品価値がなくなるからだ。なので作業が上手くいったときは素直にうれしい。ただし失敗すれば、加工工場のオヤジから雷をくらうハメに。
「バカ野郎!オマエいくら会社に損害与えれば気が済むんだ!」
ま、こんなのはある意味、通過儀礼である。慣れてしまえば滅多にヘマをやらかすことはない。もっとも、世の中に楽しいだけの仕事などありっこない。食肉処理の仕事にだって、きつくてツライ部分は当然ある。
個人的には、失神状態の牛の頸動脈を切る、放血作業がいちばんキツい。普通はホースから水が出るように、ピューっとゆるやかに流血するのだが、牛が反射運動を起こすともう大変だ。擬音語で表せばドバドバ〜ッとか、ブッシャ〜という感じか。バケツを頭からかぶったように、全身血まみれになってしまうのだ。牛の撲殺もなかなかシビアだ。
牛のと殺は、まずスタンニングボルト(鉄製の杭が飛び出す銃のようなもの)を頭に打ち込んで失神させたのち、放血によって失血死させるのが本来のやり方だ。しかし、事前の検査で、BSE(狂牛病)などの病気感染が疑われた牛は、隔離された場所でハンマーで頭部を粉砕して殺すのだ。下手したら商品にならないかも知れない牛に貴重な火薬を使うのはもったいない、というのがその理由である。
これがツライ。常にギャーギャー騒いでいる豚と違い、処理場に運ばれてくる牛はどうも自分の死期を悟っているように見えるのだ。上手く表現できないが、とにかく歩く姿に緊張感があるというか。そんな牛をハンマーで殴りつけるとき、「可哀想」と感じるほどピュアな思いはさらさらないけど、胸のどこかが少しギュッとなってしまう。まだまだプロに徹し切れてないからかもしれない。
だから、この仕事に向いてないものは早々に去っていく。私の職場で言えば、10人いた同期のうち、3人は初出勤から1週間以内に辞め、2人は数カ月で姿を消してしまった。食肉加工という仕事を語るとき、どうしても避けて通れない話題がある。差別問題だ。〝穢れ〞の思想からか、自分はさんざん肉を食べておきながら、と殺の仕事は残酷と考える差別主義者がいることは私も知っている。くだらない偏見のせいで苦労している同業者もいることだろう。しかし、私自身の経験に限って言えば、差別的な視線を感じたことはない。ただ、周辺住民が食肉センターの存在を快く思っていないのは残念ながら事実だ。処理場から漂う悪臭が原因だ。カラス被害によるクレームも何度かあった。敷地内のガラ保管所に集まってくるカラスの大群が、ついでに近隣農家の作物を食い荒らし、損害を与えるのだ。何度か事務のおばちゃんが電話口でペコペコする姿を見かけたことがある。とはいえ、私個人にまで不快感をあらわにされた例は一度もない。それは同僚の男たちとよく開催した合コンでも一緒だ。
「お仕事は何してるの?」
初対面の女性に必ず尋ねられる質問に、私たちはいつもフツーに答えていた。
「食肉センターで働いているんだよね」
「え〜何それ。お肉屋さんみたいなもの?」
「ていうか、牛や豚を殺して肉にするところかな」
ここまでハッキリ言っても、妙な空気には決してならず、返ってくるのは純粋な驚きのリアクションだけだ。
「うっそ〜、マジで〜!?怖くないの〜?」
ちなみに現在、私には5つ年下の妻がいる。彼女との馴れ初めもまさにこんな感じの合コンで、2年の交際を経て結婚に至った。
食肉センターに勤務して今年でもう13年。これまで食卓に届けた肉はどれほどの量になるだろう。
みんなが美味い美味いと食べてくれていれば、こんなにうれしいことはない。肉になった豚や牛もきっと同じ気持ちだろう。って、それはちょっとおセンチすぎるか。