会話のタネ!雑学トリビア

裏モノJAPAN監修・会話のネタに雑学や豆知識や無駄な知識を集めました

メダルゲーム全盛時代を思わせる民家兼ゲームセンター

自分が子供のころはメダルゲーム全盛であり、学校帰りに友達とゲーセンに立ち寄ってはどれだけメダルを増やせるかに幼い人生すべてを賭けていたものでした。ほぼ全機種のゲーム機の習性を知り尽くし、高学年になるころにはメダルは激増。末期にはメダルの闇取引まで始まり、他校の小学生同士が店のメダルを8掛けで売買するなどして最終的には出禁になったのも今は良き思い出です。しかし今や誰もがスマホゲームやらニンテンドーDSなど小型携帯ゲームを持ち歩く時代。学校帰りの子供たちがゲームセンターに寄って小銭で遊ぶなんてことは遠い昔話であります。そんな中、都内のハイソな住宅街に自宅の1階を改築してゲーセンにしてしまった民家があるらしいと有志からの怪情報が舞い込み、居ても立ってもいられず早速現地へと足を延ばしてきました。山手線某駅で下車し、土砂降りの雨の中を5分ほど歩くと閑静な住宅街があり、手前の小道を一本入ったところにその民家兼ゲーセンはひっそりと佇んでいました。一見ただの民家に見えますが、確かに1階のガラス窓には「あそびば」と記されています。しかし早速入店を試みるも、なんと「本日お休みします」の札が掛かっていました。しょうがないので一旦帰宅して後日出直すことに。2日後の月曜昼、念のため向かう前に店に電話をして営業の有無を訊くと受話器の向こうで男性が「あー、今日? あー、もう少しで開けますよ」とつれない返事。しかし営業は確認できたので再び現地へと向かいました。2日前と同じ道を某駅から歩いていくと小道に入る手前で男性が「あそびば」という看板を設置していました。年は優に80を超えているだろうその老人がどうやら店主のようです。入り口手前に「新幹線ゲーム」という幼いころに遊んでいたゲーム機があり、いきなり懐かしさで涙腺が緩みました。10円玉を投入してその10円玉をそのままバネを使ってゴールまで飛ばしていくという罰当たりなゲームなのですが、バネが錆び付いているせいか、10円玉の飛びが異様に悪く、2つ目の難所がどうしてもクリアできませんでした。しょうがないから諦めて店に入ると中は6畳ほどと極狭。左手にピンボール、パチンコ、スロット、格闘ゲーム。右手にはUFOキャッチャーとジャンケンゲーム、景品落としゲーム。そしてなぜかこの狭い中ジュークボックスが3台。それがこのゲーセンのすべてでした。壁には2010年の警視庁のカレンダーが貼ってあり、中央には婦警の大きな写真が掲載されていたので、店内が無人の時には防犯の効果を発揮するのかもしれません。その脇には小さな紙が貼ってあり手書きで「内科」とか「外科」とかおそらく店主が通っている病院の通院予定が記されていました。ジュークボックスのラインナップは美空ひばり坂本九、チューリップ、かぐや姫など時代を感じさせてくれるものばかり。せっかくなので聞いてみたいと思い、両替機に500円玉を投入しようとするもどうやら両替機が稼働していない様子。困っているとちょうど店主が戻ってきて「あ、両替?」と言ってなんといきなり手前のピンボール台を鍵で開けて中の小銭をジャラジャラと取り出して「これ100円玉、5枚ね」と言って両替してくれました。「100円で3曲って書いてあるけど、オマケで4曲大丈夫だから」とのサプライズもあり、適当に選曲。店内に加山雄三の「君といつまでも」が流れる中、「土曜来たら店が休みだったんですが、雨のせいですか?」と訊ねると「あー、最近1か月ぐらい腰が悪くてね、ずっと休みだったの」とのこと。「今日は久しぶりの営業ですか? ラッキーだったのか…」と呟くと「いや、さっき昼前によ、電話かかってきて『今日やってますか?』なんて聞かれたからさ。だから腰がまだ痛いんだけどしょうがないから店開けたんだよ」とぼやき節。電話したのは自分だとはとても言えず、格闘ゲームをしながら店内に流れるちあきなおみの「喝采」にじっと耳を傾けていました。UFOキャッチャーには鉄腕アトムや怪物くん、スーパーマンなど若干古いレパートリーのぬいぐるみが景品となってましたが、ボタンを押す場所がジュークボックスにより封じられており、遊ぶのは断念。ピンボールやジャンケンゲームをプレイしたのち、見たことのないレアなスロットゲームをやっていると後ろで店主が「セブンリーチ!」とか「チェリー!」とか言って盛り上げてくれました。後ろを振り返って「このスロット、当たったら景品は出るんですか?」と訊ねると店主が「あー…」と急に口ごもったので「お菓子とか?ぬいぐるみとか?」と助け船を出すと店主は宙を見つめて少し考えた末に「ピンボールが3回タダでできる」と言ったので思わずズッコケそうになりました。ゲームの当たりの景品が「他のゲームがタダでプレイできる」という画期的なシステムだったのです。その後5台しかないゲーム機を各2回ずつ遊び、小銭がなくなったところで再び両替を頼むのも大掛かりなことになると思ったので、また近いうちに必ず来ることを強く約束して、イルカの「なごり雪」が流れる店内をあとにしました。