会話のタネ!雑学トリビア

裏モノJAPAN監修・会話のネタに雑学や豆知識や無駄な知識を集めました

マスターが自虐的な定食屋

妙なたたずまいの定食屋が港区方面に存在するとの怪情報が舞い込み、早速調査に赴いてきました。六本木ヒルズやミッドタウンが建ち並ぶいわゆるエビゾー界隈、そこから路地裏に入って徒歩10分ほどのところに一つのビルが佇んでいました。ビルには飲食店がいくつか入っているようですが外から窺う限り静まり返っており中の様子は分かりません。
 ビルの奥へと進んでいくと奇妙な看板を一つ発見しました。太い板で作られたその看板は文字がすべて彫られており、明らかに他の店とは一線を画すその雰囲気は只事ではない何かを感じさせてくれます。
「すぐ来るお客はすぐ来なくなる」
「お洒落な料理はありません」
 過去になにかしらの出来事があったことが読み取れます。さらに「静かに宣伝しないで営業中」と書いてはあるのですが、どこの店の看板よりも圧倒的に目立っています。店は地下にあるらしく薄暗い階段を下りていくとフロアの突き当たりで先ほどと同じような看板が再び目に留まりました。
「お客さん募集中」
「今のところお客さんはいません」
「今日も貸し切り」
「一組きたらラッキー」
「回転しなくてもいい店」
 とにかく客に飢えているオーラがおびただしく発せられています。恐る恐る店の中に入ると客はおろか店員の姿も確認できません。
「すいませーん」と震える声で呼んでみても応答なし。
 営業しているのか不安になりましたが、右上に「休み無しで営業しています。マスターは去年年収36万円でした」と書いてあります。ひょっとして買い出しに出掛けてるのかも…と思った途端、テーブル奥の長椅子に掛けられていた毛布がモッコリと人の形をして膨らみ、思わず「ひぃ」と声を挙げると、まるで棺から登場するキョンシーのような体勢でマスターと思しき男がその姿を現しました。
 髪はボサボサで無精ひげ、50過ぎに見えるマスターは爆睡していたようで、おはようございますという意味を込めて「やってますか」と訊くと「やってますよ」とあくびをしながら答えてくれ、ファーストコンタクトを取ることに成功しました。
 手前のテーブルに案内され早速メニュー表を見せてくれたのですが、一人でやっているとは思えないほどメニューは豊富でした。メニューのほかには「終電まで寝ていてもOK」「美味しくない料理」「つぶれそう」「流行らないように生きていく」などとどこまでも自虐的なコメントが深く刻まれていました。
メニューには定食が並んでおり値段は1500円と800円の2種類。オススメを訊くと1500円のサバの塩焼き定食を推してきたのでそれにしようかと注文すると「でもそれ時間かかるよ?」とマスター。どれぐらいかと尋ねると何やら指を折って計算し始めて「40分ぐらいかな」とのこと。混んでいる店ならまだしも客がゼロのこの状態でサバ定食40分。オリジン弁当なら5分で出てくることを踏まえ、「ちょっと長くないですか」とやんわり訊くと「全部一からやるから」と曖昧な返事です。
 しょうがないのでサバ定食を待つ間に、ビールと「メニューにない料理100〜800円」という謎の料理を注文。するとマスターは奥の厨房へと消えていき、10分ほど経ってようやく缶ビールと里芋の煮付けを運んできたのでした。このせいで余計にサバの塩焼き定食が遅れるのでは…と危惧していると案の定そのあと厨房の奥へと消えたきりマスターは出てこなくなりました。
「反省の間」と記されたトイレに行くと中の壁にはカレンダーが貼ってあり毎日の客の数が事細かく記されていました。「0人」や「1人」「2人」の日が圧倒的に多く、小便をしながら同時に涙も自然と溢れてきました。頼みのビールと里芋の煮付けを1ミリずつ大切に食していると50分ほど経った頃にようやくマスターが現れて奇跡の再会を交わすことができました。
 運ばれてきたサバの塩焼き定食は、肝心のサバがちょっと小さく思えましたが、味は至って普通。これのどこに50分掛かったのかは不明です。完食したころに入口から女2人組が入ってきました。2人ともボブカットでいかにも不思議ちゃん系といった雰囲気です。奥のテーブル席に着き、常連なのかマスターと楽しげに会話をしながら「やっぱ落ち着くわ〜」とか「ワイン開けちゃおうかしら」とか言ってるので、彼女らが便所のカレンダーの「2人」なのだと感動し、思わず握手を求めそうになりました。