会話のタネ!雑学トリビア

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新宿ゴールデン街の閑古鳥が鳴いている店

昭和の雰囲気が今も残る新宿ゴールデン街。歌舞伎町と花園神社に挟まれたこの一帯は、木造長屋建ての飲み屋が狭い路地に100軒ほど並んでおります。文壇バーやワインバー、オカマバーなどバラエティに富んだそれらの店は一店舗あたり3〜4・5坪と狭く、客が5人も入ればもう満席という造りにも関わらず、この街の味のある独特の雰囲気に惹かれた飲兵衛たちが足繁く通っているようです。
そんな歴史あるこの飲み屋街にも閑古鳥が鳴いている店が存在しました。他の店の常連たちに訊いても「あの店は入ったことがない」「勇気が出ない」「従軍慰安婦の幽霊が出る」などミステリアスなベールに包まれた店で、ネットにも情報は皆無でした。しょうがないので花の金曜日夜の7時に店名だけを頼りに探してみるとすぐに該当の店は見つかったのですが、看板の電灯が消えていました。ドアにも鍵がかかっているようなので時間を潰し、8時半頃に出直してみると今度は看板の灯りがぼんやりと灯っており、ドアは全開になっているのが確認できました。
そっと店の中を覗いてみると「心」と一文字、習字書きされた掛け軸が見えました。さすがこういうところで働く人は人生経験も豊富だろうし、地位や名誉、富に囚われない立派な生き方をしているんだろうなと、ドアからさらに店の中を覗くと真っ暗闇でよく見えません。まだ営業してないのかと思い、目を細めて奥を見ると暗闇に還暦過ぎの婆の顔が能面のように白く浮かび上がるのが見えました。第六感が危険を察知し、とりあえず店の前を通り過ぎて街を一周して「何かの間違いだろう」ともう1回店を覗くと今度はその婆の能面と完全に目が合ってしまいました。そして金縛りにあったかの如く、店の前でガチガチに直立していると婆が顔を近づけてきて「ウチで飲んでくれるのかい」と言い、手招きしてきました。大阪飛田のやり手ババアかと錯覚しましたが、しょうがないから入店することにしました。
暗い店内は3坪ほどで座席数は3つ。カウンターの奥の棚にはウイスキーと焼酎のボトルがいくつか並んでいました。恰幅の良い婆は開いていたドアのストッパーを外し、ドアを完全に閉め切ったので店内はさらに暗くなり、不安な気持ちで一杯になりました。婆に「なに飲むの」と訊かれ、
「一番安い酒で」と告げると棚から見たことも聞いたこともないような焼酎のボトルを取り出して、水割りを作ってくれました。さらに味ごのみらしき菓子が小皿に乗って登場しました。他に料理かツマミはあるのかと訊いてみると「味ごのみしか置いてない」と胸を張って返答されました。
ちびちび飲んでいると「私も一杯いただいて良いからしら」と婆がモジモジしながら言うので、小雪には見えないなと思いつつも了承すると同じ焼酎の水割りをグラスになみなみと注いで、乾杯してきました。何に乾杯なんだと思いつつ、「この焼酎水割りって料金いくらするんですか?」とストレートに訊ねてみると、婆の顔が急に強張りました。そしてロダンの考える人のポーズを5秒ほど取ったあと「千円ぐらいかな」と曖昧な回答を発しました。焼酎一杯千円とはキャバクラ並の値段設定ですが、目の前にいるのは還暦過ぎの婆一人。しかも「ぐらい」というのがアバウトで怪しいです。相手を視て決めているのかも知れません。
10分ほど世間話をしたところで婆はあっという間に一杯目を飲み干したかと思うと「もう一杯いただいてもいいかしら」と言い出したので「ちょっと今日あんまり金ないんですよ」と牽制を入れました。すると「あらそう」と諦めてまた世間話を続けたのですが、5分ほどして手元を見たら勝手に焼酎の水割りを作り始めていました。こちらの目線に気付いたのか、
「いや、これは、私、自分で、勝手に飲む分、だから、お代は、結構よ」と日本語を覚えたての中国人のようなしどろもどろの解説を展開しました。
お客の入りを訊いてみると「地震の影響でさっぱりだね」とのことで、常連客や有名人の客についての質問にも「地震の影響で」とすべて地震で片付けていました。こちらもようやく焼酎一杯を飲み干したところで間髪入れずに「もう一杯飲む?」と勧められたので「いや今日は金ないんで」と告げると「いくらある?」と尋問されました。「いや3千円ぐらいしかないんで」と言うと、今度は「4千円持ってない?」と詰め寄られました。語気を強めて「ないんで帰ります」と伝えると諦めたのか「じゃあ会計、3千円ね」と告げられました。焼酎一杯と味ごのみで3千円です。婆が焼酎一杯飲んだことを計算に入れると、なんと味ごのみが千円もする計算になってしまいました。パチンコ屋の余り玉10個で貰えるあの味ごのみが千円です。念を入れて3千円しか持って行かなかったから良かったものの、1万円持っていたら味ごのみが5千円ぐらいになっていた恐れもあります。30分ほどの滞在時間でしたが、当然客はゼロで見事に閑古鳥が鳴いていました。3千円を婆に払い、掛け軸の「心」に一礼をして店を出て、上田正樹の「悲しい色やね」を口ずさみながら帰路に着きました。