会話のタネ!雑学トリビア

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学級崩壊・公立小学校の今の現実

授業中。ある生徒は教室を走り回り、ある生徒は携帯ゲームに熱中する。ある生徒は居眠りから目覚めず、ある生徒はひたすらおしゃべりを続ける。
 そして教師はただ黒板に向かうのみ。
 学級崩壊。本ルポで紹介するのは、底辺中学校の出来事ではない。関東某県の、ごくごく一般的な小学校の、しかも二年生のクラスにおける日常である。
 昨年一年間、このクラスを担任した若い男性教諭に、当時つけていた簡単な日記を元に、その労苦を振り返ってもらった。公立小学校には今、何が起きているのか?

4月×日 入学式
教職について3年目。大和小学校(仮名)に赴任して初年度に、2年2組の担当となった。クラスの生徒は20人、一学年3クラスと、やや生徒数が少なめなのは、この町が高齢化していることを表している。日本のどこにでもある平凡な郊外の景色も、一歩中に入ると活気に乏しく、最寄り駅近辺でも50代以上の疲れた中高年の姿が目立つ。小学生の子供を持つ親御さんは、商店主や、建築関係の仕事に従事していることが多いようだ。この日、教壇から生徒の顔ぶれを眺め、まだ二年生とはいえすでに彼らにはそれ
ぞれ個性があることを知った。
 じっと目を見つめてくる女子、私の話など上の空で鉛筆を舐めている男子、落ち着きなく校庭をながめるヤンチャ坊主。男子11人、女子9人、そして私との1年間はこの日から始まった。

4月×日
全国の公立小学校同様、我が大和小でも、担任教師は国語や算数、体育に図画工作まで、音楽以外の全科目を担当する。生徒たちはまだ低学年ということもあり、教科の好き嫌いを露骨に表に出す。国語の授業でいつもボーっとしてる子が図工では我先にとお絵かきに勤しみ、算数の計算問題で鉛筆が走らない子が体育のかけっこでは思いきり走りまわる。概して、算数が嫌われ者なのは私の時代と同じだ。その日、算数の授業中。突然、男子2人が教室を飛び出していった。
「トイレなのか」と廊下に出てみれば、2人はトイレとは逆方向に走っていく。追いかけるべきか、授業を続けるべきか。そのようなマニュアルは存在しないが、なにせ相手は2年生、混乱をさけるためにも私は授業続行を選んだ。
 彼らが帰ってきたのは授業終了のチャイムが鳴ってからだった。
「どこ行ってたんだ」
「すいませ〜ん」
「何してたんだ」
「ごめんちゃーい」
 小生意気な態度にイラっとするが、中身はまだまだ子供でしかない。大げさに叱りつけることもなく、その場は終わった。我がクラスの崩壊は、この、まだ4月そこそこの時期に起きた小さな出来事が発端だった。
5月×日
 授業中に生徒の1人が手をあげた。
「せんせー、トイレ!」
 さらに1分後、別の男児も。
「先生、ボクもトイレ〜」
 5分、10分と経っても帰ってこないので廊下に顔を出したところ、2人は地べたに座って携帯ゲームに興じていた。
「何やってるんだ! そんなもの持ってきちゃダメだろ!」
 2人を教室に呼び戻し、全員に向かって「授業中は席に着くのがあたりまえ」と強く語りかける。生徒たちに初めて見せる厳しい態度だった。
5月×日
 朝、学校に電話が入った。生徒の母親からだ。
「はい、笹井です」
「ウチの子が泣いて帰ってきたんだけどどういうこと!?」
「授業中にゲームをしてたので…」
「だからって厳しく怒ることないでしょ?興味を持てる面白い授業をしてたらマジメに聞くはずよ?」
お母さんの怒りは止まることなく、教頭に取り次いでからもしばらく終わることがない。やがて電話を切った教頭は、頭を掻いた。
「笹井先生、言い方ってもんがあるんですよ。親御さんを刺激しないようにやってくれないと」
まだ7、8才のガキどもをなぜ教育者が叱りつけられないのか。すべてはモンスターペ
アレンツと化した保護者と、学校上層部の姿勢に起因していると、彼は言う。すなわち小学校とは教育の場ではなく、クレームを避けながら、なんとか卒業まで漕ぎつかせるための場になっているのだと。
5月×日
風邪が流行している様子もないのに、同じ日に8人もの男子が欠席した。放課後、それぞれの親に電話を入れたところ、信じられないような文句を言われる。
『先生ちょっと怒りっぽすぎるよ。もっと柔軟にやらないと』
『もっと楽しい授業をすればいいんじゃないですか? それならみんなマジメに授業受けますよ』
全員が判を押したように担任の私を責めるのだ。
5月×日
遠足当日。この日ばかりは、20 人全員が席についてスタンバイしていた。小学2年生にしてこの小ずるさはいったいどうだろう。
5月×日
国語の授業中、朗読の順番が回ってきた生徒が、「お腹が痛いから読めない」と机に突っ伏して保健室へ。席替えで好きな友達の隣になれなかった生徒が泣きわめき、そのまま外へ。このころは、もうそんな生徒ばかりになっていた。恥ずかしながらもう、私はそれらの行動に対し叱る気力をなくしており、生徒たちもわがままのし放題だった。
そしてこの状況は、他の2クラスでも同じだった。この日、運動会に向けて2年生全員で行う合同練習には、学年の2割、10人ほどの生徒が途中で抜け出し、そのまま帰宅してしまった。
6月×日
算数の授業で、一人ずつ九九の暗唱をさせていたとき、ある女子がこう言い放った。
「せんせー」
「どうした?」
「お父さんが掛け算なんかできなくても生きていけるって言うから、できなくていいでーす」
こういう屁理屈を言う子供は昔からいたと思うが、私の時代と決定的に違うのは、彼女がそれを本気で信じていることだ。
6月×日
クラス20人のすべてがヤル気のない子供ばかりではない。真っ当な生徒、ウチの場合だと6人ほどの子は、メモ書きで私に不満を伝えてくる。
『××くんがきゅうしょくとうばんをやってくれません』

『××くんがそうじをさぼっています』
 授業中の様子を見ていれば、その種の当番など真面目にやるはずないだろうことは私も気づいている。だからといって厳しく注意したところで仕方ないのだ。そんなマジメ組(という言い方もおかしいのだが)のお母さんから電話があったのがこの日だった。
「娘から聞いたんですけど、授業を受けないで遊んでる子がいるんですって?」
「ええ、そういった子もときどきいまして…」
「その子たちは成績が下がるだけだから勝手にやればいいですけど、ウチの子が授業に集中できないのは困りますよ。ちゃんと注意してます?」
 巻き添えを食らわすなという言い草も自分本位そのものだが、教師の立場としては、ただただ、すみません今後は気をつけますと言う他ない。以降も、マジメ組の親からの苦情はときどきあった。しかし幸いなことに、ヒステリックなクレームではなく、あくまで苦言を呈するレベルのものなため、私も適当にあしらうような形になっていた。
7月×日
算数の小テストに電卓を持ち込んだ女子がいた。彼女の言い分は実にシンプルだ。
「いいと思ったんだもん。お母さんもダメって言わなかったし」
そう。もはや自明の理だが、学級崩壊は、親の教育と密接に関係がある。親が親なら子も子だ、という言い方があるように、子が子ならやはり親も親なのである。7月の家庭訪問でも、そのことを実感させられる。ある生徒は、ランドセルにマンガ雑誌だけを入れてくることを注意した際、「家では読み切れないから」と理屈をこねたが、その生徒の家庭訪問では、母親が他の生徒2人の母親を自宅に招いていた。
「私たち仲良しだから、家庭訪問は一緒にやってもらえる?」
というのだ。
従うべきは社会のルールではなく、自分にとって合理的かどうか。そんな思考法が親から子へとつたわれば、最も小さな社会である学級という場など、簡単に崩壊してしまうのも当たり前のことだ。夏休みは授業がないだけにクラスも崩壊のしようがない。彼にとっては少し心の安まるひとときであった。しかし休み明けからまた、20人の小さな学級は加速するように崩れてゆく。
9月×日
二学期始業式の直後、ある女子生徒の耳にキラキラ光るモノが見えた。
「それ、ピアスか?」
「うん、お父さんがつけてくれた!」
小学二年生の耳に、である。
9月×日
ある男子が女子に向かってBB弾のピストルを撃ち、謝りもせずに走り去るという事件があった。そもそもオモチャを学校に持ってきていいわけないし、ましてやプラスチック弾の飛ぶピストルとは。 
10月×日
二学期に入ってから、給食の時間に当たり前のようにお弁当を食べる生徒が現れはじめた。いわく、「給食はおいしくない」からだそうだ。この件については職員会議で議題にあがったこともあり、驚いたことに「認めざるを得ないのでは」という結論に達し
ていた。アレルギーの問題などもあるからどうのこうのという事なかれ主義だ。しかし驚くのはまだ早い。3年生を受け持つ先生のクラスには、手作りではなく、頻繁にコンビニ弁当を持参する生徒がいるそうなのだ。
11月×日
教員同士の飲み会の席で、先輩教師(4年生の担任)にこんな話をされた。
「低学年の教師がもっと努力しないとマズイな。うちのクラスのやつら基礎ができねえんだよ」
実はわが校の学級崩壊は2年生に限った話ではなく、4年生以下はすべて同様だ。4年生が荒れる原因は、低学年時代の担任に責任があるというのが先輩の言い分だ。一理あるだろう。九九も覚えぬまま進級した生徒が、マトモに授業を受けられるとは考えにくい。ならばなぜ、5、6年生はさほど支障をきたしていないのか。おそらくある時期から保護者がモンスターペアレンツ化していったのだろう。まだ学校社会のルールがわからない低学年の時点から好き勝手を覚えた子たちが、いま4年生にまで進級し、あいかわらずクラスを荒らしているのだ。このままいけば、学校全体が崩壊してしまうのは時間の問題である。
12月×日
ならばこれは大和小学校だけの問題なのかといえば、もちろんそうではない。この日の午後、近隣の教員が授業の進め方を話し合う研修で、隣の小学校に勤める若い男性が耳打ちしてきた。
「こんなの意味ないですよね。どうせ子供は言うことなんか聞かないでしょ?」
彼の学校でも授業妨害や無断欠席などなど、ウチと似たような事例が多発しているそうだ。
「大和小学校さんでは何か対策とってます?」
「いや、特にないと思います…」
「ですよね。何をやっても親は文句を言ってきますから」
 ついこの間も生徒が無断で7人休んだんですよとこぼしたら、彼は「ああ、あるある」と安心した様子だった。
1月×日
 学校周辺に住む方の中には、異変に気づいてる人もいる。「生徒が昼間から外をフラフラしてる。学校はどういうつもりなんだ」と苦情が入るのだ。学校の裏手に住む老人に、皮肉交じりに言われたことがある。
「今の小学校は終わるの早いんだね。お昼前にもうそのへんで遊んでるよ」
「ああ…すいません。なにかご迷惑をおかけしてませんか?」「先生も大変だねえ。あんなのは一発ブン殴ってやればいいんだよ」
 この日の日記によれば、某男子生徒が明らかに親の字で書かれた宿題(漢字練習帳)を提出してきたので頭を叩いた、とある。老人の会話が脳裏に残っていたのだろうか。前後関係は定かではないけれども。
2月×日
 職員室で事務作業をしていたところ、クラスの音楽授業を受け持っている女性教師が早足で入ってきた。『ブス、デブ』とからかわれたうえ、合唱でほとんどが唄わないことに激昂し、教室を飛び出してきたらしい。目には涙があふれている。一緒に音楽室へ。残っていたのはマジメに授業に取りくむ子たちだけだった。
「他の子はどこに行ったの?」
「知らなーい。いつものことだし」
 クスクスと笑う生徒たち。そう、あの子供たちは教室にいないのが普通なのだ。
 もはや学級崩壊は、完成形と言ってもいい状態だった。
3月×日 終業式
なぜかクラス全員が勢揃いした終業式は無事に終わり、最後のホームルームとなった。
「また来年もササイ先生がいいな〜」
と、一部の生徒、それも授業妨害、放棄の常連たちがニヤニヤと笑う。
『来年度も、うるさく怒らないアンタが担任だったら嬉しいなぁ』
彼らはそう言っているのだ。繰り返すが、以上はごく平凡な公立小学校2年生のクラスで起きている現実だ。彼らはこのまま大人になり、社会の一員となる。20年後、30年後の日本はどんな国になっているのだろう。大げさすぎる心配だろうか。